私の知り合いが「ハイエクかしこい、マジかしこい」って書いていたことを思い出したので
似たようなタイトルをつけてみたけれど、
そもそも理解できるような頭でもないので、
すごいかどうかもキチンと理解できていないsachiakiです。
いやさ、現在放送大学で「哲学・思想を今考える」を聞きながら勉強しているんだけど
ハイデガーといえば「存在と時間」で有名な哲学者でもあり、
その「存在と時間」があるからこそ物理学が面白いって話でもあるわけで
なんとなく本は買ってあるけれど、難しすぎて積読状態になっているところに
授業でそのエッセンスを抜き出してもらったので
俄然興味が湧いてきたところであります。
んでね、なんでそんな難しそうだなぁって敬遠していたのに
エッセンスを聞いただけで興味を持ったかといえば、
もともと
生きてるってなんぞや?
という問いについてちょいちょい思い憂いていたけれど
明確な答えって出会えたことがないし、
わたしが今ここにいるってことは証明できるのか?
なんて考え出した日にゃ、うわーーーーーー!!!!!
ってなることがあったわけで、それで哲学という答えのない問いを
ずっと考え続ける本や思考に出会ったわけで
その思考の最先端に近い「実存」というものについて
色々と思い巡らしてしまっていたところだったのですよ。
そんな「実存」についてうわーーーーーー!!!!ってなっている今
その授業の中でハイデガーは西洋哲学でいうところの
形而上学という分野から思考を発展させ
存在するものしか信じないのがニヒリズムであり、
ニヒリズムが蔓延するから人は苦しむのであり、
ニヒリズムを克服しなくてはならない。
それには「無」から考えを出発しなくてはならず
ザイン(実存)とはピュシス(自然・生まれる)へ立ち返るべきだ
としたようなのでござる。
正直まだ飲み込めていないし、間違えっている感じがプンプンしますので
どうやら最近のsachiakiは「実存」について考えこんでしまっているらしい
としておいてください。
そして、その「実存」についてものすごく深く考え
形而上学という、いわば机上の空論のような考え方を完成させ
別の考え方に移行した方が良い、
それは「なにゆえに」に導かれる次の思考を促すものになっていった…と。
って、ここまで書いてきたけれど、
たぶん読んでる人の半分以上が「だからなんなの?」ってなっていると思うので
ちょっと解説すると、
魂ってなんすかね?人間ってなんですかね?
という問いに対して、今まで人間が人間以上のものになるなんて考え方がなかったけれど
これからの「命」というものが「なにゆえに」それを「命」と定めるのか
というのはとてつもなく大切な概念になるはずなので
ここを思考の出発点としたハイデガーすごい。って話なのです。
脳死や、人工授精や体外受精、なんなら人口でその人の受精した細胞をデザインして
完璧に近い人間を生み出すことができるようになってきた技術。
そういったものができる段階になってきた現代において
「命」とはどう扱われるべきなのか、
そのためには「命」とはなんなのかを問わなくてはなりません。
常に「命」とは何か?と問い続けていないと
「命」の守り方さえ危ぶまれる現代ですから
「また小難しいことを〜」って笑っているだけじゃなく
ぜひみなさんにも考えていただきたいのでありますよ。
てなこったで、今日は異様に眠いのでこの辺にて。
そんじゃまたね。モイモイ
似たようなタイトルをつけてみたけれど、
そもそも理解できるような頭でもないので、
すごいかどうかもキチンと理解できていないsachiakiです。
いやさ、現在放送大学で「哲学・思想を今考える」を聞きながら勉強しているんだけど
ハイデガーといえば「存在と時間」で有名な哲学者でもあり、
その「存在と時間」があるからこそ物理学が面白いって話でもあるわけで
なんとなく本は買ってあるけれど、難しすぎて積読状態になっているところに
授業でそのエッセンスを抜き出してもらったので
俄然興味が湧いてきたところであります。
んでね、なんでそんな難しそうだなぁって敬遠していたのに
エッセンスを聞いただけで興味を持ったかといえば、
もともと
生きてるってなんぞや?
という問いについてちょいちょい思い憂いていたけれど
明確な答えって出会えたことがないし、
わたしが今ここにいるってことは証明できるのか?
なんて考え出した日にゃ、うわーーーーーー!!!!!
ってなることがあったわけで、それで哲学という答えのない問いを
ずっと考え続ける本や思考に出会ったわけで
その思考の最先端に近い「実存」というものについて
色々と思い巡らしてしまっていたところだったのですよ。
そんな「実存」についてうわーーーーーー!!!!ってなっている今
その授業の中でハイデガーは西洋哲学でいうところの
形而上学という分野から思考を発展させ
存在するものしか信じないのがニヒリズムであり、
ニヒリズムが蔓延するから人は苦しむのであり、
ニヒリズムを克服しなくてはならない。
それには「無」から考えを出発しなくてはならず
ザイン(実存)とはピュシス(自然・生まれる)へ立ち返るべきだ
としたようなのでござる。
正直まだ飲み込めていないし、間違えっている感じがプンプンしますので
どうやら最近のsachiakiは「実存」について考えこんでしまっているらしい
としておいてください。
そして、その「実存」についてものすごく深く考え
形而上学という、いわば机上の空論のような考え方を完成させ
別の考え方に移行した方が良い、
それは「なにゆえに」に導かれる次の思考を促すものになっていった…と。
って、ここまで書いてきたけれど、
たぶん読んでる人の半分以上が「だからなんなの?」ってなっていると思うので
ちょっと解説すると、
魂ってなんすかね?人間ってなんですかね?
という問いに対して、今まで人間が人間以上のものになるなんて考え方がなかったけれど
これからの「命」というものが「なにゆえに」それを「命」と定めるのか
というのはとてつもなく大切な概念になるはずなので
ここを思考の出発点としたハイデガーすごい。って話なのです。
脳死や、人工授精や体外受精、なんなら人口でその人の受精した細胞をデザインして
完璧に近い人間を生み出すことができるようになってきた技術。
そういったものができる段階になってきた現代において
「命」とはどう扱われるべきなのか、
そのためには「命」とはなんなのかを問わなくてはなりません。
常に「命」とは何か?と問い続けていないと
「命」の守り方さえ危ぶまれる現代ですから
「また小難しいことを〜」って笑っているだけじゃなく
ぜひみなさんにも考えていただきたいのでありますよ。
てなこったで、今日は異様に眠いのでこの辺にて。
そんじゃまたね。モイモイ