突然ですけれど、みなさんは寺山修司さんというとなにを思いますか?
いわゆる難解、シュール、摩訶不思議など演劇の小難しいイメージを持たれるのではないかと思います。
私もこの人の書く話って『毛皮のマリー』くらいしか知らず、
あとはパンダから昔もらった『ポケットに名言を』のイメージしか持ってなかったんですよね。
まぁこの2つでさえ、かなり寺山さんて人はまっすぐな表現をしない人だって想像できるんですけれどw
で『青森県のせむし男』というストーリーのあらすじなんですが
青森の名家・大正家に仕えていたマツが大正家の跡取り息子に体を奪われ、身ごもったことから世間の評判を気にした大正家夫妻によって、その嫡男と結婚させられる。しかし、生まれてきた赤子は背中に墓石を背負ったようなせむしであった…。母と子供の怨念や生まれてきたこと自体の哀しさ、さらには男と女という性の情念の世界が描かれる。
ー「青森県のせむし男フェス」さんより
という感じなのです。
あらすじでもだいぶ「?」ってなること請け合いなんですけれど
これが演出によってまるで違うものになるから不思議なんですよ。
楽園王さんの前に別の劇団さんが演じてらしたのだけど、
シュールではあるけれど、比較的ストーリーも入りやすく
あれ?寺山修司ってこんなだったっけ??って感じだったんですよね。
傍観者として独り語りをする仏が鎮座してたり、
なんていうか思っていたより全然分かりやすいなって思っちゃったんですよ。
でもこれって、ストーリーをただ演じてた。に近かったんだなぁって
二本目の楽園王さんのものを見て圧倒されてしまいました。
まず背中に暮石という表現。
あれは一人の乙女が恥によって殺された(乙女でなくなった)こと
そして話の途中に挿入される黄色い蓮花が生まれる夢で
(黄色い蓮花が咲くと一人人が死ぬ)で
案に誰かが死んでいること、でもそれが誰か分からないことが提示されます。
この誰が誰であるのか分からないというのが非情に重要で、
ストーリーで出てくるマツキチ(せむし)が最初はマツさんの捨てられた赤子なんじゃないかと
そういう風に見せられるのですが、そのマツキチが子供の頃から見る夢で
上記の蓮花と誰か分からない女を追っかけるというのです。
そして不思議なことにその女を追っかけてはならないという声もするのだとか…
せむしで生まれ、人に蔑まれ、唯一人に交じれるのが鬼ごっこ。
鬼ごっこではいつも自分は追いかけるだけ。
誰も捕まってくれないし、ヤメようとすると追いかけろと言われる。
自分はなんなんだろうか。なんの役割で生まれたのだろうか。
この辺りで私なんかはウルッとしてしまうのですけれど、
そうするといきなり舞台の方から突っぱねるようにコミカルな音楽と歌。
笑えるかギリギリのコントなんかもあったなぁ…。
とにかくそのすごくマジメになりそうになるとコミカルにつっぱねられる。
これって、なんかこう世間に対して真面目に挑もうとすると
小突かれたりバカにされたりするのにすごく似てる。気持ち悪い。
そしてマツキチは人との交流ができなく、鬼のままできてしまったからか
永遠の少年のようでもあります。
背中の墓石はランドセルに置き換わっていました。
せむし=背負うものという置き換えと共に子供のままというのが分かりやすいですね。
この少年マツキチ(本当は30歳になる)は北の国にて盗みに入ってしまいます。
(おそらく30歳になるまで彼は仕事をしたことがないと思います)
その窃盗先にて心から待ち望んだおっかさん…を家の女主人に見いだします。
そしてそれは女主人も同様で、捨てたと思っていた赤子が帰ってきたと
喜んでもてなすのですが…
ある晩村の人たちがいっせいに同じ夢を見るのです。
そうあの黄色い蓮花が咲く夢を…
彼は女主人によって恥ずかしめを受けました。
村の誰かが言います。
「母子の情愛は良いものだと思っていた」「だけどあんたはあの峠にマツキチを連れ出し」
「あろうことか彼に破廉恥なことをした」「あんたはもてなす客をいつもそうしていたんだ!」
そこで高らかに女主人は笑い、なんと彼は自分の子供ではないというのです。
彼女はたしかに赤子を生んだ。けれども、その子はすぐに捨てられた。
それを下男が可哀想に思い赤子を救おうとした…
しかしその子のあまりの醜さに驚いて彼女に見せにきた、というのです。
そして彼女はその背中にある自分のお墓(乙女の心というべきかな?)を見、
呪いが恨みが実ったのだと、自分の運命がそこに現れたのだと恐れ
あろうことか彼女自身が赤子に手をかけて川に流したというのです。
その後ずっと家の人間にいびられながらも生き続け、とうとう実権を手に入れたら
30年という時間が経っていたというのです。
あんまりな人生じゃないですか。
そんな女主人に子供がかつていたという噂を聞きつけて
時折若い男が訪れるのだけれども、女主人は快く受け入れるフリをして
峠で彼らを辱めるのです…。あの時、自分がされたことを同じ場所で!
