寅年も色々な出来事が多く、思い出深い年になりました。
さて、2023年の卯年はどんな時代になるのでしょうか?
ウクライナ侵攻のようなことが、別地域でも起こらないことを望みますね。
この戦争で、世界中が迷惑と不幸に生活難に遭遇していますから・・
そこに、まだまだ続くコロナ感染症問題があります。
少子高齢化社会を抜け出す施策など、各自治体や各国に賢明なリーダーが現れることを来年は望みます。
寅年も色々な出来事が多く、思い出深い年になりました。
さて、2023年の卯年はどんな時代になるのでしょうか?
ウクライナ侵攻のようなことが、別地域でも起こらないことを望みますね。
この戦争で、世界中が迷惑と不幸に生活難に遭遇していますから・・
そこに、まだまだ続くコロナ感染症問題があります。
少子高齢化社会を抜け出す施策など、各自治体や各国に賢明なリーダーが現れることを来年は望みます。
今朝の寒さには仕事を少し心配しましたが、遍路道の調査ではヤブ歩きなどあり、一部分は汗かきをしたほどで、無事に仕事を終えました。
こんな感じで探した石仏が数基にて今まであります。
本日も殆どの方が知らない、旧の隠れ へんろ道や石仏の発見がありました。
もしかして、四国遍路が世界遺産に登録なれば我々の発見は・・!?
毎日、一万5~6千歩の歩行ですが、やはり4日連続は足に堪えます。
昨日は、阿南市の旧 小野小学校から、美波町の旧大戸小学校まで歩きました。
二つの石仏を発見しましたが、一つは新発見と思われます。
明日は、その続きで三ヵ所の遍路墓・道標は過去に確認されていますが、ここも
新たに発見される可能性がある区間です。
誰も 探さない歩かない 区間が残っているのが不思議ですが、地元民の有利さが ある
ので新発見に繋がるのが有難いことです。
昨日もスタートまもなく運がある出会いになりました。
JR 牟岐線の木岐駅から旧へんろ道の調査開始で、まもなくお腹具合が悪くなりましたが、運よく白浜海岸の手前に最新のトイレが設置されているのを見つけ、救われました。
そこにはお遍路さんのお札やメモ書きがあり、名古屋からの方が3日に書かれたコメントが記されていました。
その後も運あるのか直ぐ近くで隠れた石仏発見ができました。
附記:14日(水) 万歩計(約16,000歩) 山座峠、後山の二カ所
素人が石仏等の朽ちかけた文字を読み取るのは大変難しい作業です。
画像のお地蔵さんは白く苔むしていますが読み取れます。
右:施主赤松村 左:久右衛門
これなら素人の私でも読めますが、風化している道標などでは判断できないものが多いのです。
時間があれば拓本でもとれば分かりやすくなりますが、山中など歩いて次々と調べて行くには時間がありません。💦
一昨日には田圃の土を擦り付け、ある程度読みとることができましたが・・?
できれば、その場で簡単に読み取る方法はないものだろうかと考えています。
昨日から依頼されたへんろ道の調査が始まりましたが多くの発見がありました。
歩いた歩数は16,000歩越えにもなります。
日和佐北河内地域を先ず歩いてみることになり、未開の道の探索にて へんろ墓4基を新たに発見できました。
見た感じから、この場所は誰も調査発見されていないようです。
墓石は山土や落ち葉に埋もれていて、放置された状態ですし、場所的にも発見は難しいように思いました。
この本の著者は播田安弘(美波町出身)さんです。
今回は(弐)を読んでいますが、初版も読み結構 興味のわく本です。
邪馬台国、秀吉の朝鮮出兵、日本海海戦の謎を解く 内容であります。
「翡翠(ひすい)」や「大和」にも触れていて楽しめます。
ところで、地元赤松出身の青木弘亘さんも、日本人捕虜第1号の酒巻氏のことを書いたりと、日和佐には立派な人物を輩出する素地があるのかも分かりません。
休耕田(畑)の草刈りをしていますと、突然赤いものが沢山ありました。
それは「ほうずき」or「ほおずき」でした。
帰宅後に畑を覗いて見ますと、我が家にも残っていましたが・・?
ところで、作業場所にはフスベという茶色キノコが10個以上も生えていたのです。
それは、バスケットボールよりも大きく、サイズなら30~50cmもある特大で、茶色の塊がヨモギ等の草中に連なっているのです・・!
刈払い機でウッカリ刈ると、茶色い煙がモクモクと立ち上がり、とても気持ちが悪いのです・・
当然マスクしての作業でしたが、あの粉を吸い込んだら肺の中に・・