ソーシャルゲームという名の嫌な遊びに、人間は狂わされている。
遊びは生きものに元気を与えてこそ価値があるのだが、その価値はマイナス側に大きく振れている。
コストパフォーマンスという言葉に、ときどきお目にかかるが、それが大きければ優れた方策で、小さいとあまりよくないと見られる。
もしコストパフォーマンスにマイナスの符号がついたらどうなるか。
人間がすることには、コストパフォーマンスに多寡はあっても、マイナスのものは表の世界にはなかった。
しかし、ソーシャルゲームと呼ばれるゲームの多くは、マイナスのコストパフォーマンスを内在している。
どこまで行っても勝負のつかない、負けたと言ってやめられない、勝ってもまた強い相手が出てきて、また勝たなければならない。
あと300円ならいいだろうという考えが地獄へ向かわせる。
勝つためのカードはなかなか手に入りにくく、ネットオークションで高値で売られる。
それではおさまらずに偽物が出回り、それがまた高く売られる。
はまりこんだ人はどんなことをしてでも勝ちたい、それだけでパチンコなどよりずっと高額なカネがどこかに吸い取られていく。
<行き過ぎたソーシャルゲーム>
http://mx.nikkei.com/?4_55827_44289_1
"ま・や・く"と聞けば良いものであるとは連想し難いが、ソーシャルゲームという名はそれ自体に欺瞞性を抱えているように思う。
偽りの自由に動かされている社会主義国社会に慣れた人々は、ソーシャルという呼び名をどこか心地よく感じてしまうのだろうか。
はじめはちょっとした遊び、それが危ないのだ。