すげー今さらって思うような話をするんだけどね、
多分、またそんなことを言って〜
どうしてそんなに敵を増やしたいの?
って言われちゃいそうだな、なんてことを思っているsachiakiです。
別に敵を増やしたいわけでもなく、
誰かを攻撃したいわけじゃないから
それだけ頭の片隅に留めてもらってから読んでみてください。
ちょっと前にさ、落語家の師匠の劇があるっていうのに
弟子が来なかったとかで師匠が激怒して
降格させたって話があったのを覚えていますか?
私はあれを最初に聞いた時に
落語の世界って芸の世界だから厳しいよね〜、
でもそういった世界にいったのだからしょうがいないんじゃないかな。
って思ったんです。
で、だいたい私と同世代以上だったり
師弟関係の厳しそうな体育会系の人たちは
こぞって「降格で当然。破門されなかっただけマシ」
って言ってたのね。
そーなるとアレです。
マジョリティに対していつも右からカウンターを出したい性格なので
ウズウズしちゃってて、ずっっっっっっと考え続けていたわけですよ。
その芸の道を目指す時に師匠のいいつけや気分を忖度し続けるのは有りか無しか。
そんでね。
今日シャワーを浴びてる時にピキーンときたわけです。
うん。師匠が悪い。
誤解しないで欲しいのは、私は師弟ものには涙腺が弱く
とくに厳しい修行や寡黙な師匠にひたすら涙ぐましくついていく
見ようによってはスポコンよりもいじめのような話が大好物です。
自分もどちらかといえば甘い先生より厳しい先生の方が好きです。
だけど、ここ数年で授業で学んできたもの
(哲学だったり、認知心理学だったり、読書会で読んだ武士の時代の教養など)を通してみると
師弟制度って弟子が師匠のことをないがしろにするなんて有りえない。
ってことになるんだけどね、
その場合師匠がとんでもなく人格者だったり、
とんでもない業物師だったり、仙人のような人だったりして、
この人についていきたい!!!!!
この人から学びたい!!!!!!!
ってなった時は、師匠なんかに言われずとも
朝は師匠より早く起きて、師匠より遅く寝て
師匠が語ることは寸分たがわず覚えていられるように
細大漏らさず聞き逃さない。
そういった態度に出てくるんですよね。
だって、なんならその人自身になりたいくらい憧れているんだもの
その人と同化するために、すべてを観察するし
すべてを取り込もうとするでしょう。
そしてその師匠と自分が辿ってきた時間を思い
自分がいくら修行しても師匠に追いつけないことを感知して絶望しつつも
それでも師匠に追いつき、さらに言えば追い越したいという欲だって出てくるでしょう。
そういった時に何をするかと言えば、
師匠と同じ時間を過ごし、師匠を見ているだけでは間に合わないのですから
自分でも練習し、反復し、ひたすら求道のために鍛錬を怠らないようにするでしょう?
少なくとも私が好きな哲学の世界でも、
宗教の世界の人でも、芸の道や職人の道、
教職の道、さまざまな「センセイ」と呼ばれるような人たちは
そこまで憧れられて、どうしたってついて行きたい!
と思わせるものを持っていて、
隅々までを観察されることを厭わない人だったということなのですよね。
やー、もーすごい。
この間「今井館」という無教会主義の資料館で見せてもらった
内村鑑三の弟子でもなんでもない、ただのファンである斎藤宗次郎さんなんか、
ひたすら先生の話を書き留め、なんなら今のビデオと変わらない情報量で
先生の生活をまとめて書き込んだ本がたくさんあるんですよ。
どんだけの熱量なのだと呆れるところもあるけれど
そういう人を惹きつけちゃうところが師匠の器ってやつなんじゃないかな。って思ったわけ。
落語の話もそう。
師匠の生活すべてを(だって、その昔「女遊びも芸の肥やしや」って言った人がいるとかいないとかw)
見てこないと、師匠がどうしてそんな言葉づかいやモノの仕草をするか
全然理解できないじゃない?
