パソコンを円滑に操作するには、ある程度の論理的感覚が必要である。
初期のパソコンソフトは、ユーザーの論理的感覚あるいは論理好きの性向に依存した様式であった。
しかし、世の中にはそういう人ばかりはいないから、模様型の、読み取るよりは見て捕まえる様式が好まれるようになり、基本ソフトまでその形に向かっている。
理解力とプログラム形式との相補関係を保ちながらパソコン操作をしてきた人にとって、雑踏の中から仕事を手伝ってくれる人を探し出すような展開型メニュは相容れないような気がする。
操作感覚と感覚操作のせめぎあいか。
画面に直接手を触れ、指先の跳ね具合で、アッチ向いてホイとやってしまうことを繰り返していると、そのうちに自分自身が画面の中に吸い込まれてしまうのではないかと、つまらないことを考え始める。
しかし多勢に無勢のポップの世、しょうのなかか。