学生の頃って「勉強」というと
ガチガチに固められた「定義」。「規則」を学ぶって感じがするけれど、
今振り返って色々と調べたり、スゴイ人たちの話を読んだり聞いたりすると
全く逆なんだなーってことを気付かされますな。
よく「人生は日々勉強することだ」。
なんて聞きますが、まったくその通りなんだなと思うようになりました。
世界は揺らいでいる。
今も自分が信じているガチガチな世界ではなく
色々な見方があり、その見方によって形があまりにも千差万別あり、
本当に決った形なんてないんだなぁって感じるんですよね。
物質とは粒子である。
なんて当たり前に考えているけれど、
ちょっと前に「波」と「粒子」って同じもんなじゃね?
なんて感じることがあった時に「うーん??」なんて悩んで
後に「量子力学を哲学で考える」みたいな本を斜め読みしてた時に
「実験的に同じ言い方ができるもの」という理屈をみつけて
ちょっと納得した覚えがあります。
普通に考えたら「波」というものと「粒子」ってものが同じって考えるの難しいんだけど
感じることなら出来るんじゃないかなぁ。
明け方まで仕事していると妙に頭が冴えてしまうから
おかしなことを思いつくんでしょうな。
でもそれだって、いっぱい無駄な情報を蓄えていってるおかげでの思い付きなわけで
見方を変えるというのは、そういう雑多な情報が必要なんじゃないかなぁ。
と、思うにあたるようになったのです。
だからこそ、今の若くして色んなことに絶望している人たちには
「色んなものを見ろ」と先達がおっしゃるのだと思います。
あ、上司に呼び出されました…。
飯に行ってきます。
ガチガチに固められた「定義」。「規則」を学ぶって感じがするけれど、
今振り返って色々と調べたり、スゴイ人たちの話を読んだり聞いたりすると
全く逆なんだなーってことを気付かされますな。
よく「人生は日々勉強することだ」。
なんて聞きますが、まったくその通りなんだなと思うようになりました。
世界は揺らいでいる。
今も自分が信じているガチガチな世界ではなく
色々な見方があり、その見方によって形があまりにも千差万別あり、
本当に決った形なんてないんだなぁって感じるんですよね。
物質とは粒子である。
なんて当たり前に考えているけれど、
ちょっと前に「波」と「粒子」って同じもんなじゃね?
なんて感じることがあった時に「うーん??」なんて悩んで
後に「量子力学を哲学で考える」みたいな本を斜め読みしてた時に
「実験的に同じ言い方ができるもの」という理屈をみつけて
ちょっと納得した覚えがあります。
普通に考えたら「波」というものと「粒子」ってものが同じって考えるの難しいんだけど
感じることなら出来るんじゃないかなぁ。
明け方まで仕事していると妙に頭が冴えてしまうから
おかしなことを思いつくんでしょうな。
でもそれだって、いっぱい無駄な情報を蓄えていってるおかげでの思い付きなわけで
見方を変えるというのは、そういう雑多な情報が必要なんじゃないかなぁ。
と、思うにあたるようになったのです。
だからこそ、今の若くして色んなことに絶望している人たちには
「色んなものを見ろ」と先達がおっしゃるのだと思います。
あ、上司に呼び出されました…。
飯に行ってきます。