深い深い情念、怨念。苦しみ、悲しみ。
想像するだけでも苦しくなります。
ちょっと前に表現の自由を考えるで見た「すべての金玉、爆発しろ!」に通じるものがあります。
※ダンゲロスの中にあるレイプされた後に出た女の子からのセリフです。
そしてそれと同じことを、村の人たちがあの時の赤子と思っていた彼にまで行ったというのです。
結果論として、マツキチは夢のお告げの通り、
どんだけ苦しくても女の影(おっかさん)をおっかけてはいけなかったのです。
またマツキチは傍観者たち(話には絡まないけれど、ストーリーの説明的に出てくるものたち)から
自分になれと言われますが、「自分になるのは難しい」と言います。
これ、実は私も「自我と自己」でずいぶん悩まされているため、
マツキチの言う「自分になるのは難しい」というのがものすごく切迫したりして…
人を通してでしか見えない自分。
常に私は誰なんだという不安。
そして自我を持たない分、人からは従順に見え子供のまま。
これがどんだけ地獄であるか。
それはほとんどのかつて優等生だった人間が感じていることではないでしょうか。
ときおり外国人は日本人がひどく幼稚だと言いますが、
多分このアイデンティティーを持たないことについて苦言しているのではないかと思ってみたり。
マツキチは女主人のマツさんに無理矢理「男」にされ
その後どうなったのでしょう…
マツさんと同じで無理矢理「女」にされたことで怨念を燃やし
女の敵となってしまったのでしょうか…
話はマツとマツキチの通じてしまったこと、
それを傍観者に独白するマツさんの描写で終わってしまうけれど
どうか二人があれ以上苦しまないで欲しいと願うばかりです。
そういえば、かごめかごめを何度も聞かされたのですけれど
♪か~ごのな~かのせ~む~し~、
♪い~つ、い~つ、で~や~る
♪よ~あ~け~のば~んに~、
♪ち~ちとは~はがす~べった~、
♪後ろの正面だぁ~れ
と、二番を歌詞改変されていたんですよね。
これも父と母が不在なせむしことマツキチが
いつせむしという背負子を捨てて自分になれるのか
っていう歌詞だったのかなぁとかなんとか。
と。
まださらに分解していこうとするとポコポコ思いついてしまうのですけれど
人によってまた感想も違いそうなのでこの辺にて終わりにしようかと。
とにかく今まで見てきた演劇の中で最高峰でした。(私の見たものなんてたいした数もないけれど…)
あんまりにガッツリとやられてしまったので、
昨日今日とほとんど頭使ってなかったのが悔やまれますw
明日は文フリもあるし、また色々インプットしていきたいですね。
それでは長くなってしまいましたけれど、「あおむし」の感想でした。
いやぁ、演劇って本当に良いものですね!さよなら!さよなら☆
いわゆる難解、シュール、摩訶不思議など演劇の小難しいイメージを持たれるのではないかと思います。
私もこの人の書く話って『毛皮のマリー』くらいしか知らず、
あとはパンダから昔もらった『ポケットに名言を』のイメージしか持ってなかったんですよね。
まぁこの2つでさえ、かなり寺山さんて人はまっすぐな表現をしない人だって想像できるんですけれどw
で『青森県のせむし男』というストーリーのあらすじなんですが
青森の名家・大正家に仕えていたマツが大正家の跡取り息子に体を奪われ、身ごもったことから世間の評判を気にした大正家夫妻によって、その嫡男と結婚させられる。しかし、生まれてきた赤子は背中に墓石を背負ったようなせむしであった…。母と子供の怨念や生まれてきたこと自体の哀しさ、さらには男と女という性の情念の世界が描かれる。
ー「青森県のせむし男フェス」さんより
という感じなのです。
あらすじでもだいぶ「?」ってなること請け合いなんですけれど
これが演出によってまるで違うものになるから不思議なんですよ。
