あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

治安の悪化と古代ローマについて思いを馳せるなど

2024-12-03 | from:sachiaki
ここのところ世界中のニュースを見ていて
とにかく物騒だなって思うんですけれど、
今日のスウェーデンの記事を読んでいて
犯罪を問えない年齢の子に殺人をさせるギャングの話があり
なんでもありな世の中で、それはいくらなんでもないだろう
って思うような記事に衝撃を受けていたsachiakiです。

11歳の子供に殺人を依頼で報酬は日本円で206万円だそうで
けっきょくそのニュースの子供や依頼をした
19歳から20代の子たちは捕まったそうなんですけれど、
テロリストたちが子供は警戒されないからと
爆弾を持たせて街に仕込ませるのと同じじゃないかと
なんかもうやってらんねぇなって気持ちになりました。
テロリストたちは祖国のため、
闇バイト(というのだろうか)は自分のため、
ハードルの下がり方にも辟易とするものがあります。

世界中で売春は良くないというけれど、
言葉を変えたパパ活は繁盛していて
外国人たちが東横キッズたちを食い荒らし
彼女たちは彼女たちで簡単に稼ぎ
それらがホストたちに流れて反社のお金へと流れていく……。

ふとローマって栄華を誇っていたのに
なぜ滅びたんだっけ。
栄枯盛衰。
極まれば衰退が決まっているのは世の常だけど
なんでだっけ?って思って軽く調べてました。

驚くくらい現代の背景とも合致しているように感じるのは
成功にパターンはないけれど、失敗にはパターンがある。
そういうのにも似てるなって思いました。
実力主義で繁栄していても、経済が低迷すれば
市民は不満がたまり、その吐口は外国人排斥となり
その結果、守りの要となるような軍隊に外国人が増え
他民族軍隊で統率が取れず攻め込まれて終わり。

貧富の格差はある程度までは
実力を持つもののモチベーションのためにも
受け入れた方が良いものなのだろうけれど、
けっきょく開き過ぎた貧富の差は
血を持って補え、みたいなことになるのでしょう。
で、それで一番損をするのも
底辺にいる人たちなので
何回繰り返されようと
なかったことにされるのでしょうね。

そういえば大企業に勤めている人たちは
こぞって日本の中小企業を庇う体制が悪いっていうけれど
大型ショッピングセンターができるところって
たしかにそこで全部揃うっていうのはすごく大きなことなのに
商店街は滅び、その街らしさが失われたあと
結局その大型ショッピングセンターを
抱える会社が維持できなくて解体しちゃったあとって
なにも残らなくなっちゃってるし
その地方に残る意味もなくなってしまった人々は
都市に出ちゃったから戻ってもこないし
それで地方の衰退ってなってるんだから
やっぱ中小企業というか、ミニマムなものが集まって
流体的に動いている方が良いんじゃないの?
って感じがする。
解散がしにくいのが中小企業の悪いところだってあるし
守るためにしていることが悪い結果にしかなってない
っていうのも言い分はわかるので、
解散がしやすく、集合もしやすい、
そういう形態が良いんじゃないでしょうかね。

「ずっと真夜中でいいのに」は音楽ユニットだけど
コアメンバーはいるけれど、
作るたびにメンバーを変えていて流動的だというし、
タイミーはまだまだ問題が多いけれど
それでもその流動的な働き方は
けっこういい動きを作り出しているように思う。

中間層がなくなると底抜けするのが滅びの合図。
加速主義じゃないけれど、一度滅びた方が復活も早いのだろうか?
でもその「滅び」とはなにを指すのだろう。
今のところ戦争とか、内戦とかそういった
物騒なことしか思いつかないけれど
システム不全となって日本という国が維持できなくなるというのは
どういうことを指して、それはどんな混乱を呼ぶのだろうか。

そんなことを考えていました。
ヨーロッパは革命の歴史なので
暴徒が町中を駆け巡って治安悪化となり
内戦、戦争、全員ボロボロになったところで
再度調停、復興という流れなのかもだけど。
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2 コメント

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コメントありがとうございます (sachiaki)
2024-12-04 04:10:28
>鎌田政司 さんへ
>読んでいて千のプラトーを思い出しました。... への返信

無教養なのでいまだに「千のプラトー」は読んでいないのですが、概要だけ読んできてなるほどと少し思うところがありました。
私は仏教の考え方から影響を受けているので、全ては変化し流されていくと考えています。
なので、最悪なことでさえも遠い未来から見たら、最悪とは言い難い何かになるのではないかとも思っています。
で、その最悪の過渡期にいると思われる時に数十年後はマシになると言われても、どう生き抜けばいいんだろう?と考えちゃうわけです。
労働者が守られるのは当然として、生産者とは誰なのか、それらはどう物流されてどう配分されるのが良い塩梅なのだろうか。そういうことを考えてしまいます。
大きな器でできることもあれば、小さな器でしかできないこともある。それだけのことだと思っています。
まさに多様性の担保とでもいうべきでしょうか。
商店街が生きている方がいいというのも、その多様性の担保を思うからそう書いてみました☺️
人間は個人として生きているけれど、大きな目で見た時は全世界の人口でもって一つの生命体でキノコのようなものだとも思っています。
ならば、お互いの表層で出てくるものが大きい小さいなんて瑣末なことなのではないでしょうか。
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Unknown (鎌田政司)
2024-12-03 22:04:30
読んでいて千のプラトーを思い出しました。
ドゥルーズとガダリは、公理の縮減がなぜか『国家からの自由』と見なされた、指摘しています。公理の縮減はなぜそのように受けとめられたのでしょうか?国家の活動範囲が狭まることが自由の拡大につながると考えられていたからです。
中小企業の話はデービット・アトキンソンの主張だと思います。
彼は強いものをより強くするということではなくで、中小企業統の廃合によって効率的な組織にする仕事をするということではないでしょうか?、構造改革がなければ日本の弱体化は生産性の話にされます。守るべきは企業ではなく労働者です。
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