さっき御神木と親しまれていた木の伐採が決まり、
そこにマンションが建つと言うニュースを見て
植林するのでもなく、神社であっても土地売って
マンションが建つんだなぁ
なんてことを思っていたsachiakiです。
その神社はだいぶ前から訪問する人もおらず
(ていうか、たぶん管理する人もいないので
立ち入り禁止になってた)
大きい木だけが目立っていて
ちょっとした目印にしていたんですけれど、
住民から伐採を拒否されていたものの
樹齢の問題から幹が80%も空洞化しているので
伐採することになったというのです。
で、伐採するまではわかるんだけど、
その後がマンションになるというので
へぇえぇってなってたのです。
すでに大手ゼネコンが開発を担っていたものの
ずっと開発ができなかったそうなので、
土地持ってる人がとっくに手放していたんだなぁと。
だからまぁそうなるのは仕方ないね
なんてことを思ったりです。
でさぁ、他にも国立公園にソーラーパネルができたりとか
そういうのもあるけれど、
結局国が守るべき自然を守ることもできないので
個人が所有する土地程度じゃどうにもならんのやろね
なんてことを思いました。
土地を持ってるだけじゃお金にならんというか
利益というものを生きるための糧と考えるなら
利益が生まれないものを放置してる、
というか、むしろ管理費だとかなんとかで
マイナスになるようなものは手放したい
っていうのはあまりに当然な話なんですよね。
国立になろうと国に管理をし続けるお金がないなら
そりゃお金を作るためになにをするかって
まぁ管理する部分の一部を貸したり売ったりして
そこで利益を得るという方法も採択されるよね〜って。
守りたいものを財団化して守ろうとしても
それを守るための資産が別途必要で
それこそ湯水のように溢れて入ってくる資金が必要ってことで
そういう資金が入る仕組みを考えると
やっぱりなにかを傷つけたり奪ったりするので
争いっていうのは守りたいものを守るためにおこるもので
欲しいから奪いたいっていうような
簡単な話じゃないことの方が多いんだろうな
なんてことを思ったりしてました。(今頃!?)
お互いの正義がぶつかるから解決しない
なんて話がまことしやかに言われていて
実際そういう信念でぶつかってることもあるけれど、
じゃぁそういう抽象的な話で膠着しちゃってるとき
なにで解決への糸口を見つけたら良いか?となると
それは利益がどこにあるのか?
という風に考えた方が現実的なんだろうなって
そんなことを思ったところです。
もうちょっと書きたいことがあるんだけど、
ちょっと別のことを考え始めてしまったのでこの辺にて。
モイモイ。
木にも寿命があり、腐って倒れたりしたらけが人が出るかもしれません。
神宮外苑の木の伐採も同じです。自然を知らない都会の人間が自然を守れと勝手なことを言います。再開発に大資本が入ることがいやなのでしょうか。
自分の知り合いのガーデニストも伐採は間違ってないと言っています。
でも選挙中に逃げまわってきちんと説明しなかった百合子の責任も大きいでしょう。
正直住民がどうこうできるものじゃなかったと思います。
で、他の木の伐採についても寿命だったり病気だったりで、伐採は当たり前のことだと思うので、むやみに反対することはないと思うんですけれど、伐採のその後を考えていないというか、伐採して土地できたからマンションとか建てようぜ!っていうのが違うんじゃないかなって思います。
神宮外苑の伐採も説明責任が足りてなかったこともアレですが、その後の植林して管理するって話ではなくて、人が多く集まれる場所にするっていう考え方がバッティングしたんだろうなって思います。
再開発に思い描く未来像を結ばないのが嫌なんんじゃないでしょうか。
人間主義で突き進んだ先の先細り感は焼き畑みたいだなぁとも思います。
とはいえ、都市設計というものもあるので、文句あるならちゃんと内容を見て詳細に検討して実現可能かどうかなども見た方がいいよねって思います。