今日は約半年ぶりに
軍事アナリストの方のYoutubeを見ていたんですけれど
人間って今まさに戦禍にある時でさえも
軍事の話なんかよりセレブのゴシップの方が
注目度が高いという話を聞いて
そういうもんかもしれないなぁ
なんてことを思っていたsachiakiです。
で、ゴシップに関してはそうなのかもねって
感じる人も多いと思うんですけれど、
それと同じくらい、人って会話してるつもりでも
人の話を聞いてなくて自分の話をする隙を狙ってる
みたいなところが多分にあるような気がしています。
で、そのターンをより多く自分が得られたら
めっちゃスッキリするっていうのがあるんじゃないでしょうか。
だからこそ人の話を聞くだけの場所っていうのがもてはやされるし
話を聞いてくれる人(アドバイスなどしない人)が
ものすごく貴重に感じられるんじゃないでしょうかね。
そして、その話を聞いてくれる人っいうのに対して
無意識の申し訳なさのようなものを抱くから、
もしくは自分よりも力のある人には弱みを見せたくないから
目下のように扱って良い人にしか話をしないのかもしれません。
たとえばガールズバーだったりホスト、キャバ嬢
そういう人たちもそういう聞き専のお仕事だと思うし、
無意識に下に見ている意識ってあるような気がします。
ホステスに説教しまくる人とかさ
たぶんそういうやつなのよね。
数年前にフォリピンで日本人相手の
日本人が経営しているバーの人のエッセイ漫画を読んでた時も
いきなりホステスに水をかけて怒鳴りまくって
ホステスが謝りまくってそれで落ち着いたと
飲み始めるおじさんの話なんかがあったんだけど
たぶんどこかで振り上げた拳の行き所がなくて
自分が上の立場になれるところで振るうしかなかったんでしょうね。
こういうのも含めて、人は相手のことなんて考える余裕なんてものは
あまり持ち合わせていないんだろうと思います。
もちろん上記のようなアチャーな人は
そう多くはいないと思いますけれど、
我が身を振り返って人の話をちゃんと聞いてるって人は
そんなにいないんじゃないでしょうか。
聞き役ばかりで損している、って感じる人は
おそらく別の人にその愚痴をこぼしているし
そういう時は聞いてくれる相手のことなんて
ほとんど考えてないと思います。
愚痴を言い合うのも一つのコミュニケーションなので
言い合っているのならOKだと思うんですけどね。
そんなことを久しぶりに思い出したので書いてみました。
とくにオチはないです。
前半の軍事うんぬんについては
ウクライナとシリアの話が気になったという感じです。
世界はずっとキナ臭いのに平気で笑っていられたり
なにも心配せずに寝てられるのは
それなりに平和だってことなのでしょう。
それではまた。モイモイ