だから師匠が怖いから〜する。っていうのも
自分が師匠を慕っていて、自分のせいで師匠が患うことが怖いっていうならまだしも
ただただ精神的に・身体的に怖いというのはちょっと違うんじゃないかな〜って思ったのです。
あとさー、自分が慕っている師匠がさ、
出来の悪い弟子を持っていた場合、
「あんな出来の悪い弟子しか育てられないなんて、師匠の底も知れてるよな」って言われちゃうの
弟子として悔しくないのかなぁ。
私は嫌だな。
これは師匠に限らずだけど、私の品の悪さで親や仲の良い友達の品格が疑われちゃうの
ちょっと嫌だなぁって思う。
まぁ他人のために生きているわけではないので
好きに生きてくぜ!って気持ちが強いし、
誰かがなにかを起こした時に師匠や親族・血族・国民性なんてものは
分離して考えるべきだと思ってもいるけれど
自分の起こしたことはそれなりに広い範囲を傷つける可能性がある
ってことだけは肝に銘じておいた方が良いんだろうなぁってだけ。
そんなわけで、時代が変わったとか、今の若い者は……
とか言いたい気持ちはわからんでもないけれど
多分、師匠の出来が悪いと弟子の出来も悪くなるんじゃないかなってこと。
とはいえ弟子が大器晩成でアレコレやらかしたあげく龍になっていくタイプもいるので
いっときの時間でものを測るのも浅はかだとも思う。
そんな感じ。
とりあえず自分の師匠から盗むものがないと考えているなら
さっさと破門されちゃって独自で芸を極めれば良いんじゃね?
そうでないなら、すべてを盗み取るつもりで観察し
師匠の来た道を辿ってがんばれよ!って感じです。
てことで、今日も方々に喧嘩を売った気がするけれど
基本的には呑気なタイプなので怒られたらゴメンナサイ。ってしますw
そんじゃ今日もこの辺にて。モイモイ
※読み返していたのに、誤字いっぱいあった…修正しましたよ(ノ∀`)アチャー
多分、またそんなことを言って〜
どうしてそんなに敵を増やしたいの?
って言われちゃいそうだな、なんてことを思っているsachiakiです。
別に敵を増やしたいわけでもなく、
誰かを攻撃したいわけじゃないから
それだけ頭の片隅に留めてもらってから読んでみてください。
ちょっと前にさ、落語家の師匠の劇があるっていうのに
弟子が来なかったとかで師匠が激怒して
降格させたって話があったのを覚えていますか?
私はあれを最初に聞いた時に
落語の世界って芸の世界だから厳しいよね〜、
でもそういった世界にいったのだからしょうがいないんじゃないかな。
って思ったんです。
で、だいたい私と同世代以上だったり
師弟関係の厳しそうな体育会系の人たちは
こぞって「降格で当然。破門されなかっただけマシ」
って言ってたのね。
そーなるとアレです。
マジョリティに対していつも右からカウンターを出したい性格なので
ウズウズしちゃってて、ずっっっっっっと考え続けていたわけですよ。
その芸の道を目指す時に師匠のいいつけや気分を忖度し続けるのは有りか無しか。
そんでね。
今日シャワーを浴びてる時にピキーンときたわけです。
うん。師匠が悪い。
誤解しないで欲しいのは、私は師弟ものには涙腺が弱く
とくに厳しい修行や寡黙な師匠にひたすら涙ぐましくついていく
見ようによってはスポコンよりもいじめのような話が大好物です。
自分もどちらかといえば甘い先生より厳しい先生の方が好きです。
だけど、ここ数年で授業で学んできたもの
(哲学だったり、認知心理学だったり、読書会で読んだ武士の時代の教養など)を通してみると
師弟制度って弟子が師匠のことをないがしろにするなんて有りえない。
ってことになるんだけどね、
その場合師匠がとんでもなく人格者だったり、
とんでもない業物師だったり、仙人のような人だったりして、
この人についていきたい!!!!!
この人から学びたい!!!!!!!
