2018年のカンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞したイタリア映画です。
イタリアの閉ざされた山間のたばこ農場を背景に、搾取、差別、貧困など、多くの問題を描きつつ、そこに住む最下層の青年ラザロの無垢な魂を描いています。
洪水で閉ざされた村人たちに小作人制度が廃止されたことを知らせずに、搾取を続ける公爵夫人と農場の管理人。
その村人たちに差別されこき使われているラザロ(軽度の知的障害があると思われます)。
幾層にも連なる差別の構造の中で、誰も恨まずに黙々と働きつづけるラザロの無垢な魂が描かれます。
この搾取構造は、公爵夫人の息子の狂言誘拐事件をきっかけにして警察に摘発されて、村人たちは解放されます。
ここまでは、実際に1980年代にイタリアであった事件をモデルにしているそうです。
そこから、時代は現代になります。
解放された村人たちは幸福になったわけではなく、社会の最下層で強盗や詐欺をして生活しています。
一方、農場に取り残されたラザロは、その時に崖から転落するのですが、そこからタイムスリップして現代に現れます。
どうやら、彼はいったん死んで、生き返って聖人になったようです(年を取らない、寒さを感じない、食べ物が必要でない、排泄もしない、教会で演奏されていた音楽が彼について来るなどの不思議なことが次々に起こります)。
しかし、ラストでは、彼を理解しない一般大衆に狂言銀行強盗と誤解されて袋だたきにあいます。
この後半のファンタジーの部分は多分に宗教的なのですが、日本人の私には理解できないこと(狼との関わり、教会との関係など)部分が多かったです。
社会の暗部を舞台に、知的障害者の無垢な魂を描いたイタリア映画というと、ネオレアリスモの代表作であるフェリーニの「道」を思い出しますが、あの映画では主人公のジェルミソーナの無垢な魂が狂暴な大男ザンパノの魂を救ったのに対して、この映画ではラザロの無垢な魂は誰も救えず、それだけ現代の絶望は深いのかもしれません。
しかし、それにしても、ラザロを演じた新人アドリアーノ・タルディオーロの姿(特に瞳)は、まさに純粋無垢そのもので、彼がいなければこの映画は成立しなかったでしょう。