『水面字』というフォントがある。
水面に映ってゆらめいている感じを持たせたデザイン・フォントで、なかなかよい形をしている。
紹介者の吉田淳氏はホラー用途にも使えそうと言っている。
◎ 半角英数
◎ 半角カナ
◎ ひらがな
◎ カタカナ
◎ アルファベット
◎ ギリシャ文字
◎ ロシア文字
◎ 第一水準漢字
これだけ揃っていれば、残暑見舞いにもよいかもしれない。
⇒ http://www.adachieve.info/suimen.html
『水面字』というフォントがある。
水面に映ってゆらめいている感じを持たせたデザイン・フォントで、なかなかよい形をしている。
紹介者の吉田淳氏はホラー用途にも使えそうと言っている。
◎ 半角英数
◎ 半角カナ
◎ ひらがな
◎ カタカナ
◎ アルファベット
◎ ギリシャ文字
◎ ロシア文字
◎ 第一水準漢字
これだけ揃っていれば、残暑見舞いにもよいかもしれない。
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テスト用にインストールしてあった Office2010 が期限切れになって、肝心の「編集」コマンドが使えなくなったのにむやみに嵩張るので、昨日アンインストールした。
そのあと、Outlook Express のアイコンがスタートメニュから消えた。
C:\Program Files\Outlook Expressにメイン・プログラムらしいexeファイルもない。
Outlook Express は、Office2010 の古い身内ではあっても今は別居中のはずだから関係なさそうなのに、一緒に出て行ってしまった。
こうなっては連れ戻しは無理、ダウンロードしかないかと、「Outlook Express ダウンロード」で検索、その先を見ていくと、こんな記事を見つけた。
『消えた Outlook Express を救済するには、コントロールパネル→プログラムの追加と削除→Windowsコンポーネントの追加と削除で、「OutlookExpress」にチェックを入れてインストール』
責任はもてないよと、苦情バリヤも設けたあったが、ダメモトのつもりでやってみる。
結果オーライ。やれやれ。
もう一度 \Outlook Express フォルダーを見たが、やはりexeファイルはそこにはない。
どこかに隠れていて声をかけると顔を見せ、仕事はちゃんとやる。住所不定の有能アルバイターを使っているような感じだが、用が足りればそれでよし。
詮索が過ぎて、またどこかへ行ってしまうと面倒なので、まあいいということにしておこう。
アプリケーション・ソフトのメニュには、論理型と感覚型がある。
いずれか一方というのではもちろんないのだが、どちらかと言えばぐらいの見方をすると、そんなことが言えそうである。
元来論理型で作られていたコンピューターのソフトウェアも、感覚型用法に向かっているように思う。
その反対に、もともと感覚型であったはずの芸術鑑賞、言語理解などがひちくどい論理型になってきているようにも思える。
こういう適用の逆転は何なのだろう。
ちょっと視点を変えてみるぐらいのことを、逆転の発想などと大仰に言い立てられると、発想以後にまでそれを引きずる。
なんでも逆にやるのが新しいのだ、よい方法なのだと、思考様式も適用形式も逆転する。そして逆転文化祭の始まりとなる。
殿様のお膳のように、魚の表裏をひっくり返しただけでお代わりですと言うような、機転の逆転でものごとすべてを片づけるわけにはいかない。
放射能に汚れた校庭も、表土を沈めただけでは、すっかり除染されるはずがないのである。
昨日は、逆転相撲で日馬富士が綱取りの苦しさを増す一番があった。
初日は逆転で勝ち、二日目は逆転で敗れる。白鵬がいみじくも言った「なれる者」の坐に、腰を据えられるまでにはなかなか大変そうである。
ソフトウエアの基本様式も、逆転型改変に明け暮れてていると、何十年かで築きあげた王者の坐を、明け渡さなければならない日を迎えることになるかもしれない。
Office のリボンのような大模様展開型メニュは、ある意味で秩序破壊の性格を持っているような気がする。
旧バージョンの、大項目→中項目→個別コマンドというふうに組み上げられ、順に中味を見せていくヒエラルキー型は、使いこなすのに神経衰弱的な記憶を必要としなかった。
冠婚葬祭用のスーツのようで味気ない感じはしても、あるのかないのか、いやあるはずだなどと探し回る面倒は起こらなかった。
アプリケーション・ソフトのバージョンアップというのは、作る側の楽しみと引き換えに、使う側は戸惑いと余計なことの習熟を強いられる。そして代金をとられる。
練習のために代金を支払う。ゴルフの練習場やバッティングセンターのような仕組みだ。
取り組むユーザーは、わずかな上達という望みを持たねばと自分に言い聞かせて、繰り返し繰り返し同じことを続け、慣れたころにはまた秩序破壊の被害をこうむることになる。
こういうのは何次被害というのだろう。近ごろはやりの減災策はないものだろうか。
オフィスのリボンはどうも苦手である。