ってなった時は、師匠なんかに言われずとも
朝は師匠より早く起きて、師匠より遅く寝て
師匠が語ることは寸分たがわず覚えていられるように
細大漏らさず聞き逃さない。
そういった態度に出てくるんですよね。
だって、なんならその人自身になりたいくらい憧れているんだもの
その人と同化するために、すべてを観察するし
すべてを取り込もうとするでしょう。
そしてその師匠と自分が辿ってきた時間を思い
自分がいくら修行しても師匠に追いつけないことを感知して絶望しつつも
それでも師匠に追いつき、さらに言えば追い越したいという欲だって出てくるでしょう。
そういった時に何をするかと言えば、
師匠と同じ時間を過ごし、師匠を見ているだけでは間に合わないのですから
自分でも練習し、反復し、ひたすら求道のために鍛錬を怠らないようにするでしょう?
少なくとも私が好きな哲学の世界でも、
宗教の世界の人でも、芸の道や職人の道、
教職の道、さまざまな「センセイ」と呼ばれるような人たちは
そこまで憧れられて、どうしたってついて行きたい!
と思わせるものを持っていて、
隅々までを観察されることを厭わない人だったということなのですよね。
やー、もーすごい。
この間「今井館」という無教会主義の資料館で見せてもらった
内村鑑三の弟子でもなんでもない、ただのファンである斎藤宗次郎さんなんか、
ひたすら先生の話を書き留め、なんなら今のビデオと変わらない情報量で
先生の生活をまとめて書き込んだ本がたくさんあるんですよ。
どんだけの熱量なのだと呆れるところもあるけれど
そういう人を惹きつけちゃうところが師匠の器ってやつなんじゃないかな。って思ったわけ。
落語の話もそう。
師匠の生活すべてを(だって、その昔「女遊びも芸の肥やしや」って言った人がいるとかいないとかw)
見てこないと、師匠がどうしてそんな言葉づかいやモノの仕草をするか
全然理解できないじゃない?
だから師匠が怖いから〜する。っていうのも
自分が師匠を慕っていて、自分のせいで師匠が患うことが怖いっていうならまだしも
ただただ精神的に・身体的に怖いというのはちょっと違うんじゃないかな〜って思ったのです。
あとさー、自分が慕っている師匠がさ、
出来の悪い弟子を持っていた場合、
「あんな出来の悪い弟子しか育てられないなんて、師匠の底も知れてるよな」って言われちゃうの
弟子として悔しくないのかなぁ。
私は嫌だな。
これは師匠に限らずだけど、私の品の悪さで親や仲の良い友達の品格が疑われちゃうの
ちょっと嫌だなぁって思う。
まぁ他人のために生きているわけではないので
好きに生きてくぜ!って気持ちが強いし、
誰かがなにかを起こした時に師匠や親族・血族・国民性なんてものは
分離して考えるべきだと思ってもいるけれど
自分の起こしたことはそれなりに広い範囲を傷つける可能性がある
ってことだけは肝に銘じておいた方が良いんだろうなぁってだけ。
そんなわけで、時代が変わったとか、今の若い者は……
とか言いたい気持ちはわからんでもないけれど
多分、師匠の出来が悪いと弟子の出来も悪くなるんじゃないかなってこと。
とはいえ弟子が大器晩成でアレコレやらかしたあげく龍になっていくタイプもいるので
いっときの時間でものを測るのも浅はかだとも思う。
そんな感じ。
とりあえず自分の師匠から盗むものがないと考えているなら
さっさと破門されちゃって独自で芸を極めれば良いんじゃね?
そうでないなら、すべてを盗み取るつもりで観察し
師匠の来た道を辿ってがんばれよ!って感じです。
てことで、今日も方々に喧嘩を売った気がするけれど
基本的には呑気なタイプなので怒られたらゴメンナサイ。ってしますw
そんじゃ今日もこの辺にて。モイモイ
※読み返していたのに、誤字いっぱいあった…修正しましたよ(ノ∀`)アチャー