あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

今更29日の話/表現のギリギリってなんだろう

2014-05-06 | from:sachiaki
いよいよ連休も最終日となりましたね。
連日お仕事だったみなさんはお疲れさまです。
いつも以上に忙しかったのでしょうか?
コーヒーや紅茶でも飲んで一休み、一休み。

どうも。珍しく朝っぱらから日記を書きにきたsachiakiです。
もっと長く寝ようかとも思ったのですけれど、いったん目が覚めたのは良いことだと頭の整理にきましたよ。

で、その頭の整理の第一弾として29日のことを書いてなかったので思い起こしてみることにしました。
29日にお出かけしていたイベントについてはコチラからどうぞ。
っても、リンク先も29日のメモみたいなものですけれど…。

どんな内容だったかといえば「たたかえっ!憲法9条ちゃん」が発売無期限延期になったので
発売祈年イベントにしよう!というもの。(本当は発売記念イベントだった)
なんで発売延期になったの?表現ってどこまでならアリなの?!てのを、
編集者でもあり自ら著作を出されたばかりの岡田育さん/ハジの多い人生、
最近コミカライズされたことで注目株か!?架神恭介さん/戦闘破壊学園ダンゲロス 、
おセックスを真面目に考える鈴木先生こと武富健治さん/鈴木先生、
という豪華ゲストを迎えて、9条ちゃんの著作者である尾崎さんが色々と質疑応答するような感じ。

そもそも「憲法9条」という危ない題材を扱っての本ということで
右や左の人たちから狙われたりしないか?とイベント開始時にもビビッたりしてたんだから
やっぱり出版社側の危惧することってのは、ある程度予測できるような気がするんだけどw

を。てことは表現の規制って実はなにかのリスクを回避する為にあるのかい!?

なんてね。
結局そういうことみたいで。
メディアというのは常に損害リスク(金銭的・名誉的)をしょっているものであるとも言い換えることができるような。
つまり誰かがその表現するものに傷ついた!と声を上げたら
それに対処しなくてはならず、お金で解決するにしろ、たくさん謝って自粛するにしろ
その矢面に立つのが出版社だったりテレビ局であって、原作者たちと心中する運命にあるということなんですよね。
テレビ局はスポンサーで成り立つものだから、お金の流れってちょっと違う気がするけれど、
往々にして流すコンテンツと流すメディアには相互の覚悟みたいなものが必要ってことかな。

今の時代「○○が好きです」って言っても「私はそんなものは嫌いだ!ふざけんな」って言われるし
「□□が嫌いです」って言っても「それが好きな人のことも考えろ!馬鹿野郎」って罵倒される。
昔からいたと思うんですけどね、それでもこのSNS全盛期の時代、声の大きなものは強いですよね。
いかに少数でいままで切り捨てられていたとしても、今はそれが通ってしまう。
マジョリティにただ押しつぶされてきたマイノリティのことを思うと
基本的にはいいことだと思うんだけど、やっぱりそのままでは先に進めない気がします。

と、話が別に逸れてしまいそうなのでちょっと戻しましょう。
どうしても出版したいのなら、誰かが傷つく恐れがあるなら、誰もが傷つかない表現をすればいい。
もしくは訴えられない表現をすれば良いんじゃないか?
ということで、今回の9条ちゃんに関して出版社側は二つの選択肢を提示してきたそうです。
一つは表現としての単語を置き換えしましょうかってこと。
これは作家さんにとって言葉を大事にされているか、ストーリーを大事にされているかで
かなり苦しい選択肢になるところだと思うのですけれど、9条ちゃんに関してはストーリーが大事だということで
言葉を※置き換えていくので対応してみたみたいです。

そしてもう一つの選択肢が売れりゃええねん。なんぼ訴えられようともリスク以上の回収ができれば良いんだ。
その根拠となる数字を持ってこい!ってことのようで、
これで販売実績や、イベントの集客率という具体性が出版社を動かすことになるそうで…
営業さん仕事しなくていいですね(失笑)ってついなってしまいがちなのですけれど
出版不況と言われて久しい業界内のことを考えると、一番の薬だよなーって考えなおしちゃう。

そういうわけで実績作りとしてのイベントは大盛況に終わるんだけど、ちょっと待って。

※言葉の置き換えって具体的にどうするの?

一つの手段として表現自体をマイルドにする、という方法があるそうです。
9条ちゃんなら「白痴」を「」に。「キチガイ」を「」にって感じ。
そしてもう一つ。
これがバカなんじゃないか!?と思ってしまうんですけれど
新しい言葉を作るってことww
というと、これがねー、それなりに漫画などの新装版ニュースなど聞いてる人ならなんとなくピンとくると思うのですけれど
「ド低能」を「クサレ脳ミソ」に修正したニュースなんかは記憶に新しいのではないでしょうかw(それでも古い?
ニコニコ大百科にて→「クサレ脳ミソ
今まで怒られてきた言葉を使うのは、すでに撒かれたマキビシの上を歩くようなものだけれど
まだ使ったことのない言葉なら出版後に怒られる”かもしれない”という条件で発表できるってことみたい。
怒られると分かっているものと、怒られるかもしれない、ではかくも条件が違うのですね…。

ちなみに表現の規制っていうのは本当はとくになく、それこそ自由を約束されているものだから
この出す側の自主規制に任せているのが現状なんですよね。
だからあの出版社ではちょっともめ事起こってて、
この表現はまずそうだから別の出版社で…というのもありっちゃありなのかな。

そういうわけで、表現のギリギリっていかに損をしないで済むか?って話なのかなーって思ったり。
言葉狩りをし続けると、それこそ「図書館戦争」のようになってしまい
結局なにが使える言葉なのかが分からなくなっちゃう。
言葉だけじゃなくて、それこそ絵や写真にしてもこの損をするかどうかっていう考え方でいくと
ギリギリってどこなのかな?なんてことが分かる気がする。

でも結局「表現とは自由である」ことには変わりなく、
そこにストーリーや伝えたい大切なことを持っているなら挑むべきものなのかもしれないね。
どこまで時代と折り合えるか、それが作家さんの悶える表現のギリギリなんだと思う。
どんな言葉を使おうと、表現を使おうとも、大事なことは何を伝えたいか。
そんなことを思いました。

イベント自体は終止笑いっぱなしで和やかに進み、9条ちゃんの作者である尾崎さんも
素晴らしいイベントになったとブログに記されていましたよ☆

これからも表現の自由ってなんだ?って話は何度も出てくるのでしょうけれど、
リスクの置き場をどこにするかで回避できること、押し通すことって可能なのかなと思いました。
まぁ自分は表現者ではないので、あまり関わることはなさそうですけれど
Twitterなんぞでいつどこで噛み付かれるかも分かりませんからなぁ。

みなさんもなぞの噛み付かれなどにお気をつけて!
それではね!モイモイ☆
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