1945年5月、南樺太に住む江蓮(えづれ)家の庭に待望の桜が花開いた。夫と息子たちと暮らす江蓮てつ(吉永小百合)が大切に育てたその花は、やがて家族の約束となる。
しかし8月、本土が終戦に向かう中、樺太にはソ連軍が迫っていた。樺太に残る夫との再会を約束し、てつは二人の息子を連れて網走へと逃げ延びる。
時は流れ1971年、次男の修二郎(堺雅人)はアメリカに渡って成功し、米国企業の日本社長として帰国する。15年ぶりに網走へ母を訪ねると、そこには年老いたてつの姿があった。一人暮らしが心もとなく思えるその様子に、再び母と共に暮らす決意を固める修二郎。しかし想いあうがゆえに母子はすれ違いを重ね、立派になった修二郎に迷惑をかけたくないと、てつは一人網走に戻ろうとする。
母に寄り添いたいと願う修二郎は、二人で北海道の各地を巡り、共に過ごした記憶を拾い集めるように旅を始める。再会を誓った家族への想い。寒さと貧しさに耐え、懸命に生き抜いた親子の記憶。戦後の苦難を共にした懐かしく温かい人々との再会。幸せとは、記憶とは、そして親子とは。
そして満開の桜の下で明かされる、衝撃の結末――
(
公式サイトより)
「北の零年」「北のカナリアたち」に続く、「北の三部作」との事・・・零年は観たけど、真ん中のカナリアは観てないと思います
でも、3つは話の繋がりは無いですから、全然大丈夫っす
1945年のオープニングのシーン・・・役柄より俳優・女優さんとして目に入ってしまう俺・・・阿部寛さんと吉永小百合さんが夫婦
・・・申し訳ないですが、とっても違和感を感じちゃいました
時代は変わり、1971年。次男・修二郎はすっかり出世しちゃったんですね・・・それにしても「ミネソタ24」って、コンビニ+ホットドッグ屋さん
どこの実在店舗をモチーフにしているのか
結構キツめの修二郎なれど、母親の話となると顔色が変わり、一目散に会いに行ってます。・・・が、その母てつは、記憶障害になっている・・・
てつを向かい入れて一緒に生活する修二郎なれど、様々なトラブルを起こしてしまうてつ・・・本人は決して悪気は無いんだけに、そして、てつ自身が、息子に迷惑を掛けたくないという気持ちも感じて、辛いシーンが続きますね・・・
そういった1971年のシーンの合間に、過去のシーンが何度も出てきます。
そこには、夫を亡くし、激動の時代、厳しい北の大地で、二人の子供を必死に育てるてつの姿が、これでもかという程出てきます
こんな過酷な生き方をして、更に兄までも・・・年老いたてつの言動を責めることは出来ないっす
・・・という感想とは別に、この作品全体を通して感じたのは、「詰め込み過ぎ」という点です。
北の自然はタイトルも絡んでいるのでアリとしても、戦争あり、事件あり、遭難あり・・・波乱万丈だったという訴えは分かりますが・・・
更に、劇場シーンも絡めたり・・・
キャストもちょっと詰め込み過ぎって感じがします。主題がブレてしまってる気がしました
ちゅうことで、「ミネソタにじゅうよ~ん」
という音楽が耳に残りまくり・・・で、40点
※あくまで個人的主観ですので、気分害されましたら申し訳ありません