楽園王さんの前に別の劇団さんが演じてらしたのだけど、
シュールではあるけれど、比較的ストーリーも入りやすく
あれ?寺山修司ってこんなだったっけ??って感じだったんですよね。
傍観者として独り語りをする仏が鎮座してたり、
なんていうか思っていたより全然分かりやすいなって思っちゃったんですよ。
でもこれって、ストーリーをただ演じてた。に近かったんだなぁって
二本目の楽園王さんのものを見て圧倒されてしまいました。
まず背中に暮石という表現。
あれは一人の乙女が恥によって殺された(乙女でなくなった)こと
そして話の途中に挿入される黄色い蓮花が生まれる夢で
(黄色い蓮花が咲くと一人人が死ぬ)で
案に誰かが死んでいること、でもそれが誰か分からないことが提示されます。
この誰が誰であるのか分からないというのが非情に重要で、
ストーリーで出てくるマツキチ(せむし)が最初はマツさんの捨てられた赤子なんじゃないかと
そういう風に見せられるのですが、そのマツキチが子供の頃から見る夢で
上記の蓮花と誰か分からない女を追っかけるというのです。
そして不思議なことにその女を追っかけてはならないという声もするのだとか…
せむしで生まれ、人に蔑まれ、唯一人に交じれるのが鬼ごっこ。
鬼ごっこではいつも自分は追いかけるだけ。
誰も捕まってくれないし、ヤメようとすると追いかけろと言われる。
自分はなんなんだろうか。なんの役割で生まれたのだろうか。
この辺りで私なんかはウルッとしてしまうのですけれど、
そうするといきなり舞台の方から突っぱねるようにコミカルな音楽と歌。
笑えるかギリギリのコントなんかもあったなぁ…。
とにかくそのすごくマジメになりそうになるとコミカルにつっぱねられる。
これって、なんかこう世間に対して真面目に挑もうとすると
小突かれたりバカにされたりするのにすごく似てる。気持ち悪い。
そしてマツキチは人との交流ができなく、鬼のままできてしまったからか
永遠の少年のようでもあります。
背中の墓石はランドセルに置き換わっていました。
せむし=背負うものという置き換えと共に子供のままというのが分かりやすいですね。
この少年マツキチ(本当は30歳になる)は北の国にて盗みに入ってしまいます。
(おそらく30歳になるまで彼は仕事をしたことがないと思います)
その窃盗先にて心から待ち望んだおっかさん…を家の女主人に見いだします。
そしてそれは女主人も同様で、捨てたと思っていた赤子が帰ってきたと
喜んでもてなすのですが…
ある晩村の人たちがいっせいに同じ夢を見るのです。
そうあの黄色い蓮花が咲く夢を…
彼は女主人によって恥ずかしめを受けました。
村の誰かが言います。
「母子の情愛は良いものだと思っていた」「だけどあんたはあの峠にマツキチを連れ出し」
「あろうことか彼に破廉恥なことをした」「あんたはもてなす客をいつもそうしていたんだ!」
そこで高らかに女主人は笑い、なんと彼は自分の子供ではないというのです。
彼女はたしかに赤子を生んだ。けれども、その子はすぐに捨てられた。
それを下男が可哀想に思い赤子を救おうとした…
しかしその子のあまりの醜さに驚いて彼女に見せにきた、というのです。
そして彼女はその背中にある自分のお墓(乙女の心というべきかな?)を見、
呪いが恨みが実ったのだと、自分の運命がそこに現れたのだと恐れ
あろうことか彼女自身が赤子に手をかけて川に流したというのです。
その後ずっと家の人間にいびられながらも生き続け、とうとう実権を手に入れたら
30年という時間が経っていたというのです。
あんまりな人生じゃないですか。
そんな女主人に子供がかつていたという噂を聞きつけて
時折若い男が訪れるのだけれども、女主人は快く受け入れるフリをして
峠で彼らを辱めるのです…。あの時、自分がされたことを同じ場所で!