まだ付き合ったことのないメニュは、端から端まで探さなければ見つからない。
よく使いそうなものが、リボンの右側のいちばん端にあって、しかもポップアップの文字が小さくなかなか読み取れないこともある。
なぜこういうものが作られたのか。
何か必要なものを見つけるには、引き出しに入れておくより、部屋の幅広テーブルの上にバッと広げてそこから探し出したほうが早いという感覚で作ったのだろうか。
使う便より広げて魅せたい、現代風なのだ。
引き出しの場合は、論理的な整理が必要だが、テーブルに広げれば精一杯広げるだけでよい。
ババ抜きが好きか神経衰弱が好きか、そんな違いのようにも思われる。
スーパーで品物の置き場がときどきがらっと変わる。
あれも神経衰弱派の仕業のような気がする。
パソコンの動きがまたゆるくなってきた。
何かが入り込んで邪魔をしているに違いないのだが、正体がつかめない。
利用価値のないものを保存する、これがいちばんゴミカスのたまるもとなので、保存量を最小にする方法を何とか考えなければ、早い大きな機械を作っては買わされる陰謀にはまってしまう。
なかったことにする、これがいちばん効き目がありそう。
さて、順序は、などと考えているうちに、またゴミがたまる。いやはや。
裏ワザ、それもワザとカナ書きになっていると秘技めいてくる。
文字の使い方もワザのうちと見られる。
感受性というと、ちょっと上質な感覚に聞こえるが、実は敏か鈍の差でどうということはない。
感受性が敏であるほどワザにかかりやすい。
その逆は安全、くどくど言わないほうがよいだろう。
YouTube裏ワザのガイドというのがある。
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n552
YouTubeも見方次第、生かし方次第で、驚異の情報源になる。
その生かし方を整理して、巧くハコに詰め込むと、裏ワザと名付けることができるようになるらしい。
「クラブ・ウィルビー」というサイトがある。
あの残間さんのサイトだから、われわれのいい加減なホームページやブログとは格が違う。
そこにこんな記事があった。
『本日(2011年)7月11日付読売新聞夕刊3面で、「いまさら聞けないパソコン」の連載が始まりました。
先週、好評のうちに終了した「いまさら聞けない携帯電話」に続くもので、携帯やパソコンの解説書のような意味不明の宇宙語ではなく、わかりやすい日本語で書かれているので、いいと思います。(中略)
今週はパソコンの買い方で、次回からはいよいよ操作の説明に入ります。
毎週月曜日の夕刊に載ります。』
もう2か月ほど過ぎてしまい、気づくのが遅かったが、今は50年前の新聞でも読める時代だから、その気になれば何とか手立てはあるもの。
興味のある方はどうぞ。
役所の放送が3方向から聞こえてくる。
330m毎秒だからちょっと回り道をすればすぐずれる。
3方向の音は3回聞こえる。
こだまでしょうか、はいそうです。よく聞こえますか、いいえ聞こえません。
話す人が、マイクにかじりつき懸命に声を出すほど、なお聞こえにくくなる。
公共放送は、声を出すことではなく、聞き取って理解することが目的なのだが、目的に沿った聴取テストも多分してないのだろう。スピーカーの設置個所を巡回して、よしよし、よく聞こえるぐらいのことしかしていないと思う。
音響解析というのはなかなか難しいものである。
動くものを作ったとき、それがどんな音を出すか。どの位置にはどう聞こえるか。作ったものの表面、音が伝わっていく空間を、網の目のように区分けして解析していかなければならない。
物体からどのような音が発生するかをシミュレーションするツールがある。
テクノスター「有限要素法による音響解析用のメッシュ作成ツール」
⇒ http://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20110905/197988/
解析したい領域を、小さな要素に分割し、それぞれの要素ごとと、各領域の関連づけを、できるだけ単純な方程式で表すようにすると、複雑な形状の解析時間がぐっと短くなるというのが有限要素法らしいのだが、「有限」という文字に惑わされて、この名前からは手法の概要をなかなか想像できない。
これならむしろ発明者の名前にしておいた方がよかったのではないかとも思うが、すでに定着した方式の名前の付け方に、文句をつけるほどばかげたことはないからやめにしておく。
イラストは、ほとんどWeb素材を常用させてもらうようになっているが、写真となるとちょっと気が咎める。
無画才宣言をしてあるから、イラストは自製でないことをすぐにわかってもらえそうだが、写真は、自分で気に入ったものができるときもあって、ひとさまの撮ったものをブログに載せるのは、舞台用貸衣装を着ているようで嫌なのである。
それにフリー素材の写真は、図柄は良くてもしっくりこないものが多かった。
画像サイズが小さかったり、品質のばらつきが大きかったりするから。
