一昨日の日経夕刊に、旧・日本海軍機の「銀河」と「月光」に関する設計図面が大量に発見されたという記事がありました。
記事へのリンク
銀河と月光の図面は、ともに中島飛行機の群馬県内の工場で保管されていたものらしいと、記事は伝えています。
中島飛行機は、陸軍と海軍に数多くの飛行機を供給していた、かつて東洋最大の飛行機メーカーで、宇都宮、半田、三鷹などに大工場を有していました。
しかし、第二次大戦が終った後、占領軍のGHQによって「二度と軍事産業に進出できぬように」と12社に分割されて消滅、富士重工、プリンス自動車などに事業が引き継がれる運命となりました。
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戦後、中島飛行機の三鷹研究所跡地には、国際基督教大学(ICU)が設置され、一部の建造物は現在も用いられています。
そして、同社武蔵製作所は、何と、早大東伏見グラウンドの目と鼻の先、NTT武蔵野研究開発センタ-、武蔵野中央公園、武蔵野陸上競技場・総合体育館として用いられていまして、JR三鷹駅から東伏見に向かうとき、誰もが必ず通る場所となっています。
<戦時中の地図>

数年前、早大野球部の安部寮のすぐ近くの畑の地中から、第二次大戦中に米軍機の空襲で投下された爆弾が発見され、その不発弾処理のために地域住民が一時避難する騒ぎがありました。
その時、「こんな畑に、なぜ米軍は爆弾を投下したのだろうか」と私は思ったのですが、後日、すぐ近くに中島飛行機の大工場があったことを知り、納得しました。
東伏見稲荷神社には、空襲でお亡くなりになった中島飛行機武蔵工場の社員の方々の慰霊碑があります。
銀河・月光の図面発見の新聞記事が、早稲田スポーツの聖地・東伏見に悲しい時代があったことを、思い出させてくれたのでした。
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銀河と月光の図面は、ともに中島飛行機の群馬県内の工場で保管されていたものらしいと、記事は伝えています。
中島飛行機は、陸軍と海軍に数多くの飛行機を供給していた、かつて東洋最大の飛行機メーカーで、宇都宮、半田、三鷹などに大工場を有していました。
しかし、第二次大戦が終った後、占領軍のGHQによって「二度と軍事産業に進出できぬように」と12社に分割されて消滅、富士重工、プリンス自動車などに事業が引き継がれる運命となりました。
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戦後、中島飛行機の三鷹研究所跡地には、国際基督教大学(ICU)が設置され、一部の建造物は現在も用いられています。
そして、同社武蔵製作所は、何と、早大東伏見グラウンドの目と鼻の先、NTT武蔵野研究開発センタ-、武蔵野中央公園、武蔵野陸上競技場・総合体育館として用いられていまして、JR三鷹駅から東伏見に向かうとき、誰もが必ず通る場所となっています。
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数年前、早大野球部の安部寮のすぐ近くの畑の地中から、第二次大戦中に米軍機の空襲で投下された爆弾が発見され、その不発弾処理のために地域住民が一時避難する騒ぎがありました。
その時、「こんな畑に、なぜ米軍は爆弾を投下したのだろうか」と私は思ったのですが、後日、すぐ近くに中島飛行機の大工場があったことを知り、納得しました。
東伏見稲荷神社には、空襲でお亡くなりになった中島飛行機武蔵工場の社員の方々の慰霊碑があります。
銀河・月光の図面発見の新聞記事が、早稲田スポーツの聖地・東伏見に悲しい時代があったことを、思い出させてくれたのでした。
