Peter, Paul and Mary - There But For Fortune
乾いた冷たい風が吹いた2月後半の週末。
1ヵ月半ぶりに帰省したKenchen の…昨日は…誕生日だった。
2月23日…あの年の雪が降る日に彼は生まれたのだった。
Kaiapua も交え3人で家族の誕生日を祝ったのは何年ぶりのことだろうか。
そんなに古い話ではないはずなのに、それが全く思い出せないなんて。。。
それほど余裕のない、この10年間だったのかもしれない。
Kenchen が仙台に向けて出発した後、Kaiapua がたまたま聴いていたのは
Peter Paul & Mary の “Songs of Conscience & Concern”というアルバム。
その中で特に今日の私の心にしみ込んできたのがこの曲、
“There but for Fortune" (歌詞はこちら)だった。
“There but for fortune, go you or go I ” とは、「もしかすると、あなたか私がそこに行っていたのかもしれない。我々はただ運がよかっただけのこと…」というような意味だろうか。
昨夜は食事の後、遅くまで3人で語り合った。
そのとき、Kenchen もKaiapua 同様、ある重要な面において価値観を共有できる世界に生きている
ということに気づいた。
明確な根拠もない差別意識から生じるすべての暴力を認めるわけにはいかない。
「すべての暴力」とは物理的なものだけをさすのではなく、無関心であることも含め、あらゆるハラスメントを含むということだ。
差別を正当化しうる根拠など、一つも存在しないと思っている。
したがって、不遇な状況にある人に対し、何ら共感を持たない人間が多数派であるかのように感じられる世の趨勢は、私には受け入れがたいのだ。
“There but for fortune, go you or go I ”
あえて言葉にするようなことではないが、私が大切にしてきたものが Kaiapua と Kenchen に継承されつつあることに深い感慨を覚える。
それと同時に、それぞれに生きづらい道を進もうとしている二人の行く末を見守ることが私の役目だということを、再確認したのだった。
::::::::::::::::::::::::::::::::::
明日からの1週間が、誰にとっても穏やかな日々でありますよう。。。
乾いた冷たい風が吹いた2月後半の週末。
1ヵ月半ぶりに帰省したKenchen の…昨日は…誕生日だった。
2月23日…あの年の雪が降る日に彼は生まれたのだった。
Kaiapua も交え3人で家族の誕生日を祝ったのは何年ぶりのことだろうか。
そんなに古い話ではないはずなのに、それが全く思い出せないなんて。。。
それほど余裕のない、この10年間だったのかもしれない。
Kenchen が仙台に向けて出発した後、Kaiapua がたまたま聴いていたのは
Peter Paul & Mary の “Songs of Conscience & Concern”というアルバム。
その中で特に今日の私の心にしみ込んできたのがこの曲、
“There but for Fortune" (歌詞はこちら)だった。
“There but for fortune, go you or go I ” とは、「もしかすると、あなたか私がそこに行っていたのかもしれない。我々はただ運がよかっただけのこと…」というような意味だろうか。
昨夜は食事の後、遅くまで3人で語り合った。
そのとき、Kenchen もKaiapua 同様、ある重要な面において価値観を共有できる世界に生きている
ということに気づいた。
明確な根拠もない差別意識から生じるすべての暴力を認めるわけにはいかない。
「すべての暴力」とは物理的なものだけをさすのではなく、無関心であることも含め、あらゆるハラスメントを含むということだ。
差別を正当化しうる根拠など、一つも存在しないと思っている。
したがって、不遇な状況にある人に対し、何ら共感を持たない人間が多数派であるかのように感じられる世の趨勢は、私には受け入れがたいのだ。
“There but for fortune, go you or go I ”
あえて言葉にするようなことではないが、私が大切にしてきたものが Kaiapua と Kenchen に継承されつつあることに深い感慨を覚える。
それと同時に、それぞれに生きづらい道を進もうとしている二人の行く末を見守ることが私の役目だということを、再確認したのだった。
::::::::::::::::::::::::::::::::::
明日からの1週間が、誰にとっても穏やかな日々でありますよう。。。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます