11月に入ってまた乾燥する季節に突入したことを感じるsachiakiです。
冬は乾燥に悩まされるのでシンドイですね。
とくに生活リズムが狂いやすいお仕事をしているせいか
肌へのダメージが強いのだろうなぁと想像しています。
保湿しても保湿しても追いつきゃしねぇ……。
よく言われる対策として、
肌に良いもの食べなさいってやつだけど
ナッツ類なんてそうそう食べないじゃん?
あとは魚介類の中でも光りものである「さば」や「さんま」。
どちらも大好物ですが、
これもそんなしょっちゅう食べるものじゃないしなぁなんて。
とりあえず友人が言っていた
お風呂に上がる前、軽くタオルドライした後で
化粧水をこれでもか!ってつけてから乳液でふたをして
肌をふっくらさせてから浴室を出るっていうのが効果ありそうだなぁ
って思ったので、お風呂場に置いておく化粧水でも買ってこよう
なんてことを思ったりです。
と。
なんか他に考えていたことがあって
それについて書こう!って思っていたのに
忘れてしまいました。
たぶんフェミ関連の話だったと思います。
人権意識から出てくるはずのフェミニズムが
女性上位イズムとして誤認されることが多いことへの不満だとか
そんな話です。
炎上仕掛けている側の気持ちもわからんでもないけどね。
やっぱ気持ちよくはないですもの。
女性ってだけで「性的対象として消費して良い」っていうのは。
誰だってそりゃ脳内で「うぁ、いい乳してんなぁ」とか
「あの男性の腕の中に埋もれたい」とか
そういうのはあるんでしょうけれど、
それを表に出すか出さないかっていうのはTPOってものがあって
それはその人を尊重する上でも大事な要素だったりするわけで
脳内で思っていることをSNSなどで書いてしまって
「気持ち悪い」って言われたりしたあとに
「SNSで言うこともできないのか!」って憤慨する人もいるけれど
いや、言ってもいいと思うけれど、気持ち悪いって思われてるだけだよ
っていうすごく当たり前のことだと思うんですね。
だから人様の前で言うことかどうかってことを考えろってだけなんだけど、
なぜか白黒思考的に「思うことさえも許されないのか!」って
いう人がいるんだけど、いや、それは許されてるぞって思う訳。
だけど言うな、表すなってだけなんだってこと。
で、それはそれとして。
表現というものの自由があるわけです。
それはどんだけ人が気持ち悪く思っても表現して良いってもので
時には公序良俗から離れていることもあると思うんです。
ハリウッドに限らず、様々な映画や娯楽表現の中で
現実だったらアウトだって表現はいくらでもあります。
だけど、それを見るのは見る側の選択肢として提示されていて
「見ない自由」ってのもあるんですよね。
その「見ない自由」ってものさえも奪われてしまう
公共の場に不快なものがあるのが耐えられない
っていうのが「表現の自由」に対してのアンチなのだと思います。
それはそれでしかるべき問題だと思うし、
公序良俗とはなんぞや?というテーマに置き換えることもできると思います。
映画などでは「R18」「PG12」など対象をしぼった対策がされているし
本屋さんなどでは ここから先はアダルトです みたいなゾーニングがされていますよね。
そういったものが街に掲げられる広告類にはないってことが
ちょっとした問題なんじゃないか?ってのはあると思います。
例えば一昔前のビールの広告ポスターなんかは
大人が立ち寄るところにしか貼られていなかっただろうし、
それがより大人になることの淫靡さや憧れに通じるものはあったと思います。
今はインターネットを開けば大人も子供も関係なく
それらが衆目の前にさらされることになり
決して気持ちの良いものではないことも理解できます。
女性下着の看板広告なんかはデカデカと出すなよ……
っていう気持ちもあったりします。
でもさー、公共というには違う場で
様々な人々が喜びを重ね合うように築いてきたものを
「これが不快だ!」っていうのは公序良俗っていうのとちょっと違うじゃん。
お気持ち一つってやつじゃん。
とくに世俗的な風習などで淫靡なものが重ね合わさっている
裏面的なものがあるのもなかったことにするように
「性が搾取されている!!」っていうのはおかしいじゃん。
誰が搾取されてるんだよって思うじゃん。
いやさ、わからんでもないよ。
可愛い女の子の絵がエロい目で見られるってことは
引いてみると「女性」という概念がエロいって思われてるってことだから
気持ち悪いってのめっちゃわかるよ。
だからこそ「女性」だと自分を受け入れるのに時間がかかったのが私だし、
性自認として色々と揺らいでいたっていうのもあるけれど
大きな理由として立ちはだかっていたものが
「性的に見られたくない」だからわかるよ。
だけど、「自分がそう見られたくない」っていうのと
他人が同じとは限らないじゃない。
もっと自分と他人との境界をちゃんと持とうよ。
そのぐらいの理解度や人と関わるときの解像度ぐらい持っとこうよ
って思う訳です。
他にも色々と思うところはあったんだけど、
なんだかんだでちょっと長くなったので一旦終わり。
むちゃくちゃ眠たいのでこの辺にて。モイモイ。
冬は乾燥に悩まされるのでシンドイですね。
とくに生活リズムが狂いやすいお仕事をしているせいか
肌へのダメージが強いのだろうなぁと想像しています。
保湿しても保湿しても追いつきゃしねぇ……。
よく言われる対策として、
肌に良いもの食べなさいってやつだけど
ナッツ類なんてそうそう食べないじゃん?
あとは魚介類の中でも光りものである「さば」や「さんま」。
どちらも大好物ですが、
これもそんなしょっちゅう食べるものじゃないしなぁなんて。
とりあえず友人が言っていた
お風呂に上がる前、軽くタオルドライした後で
化粧水をこれでもか!ってつけてから乳液でふたをして
肌をふっくらさせてから浴室を出るっていうのが効果ありそうだなぁ
って思ったので、お風呂場に置いておく化粧水でも買ってこよう
なんてことを思ったりです。
と。
なんか他に考えていたことがあって
それについて書こう!って思っていたのに
忘れてしまいました。
たぶんフェミ関連の話だったと思います。
人権意識から出てくるはずのフェミニズムが
女性上位イズムとして誤認されることが多いことへの不満だとか
そんな話です。
炎上仕掛けている側の気持ちもわからんでもないけどね。
やっぱ気持ちよくはないですもの。
女性ってだけで「性的対象として消費して良い」っていうのは。
誰だってそりゃ脳内で「うぁ、いい乳してんなぁ」とか
「あの男性の腕の中に埋もれたい」とか
そういうのはあるんでしょうけれど、
それを表に出すか出さないかっていうのはTPOってものがあって
それはその人を尊重する上でも大事な要素だったりするわけで
脳内で思っていることをSNSなどで書いてしまって
「気持ち悪い」って言われたりしたあとに
「SNSで言うこともできないのか!」って憤慨する人もいるけれど
いや、言ってもいいと思うけれど、気持ち悪いって思われてるだけだよ
っていうすごく当たり前のことだと思うんですね。
だから人様の前で言うことかどうかってことを考えろってだけなんだけど、
なぜか白黒思考的に「思うことさえも許されないのか!」って
いう人がいるんだけど、いや、それは許されてるぞって思う訳。
だけど言うな、表すなってだけなんだってこと。
で、それはそれとして。
表現というものの自由があるわけです。
それはどんだけ人が気持ち悪く思っても表現して良いってもので
時には公序良俗から離れていることもあると思うんです。
ハリウッドに限らず、様々な映画や娯楽表現の中で
現実だったらアウトだって表現はいくらでもあります。
だけど、それを見るのは見る側の選択肢として提示されていて
「見ない自由」ってのもあるんですよね。
その「見ない自由」ってものさえも奪われてしまう
公共の場に不快なものがあるのが耐えられない
っていうのが「表現の自由」に対してのアンチなのだと思います。
それはそれでしかるべき問題だと思うし、
公序良俗とはなんぞや?というテーマに置き換えることもできると思います。
映画などでは「R18」「PG12」など対象をしぼった対策がされているし
本屋さんなどでは ここから先はアダルトです みたいなゾーニングがされていますよね。
そういったものが街に掲げられる広告類にはないってことが
ちょっとした問題なんじゃないか?ってのはあると思います。
例えば一昔前のビールの広告ポスターなんかは
大人が立ち寄るところにしか貼られていなかっただろうし、
それがより大人になることの淫靡さや憧れに通じるものはあったと思います。
今はインターネットを開けば大人も子供も関係なく
それらが衆目の前にさらされることになり
決して気持ちの良いものではないことも理解できます。
女性下着の看板広告なんかはデカデカと出すなよ……
っていう気持ちもあったりします。
でもさー、公共というには違う場で
様々な人々が喜びを重ね合うように築いてきたものを
「これが不快だ!」っていうのは公序良俗っていうのとちょっと違うじゃん。
お気持ち一つってやつじゃん。
とくに世俗的な風習などで淫靡なものが重ね合わさっている
裏面的なものがあるのもなかったことにするように
「性が搾取されている!!」っていうのはおかしいじゃん。
誰が搾取されてるんだよって思うじゃん。
いやさ、わからんでもないよ。
可愛い女の子の絵がエロい目で見られるってことは
引いてみると「女性」という概念がエロいって思われてるってことだから
気持ち悪いってのめっちゃわかるよ。
だからこそ「女性」だと自分を受け入れるのに時間がかかったのが私だし、
性自認として色々と揺らいでいたっていうのもあるけれど
大きな理由として立ちはだかっていたものが
「性的に見られたくない」だからわかるよ。
だけど、「自分がそう見られたくない」っていうのと
他人が同じとは限らないじゃない。
もっと自分と他人との境界をちゃんと持とうよ。
そのぐらいの理解度や人と関わるときの解像度ぐらい持っとこうよ
って思う訳です。
他にも色々と思うところはあったんだけど、
なんだかんだでちょっと長くなったので一旦終わり。
むちゃくちゃ眠たいのでこの辺にて。モイモイ。
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