先日訪れたイタリアの豊かさを実感した筆者は、日本の生産性はどうなっているのかを知りたくて、ググってみると、下記のちゃんとした文献に出くわした。
メディアでも報告されているだろうけど、どうせお座なりの報告しかなされていないのだろうと思ってしまう。
骨だけを少し下記してみたいと思う。これは、私的抜粋。
そこには、僕にとっては大きな発見があった。
労働生産性の国際比較 2011年版 (http://www.jpc-net.jp/intl_comparison/intl_comparison_2011_press.pdf)
公益財団法人 日本生産性本部
1.日本の労働生産性は、766万円/一人/年 : OECD34か国中 20位
デフレによる購買力、換算レートにより対前年比、5.8%アップになっている。
しかし、トップのルクセンブルグの56%
二位のノルウエーの62%
三位の米国の66%
イタリアの83%
の生産性でしか無いのだ.
2.日本の時間当たりの生産性は、4、389円/一人/時間 :OECD中 19位
トップのルクセンブルグ、ノルウエーの 52%
アメリカの66%
イタリアの90%
なのだ。
3.製造業の労働生産性は、776万円/一人/年 : OECD中 10位
トップはアメリカで、日本はその63%でしかなく、
イタリアの24%増しということになる。
しかも、この経過をたどってみると、年々、相対的にOECDの中で生産性が 下がってきて来ているということが分かる。
1990:2位 ―>1995:1位 ―>2000:2位 ―>
2005:8位 ―>2010:10位 (アメリカの63%に過ぎない)
これらの数字をどう読み解くのかは、難しい課題だろうが、敢えて私的な感覚論を述べる。
強い強いと言われていた日本の製造業の生産性が著しく低下していることは印象的だ。
旧態依然の経営の産物でもあろうし、旧態依然の労働者側の業務能力の低迷を示すものかもしれない。
しかし、根っこはもっともっと日本社会の根源的な特質にあるのではないかと思う。
それは、
1. 意思決定が遅い:コンセンサスを重視しすぎて、決断が遅い
2. トップダウン型のリーダーシップが姿を見せない
3. 結果として、やるべき目標がきまらない、明確ではない
4. 結果として、何も生まない「待ち時間」という不毛な時間が流れる
5. GDPではプロセスはその対象ではないから、いくら考えていても成果でない
6. 結果として、効率の悪い会社経営、社会経営がまかり通っている
7. 機会損失ということに対する経営視点、行政視点が決定的に欠けている
たとえば、東日本大震災の3.11からもう1年5ヶ月が経った。
しかしながら、地域復興の完成はいまだ見えない。モデル・ケースさえも見えない。
がれきの処理すら、一歩も前に進まない。
ここにも、政府の意思決定の遅さ、地域の意思決定の遅さが、その復興を妨げていると見ることができる。
そして、GDPとしては何も生まない膨大な資源(人的、時間的、金銭的)を、時間とともに食い尽くしていっている。結果として、空しく時間が過ぎていく。
しかも、国民はすべての決定を「お上」に任せきりなのだ。
誰も機会損失という損害を、自分たちが蓄積しつつあることを意識もしていない。
非常に効率の悪い資源の使い方、資源の無駄な使用のくり返しをやっているわけだ。
このへんを改めない限りは、日本の成長は望めないわけだ。