外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

「神宮讃歌」東京六大学野球物語

2011-09-07 18:08:40 | 大学野球
オフ会仲間の「名古屋のN」さんからお知らせをいただき、標記の本を買ってきました。(朝文社。1429円+税金)

著者は、慶応大学野球部OBの松尾俊治さん(旧制・灘中学出身)。
週べ増刊号「大学野球」などに松尾さんが寄稿された数多くの文章を、一冊にまとめた本です。

松尾さんならではの温かな目線で、戦前の伝説上のスター選手から斎藤佑樹投手まで、話題にしていらっしゃいます。
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とりあえず目を通した中で、最も印象に残ったのが、昭和4年秋、天皇陛下が早慶戦を観戦された時のエピソード。

甲子園のスター選手たちが大挙して六大学各校に入学してくる状況をみて、「最近、各学校で野球選手の争奪が行われているが、弊害が起こりはせぬか。入学試験は公平か」と、天皇陛下がおっしゃったというのです。
ご案内担当であった早稲田の安部磯雄先生は、
「弊害なしとは断言致しかねます。」と恐縮しきりであったとか。

かつて私が耳にした当時のエピソードは強烈です。
例えば甲子園のスター選手が、地方の旧制中学の卒業目前に慶応の付属校に転校。
ほどなく慶応大学に内部進学して、さっそく神宮球場に選手として登場したというのです。

そうとう荒っぽい選手争奪戦が展開されていたわけですから、陛下から質問された安部先生も、さぞ冷や汗ものでいらしたことでしょう。
(;^_^A

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さて、一昨日に、フォーククルセダースの「戦争は知らない」を話題にいたしました。

加藤和彦さんは、もちろん日本のポップスの歴史に残る名作曲家。
そして、他のミュージシャンの楽曲を採り上げて、加藤和彦サウンドに昇華させるという才能も抜群でした。

例えば、ジャックスの「時計をとめて」は、発表当時は、知る人ぞ知るという、コアなファンに支持される存在にとどまっていましたが、加藤さんがコンサートで歌ったことにより、一気に幅広く知られる曲となりました。

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加藤和彦さんが、フォークルで発掘した、もう一つの名曲が「ユエの流れ」です。
1968年(昭和43年)、フォークルの解散コンサートで、フルオーケストラをバックに加藤さんが歌いました。
誰もが初めて耳にする、その美しいメロディと歌詞に、満員のファンは酔いしれたのでした。
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この作品は、ベトナムの農村で歌われていたものが原曲。
その歌を、第二次大戦中にベトナムに進駐した日本兵が口ずさむようになりました。
第二次大戦が終わった翌年、サイゴンの南、サンジャックという港町で、日本の作詞家が採譜して、日本に持ち帰りました。

それから二十年あまり経過した1968年に、ラテン歌手のために東芝がレコード化しようとしました。
どうやら、その過程で加藤和彦さんが耳にして、コンサートで披露したものと想像されます。

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作詞の「桐雄二郎」は、実は浪曲作家の秩父重剛さん(赤城の子守唄、黒田節などの作者)
作曲の須磨洋朔さんは、戦中・戦後に活躍した指折りの軍楽隊長であり、行進曲「大空」の作曲家としても有名。

まずは、YouTubeでお聴きください。
浪曲作家と軍楽隊長のコンビが手掛けた曲とは、とても信じられませんから。
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『ユエの流れ』
英題:The Moonlight in Hue
作曲:須磨 洋朔、
作詞:桐 雄二郎(秩父重剛)
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流れは_月にきらめき 
憶(おも)いは_波にゆらめく
恋しや_あの人の胸 
くるめく_愛の接吻(くちづけ)

黒髪_匂いをこめて 
唇_花より紅く
粧い_こらして待てど 
あの人は来ない

遙かにひびく_太鼓の音は
涙をさそう_別離(わかれ)の調べ

母なる_順化(ユエ)の流れよ
愛をば_守らせ給え
火を焚く_祭りの夜に 
燃え立つ_切ない恋よ

梢に_月はかたむき 
崩れた_城跡悲し
涙で_星影消えて 
あの人は来ない

愛しい人は_何故何故来ない
わたしは独り_淋しく帰る
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