「BEIZ Graphic」という写真をダウンロードできるサイトがある。(吉田淳氏紹介)
⇒ http://www.adachieve.info/beiz.html
数は多々、質も佳いものがありそう。
ここのものならお借りしてもよさそうな気がする。
今年の台風は数が少ない分、大型で、異常性挌のものが多い。
紀伊半島の方にはまことにお気の毒、お見舞い申し上げます。
台風の経路がなかなか定まらないのは、私らには覚悟の決めようの問題でしかなくても、天気次第の仕事を持っておられる方にとっては困惑のたねになる。
しかし、台風がいつもどれでも、決まった経路のどこかを通ったのでは、気象予報士の頭の冴え具合を見せる場がないから、予報の仕事としてはわけのわからないほうがやりがいがあるのではないか。
国際気象海洋株式会社提供の「台風進路図」というのを見つけた。
3時間ごとの中心位置とその軌跡が示される。
http://www.imocwx.com/typ/tyani_12.htm
生まれたらすぐにどういう道をたどるだろうかと予想してみると、どこかにプラスの要素を見い出せるかもしれない。
更新のダウンロードをしても、インストールできずに滞留してしまうプログラムがある。
「電源を切る」操作のとき、毎回盾のマークが現れて「インストールしないのか」と迫る。
その都度断れば済むのだが、毎度々々では、うるさい。
インストールしなくても別段日常の操作に差しさわりなければ、ディスクのお荷物にしかならないから削除してしまいたいのだが、隠れ場所がわからない。
何とか見つけ出して追い払う方法はないものだろうか。
Windows 特集で「一番感動したワザ」と「絶対手放せないワザ」いう触れ込みの、何か意味ありげなサイトを見つけた。
http://pc.nikkeibp.co.jp/article/column/20110830/1036522/
アドレスバーで「shell:favorites」とタイプして [Enter]キーを押すと、インターネットのお気に入りがずらっと出てくる。そう書いてあるが、さて、アドレスバーというのがどこにあるのか、すぐにはわからない。
入口で告げる合言葉は教えてもらったが、入口のある場所は自分で探せと言われたようなものである。
どうしたらよいかは知らされたが、どこに行けと言われなかった。こうなったら自分で探すしかない。
コマンドらしい言葉を打ち込んで[Enter]キーを押せというなら、「ファイル名を指定して実行」からだろう。
[Win]+[R],「shell:favorites」, [Enter] とやってみる。
「お気に入り」のフォルダーが出てきたが、様子が違う。
バーに並んでいないはずの、すでに用済みの宛先が入っている。キープボトル棚の空瓶のように。
他はどうかと「shell:startup」で試してみる。
[スタート]ボタンからたどって行った「スタートアップ」で出てくるものより、今度は中味が少ない。
名前が同じで部屋が違うのか、部屋が同じでも開けるドアによって中の見え方が違うのか、うっかり者にはさっぱりわからない。
感動の呼びかけに釣られて覗いて見たが、困惑で終わる。
惑から感に至るには、はじめの一太刀を身につけなければならないことに気付いた。
むかし、会社に受話器を上げると指令担当課所にすぐつながる電話機が置いてあった。
特定の通話先だけにつながる電話機「D-ホン」という装置が、最近開発されたという記事がある。
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20110525/192118/?ref=ML
電話は、受話器を上げただけでは回線に接続されないものに、いつの間にかなってしまっていたのだ。
通話相手が決まっていれば通話先の選別はいらない。
日常は通話相手を限定しておいて、別の相手に通話の必要ができたときだけそれができるようにしておけば、いちばん好都合ではないか。
隣の部屋の人と話をするのに、はるか彼方の電話局まで迂回して、選別のための信号のやり取りや、通話データのやりとりをしている今のシステムは、どこか間が抜けているような気がする。
夏休みも終わり、新学期かと思ったらそうではなかった。
近ごろは、夏休みは学期の切れ目ではなく途中にあるのだった。
中学の孫は、夏休みが明けるとすぐ定期試験だという。
こういうことは「そういうものか」と思っておくより仕方がないのだが、どうしても「なぜ」「意味は」と聞かないと納得しない人もいるだろう。
ひとにものを聞けば知識は増えるが、その分、知恵の領域を譲り渡すことになるのに、世の中にはどうしてこう"意味はの訊き子さん"が多いのか。
子供のうちになぜがだいじと教えられると、それをだいじに忘れずにいるのだろうか。
これが訊き子さんの目にとまれば、またなぜなぜ虫が動き出すかもしれない。
それはそれとして、学習意欲旺盛な人向けに「あすなろ学習室」というサイトがあった。
http://gakusyu.shizuoka-c.ed.jp/
入り口に並んだマメをつつくと、ご案内があるらしいのでどうぞ。