深い深い情念、怨念。苦しみ、悲しみ。
想像するだけでも苦しくなります。
ちょっと前に表現の自由を考えるで見た「すべての金玉、爆発しろ!」に通じるものがあります。
※ダンゲロスの中にあるレイプされた後に出た女の子からのセリフです。
そしてそれと同じことを、村の人たちがあの時の赤子と思っていた彼にまで行ったというのです。
結果論として、マツキチは夢のお告げの通り、
どんだけ苦しくても女の影(おっかさん)をおっかけてはいけなかったのです。
またマツキチは傍観者たち(話には絡まないけれど、ストーリーの説明的に出てくるものたち)から
自分になれと言われますが、「自分になるのは難しい」と言います。
これ、実は私も「自我と自己」でずいぶん悩まされているため、
マツキチの言う「自分になるのは難しい」というのがものすごく切迫したりして…
人を通してでしか見えない自分。
常に私は誰なんだという不安。
そして自我を持たない分、人からは従順に見え子供のまま。
これがどんだけ地獄であるか。
それはほとんどのかつて優等生だった人間が感じていることではないでしょうか。
ときおり外国人は日本人がひどく幼稚だと言いますが、
多分このアイデンティティーを持たないことについて苦言しているのではないかと思ってみたり。
マツキチは女主人のマツさんに無理矢理「男」にされ
その後どうなったのでしょう…
マツさんと同じで無理矢理「女」にされたことで怨念を燃やし
女の敵となってしまったのでしょうか…
話はマツとマツキチの通じてしまったこと、
それを傍観者に独白するマツさんの描写で終わってしまうけれど
どうか二人があれ以上苦しまないで欲しいと願うばかりです。
そういえば、かごめかごめを何度も聞かされたのですけれど
♪か~ごのな~かのせ~む~し~、
♪い~つ、い~つ、で~や~る
♪よ~あ~け~のば~んに~、
♪ち~ちとは~はがす~べった~、
♪後ろの正面だぁ~れ
と、二番を歌詞改変されていたんですよね。
これも父と母が不在なせむしことマツキチが
いつせむしという背負子を捨てて自分になれるのか
っていう歌詞だったのかなぁとかなんとか。
と。
まださらに分解していこうとするとポコポコ思いついてしまうのですけれど
人によってまた感想も違いそうなのでこの辺にて終わりにしようかと。
とにかく今まで見てきた演劇の中で最高峰でした。(私の見たものなんてたいした数もないけれど…)
あんまりにガッツリとやられてしまったので、
昨日今日とほとんど頭使ってなかったのが悔やまれますw
明日は文フリもあるし、また色々インプットしていきたいですね。
それでは長くなってしまいましたけれど、「あおむし」の感想でした。
いやぁ、演劇って本当に良いものですね!さよなら!さよなら☆
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