現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

コイン

2020-11-19 15:25:21 | 作品

 鋭士の人差し指にはじかれた百円玉は、きれいにみがかれた大きな机の対角線上を、スルスルと音もなくすべっていく。
 コツン。
 軽やかな音をたてて、反対側の角にあった富永の百円玉にあたった。
 富永のコインは、はじきとばされて机の下に落ちた。
 一方、鋭士のコインは、ねらいどおりにピタリとその場に残った。
 正確に、コインの真ん中にあたったからだ。
 理科でならった物理の法則でいうならば、鋭士のコインの持っていた運動エネルギーは、すべて富永のコインに伝達されたってわけだ。
「クソーッ、サーブでやられちゃ、手のうちようがねえよな」
 富永は、両手を広げて大げさにくやしがっている。天パーの髪を長くのばし、まぶたは二重というより三重か四重ぐらいにみえる。ほりも深くて、ちょっと日本人ばなれしたルックスをしていた。
「へへ、いただき」
 鋭士はすばやくコインを拾い上げると、胸のポケットにしまいこんだ。胸のポケットはもうたっぷりふくらんでいて、ジャラジャラと重かった。今日のもうけは、すでに二千円近くいっているはずだ。いつものように、鋭士のコインバトルのプレーは絶好調だった。
 二学期の終業式後の図書室。もう利用者もなく、あたりはガランとしている。さっきまで蔵書の整理をしていた、下級生の図書委員たちは、じゃまになるので先に帰らせていた。あとには、コインバトルをやっている、鋭士、富永、高崎、大谷、それに高田ブーしかいない。 
 専任の司書のいないこの学校では、図書委員長である鋭士が、いつもこの部屋の鍵をあずかっている。だから、図書室は鋭士たちのかっこうの溜まり場になっていた。煙草をすったり、スマホでアダルトサイトを見たりもしていたけれど、最近はコインバトルがはやっている。
 コインバトルというのは、コインをおはじきのようにはじいて、相手のコインを落とすゲームだ。
 もちろん、落としたコインは自分のものになる。つまり一種のギャンブルなのだ。
 相手のだけを落として、自分のコインは机の上に残さなければならない。自分のも落ちたらファールになって、そのコインは賞金としてプールされることになる。だから、コインをはじく方向性だけでなく力のコントロールも重要だった。
 最近ではみんなの腕前があがりすぎて、教室の机ではおたがいに一発でおとせるようになっていた。サーブをだれがやるかで勝負が決まってしまうので、これではゲームがなりたたない。それで、図書室にある大きな机でやるようになったのだ。
 しかし、自他共に認める学校一のコインバトルの名手である鋭士は、ここでもかなりの確率で、サーブで相手のコインを落とせるようになっていた。
 おかげで、最近は小遣いにはまったく不自由しない。
 でも、もうけた金は、ケチケチせずにパーッとみんなにおごっている。独り占めにして、友だちを失うようなへまはしなかった。
 学校の帰りに、いつも立ち寄るコンビニがある。本当は、寄り道や買い食いは禁止されているけれど、そんなことは知ったこっちゃない。
コンビニの前を通りかかると、鋭士はいつもみんなを誘う。
「ちょっと、寄っていこうぜ」
「お前にやられてスッカラカンだよ」
 高崎が口をとがらせて文句を言う。
「だから、おれがおごるよ。なんでも買っていいぜ」
 鋭士は、コンビニのドアを開けながら、みんなの方を振り返る。
「いつも悪いなあ」
 富永がニヤニヤしながら言うと、みんなはドヤドヤとコンビニの中に入ってくる。
 アイス、コーラに、たこ焼きやアメリカンドッグ。
 みんなが持ってきたものを、まとめてレジに出す。
「まとめておねがいします」
 そう言いながら、胸のポケットから今日の稼ぎのコインをつかみ出す。これが毎日のお約束の日課だった。

鋭士は、今、中学三年、十五才。
夏休み前に、野球部も引退してしまったし、他の連中のように塾にも通っていないので、すっかり暇を持て余している。
学力テストの成績は学年でトップなので、担任は国立の付属や開成などのいわゆる超難関校をすすめるけれど、鋭士にはぜんぜん興味はない。だからといってもちろん都立にいくつもりもない。もう受験なんかとはおさらばしたかったから、志望校は私大の付属一本にしぼっていた。このレベルならば、ほとんど受験勉強しなくても受かる自信が鋭士にはあった。せいぜい直前になって、一回過去問を解いてみる程度で十分だろう。これ以上誰かと競争して受験勉強にはげむなんて、鋭士にはぜんぜん性にあわなかった。
 先生たちも、いい成績をとっている限りは、鋭士には干渉しなかった。
 それに、私立志望の鋭士には、内申書というやつらの切り札がきかないことを知っているので、あえてふれないようにしているみたいだ。
 鋭士は、自慢でもなんでもなくほとんど勉強したことがなかった。
クラスのやつらから、それでも成績がいい理由を聞かれると、
「何かを読むと、一度で内容を理解して、それをそっくりいつまでも覚えてられるんだ」
って、説明することにしている。まあそれは少し大げさとしても、教科書は一回読んだだけで内容は完璧に理解して記憶することができた。
 毎年、学年の最初にまとめて配られる教科書。ひまつぶしにその日のうちにほとんど読んでしまう。そうすれば、ふだんは勉強しなくてもOKだった。もしかすると、鋭士の理解力や記憶力は、異常に強いのかもしれない。

 ガララッ。
 大きな音を立てて、いきなり図書室の入り口の扉が開いた。
(やばい)
 鋭士たちはすばやく机の上のコインを拾い上げると、ポケットの中につっこんだ。お金をやり取りするコインバトルは、もちろん学校で厳重に禁止されている。
 でも、入り口から顔を出したのは先生ではなく、三組の青木だった。
「おっ、いたいた。やっぱりここか」
 青木は、まっすぐに鋭士の方にやってきた。
「エイシ―っ。おまえ、社会の成績、いくつだった?」
 青木は他のメンバーは無視して、唐突に鋭士にたずねた。
「なんだよ。いきなり」
「いいから、教えろよ」
「えーっと、なんだったけな」
 カバンの中に突っ込んだままの通知票を取り出した。
「おっ、4だった」
 通知表にはあまり興味がなかったので、まだ見ていなかった。
「ふーん、やっぱりな。おまえ、期末は何点だった」
「100だよ」
 ヒューッ。
 富永が小さく口笛を吹いた。
「中間は?」
「やっぱ、100だよ」
 さすがに、今度は他の奴らまでが驚いたようだった。いつも、成績のことで母親にガミガミいわれている大谷なんかは、引きつったような顔をしている。
「おまえ、それで文句ないのかよ?」
 青木が怒ったような顔をして言った。
「なんで?」
「だって、中間も期末も100点なのに、なんでおまえまでが5じゃないんだよ」
 青木は中間が95で、期末が100で合計195点だったのだそうだ。それで、当然5がもらえるだろうと思っていたら4だったので、頭に来ていたってわけだ。
「山崎の野郎、やっぱり女にしか5はつけないって、うわさはほんとだったんだな」
 青木がはきすてるように言った。
 社会担当の山崎は、もちろん最悪な奴だ。
 クラスの女の子、特にかわいい子たちを舌なめずりしそうな顔をして見ていることは、みんなが知っている。
(学区外のどこかで、援交でもやってるんじゃないか)
って、もっぱらの評判だ。
「なんだよ、青木。今ごろ、そんなこと知ったのか。そんなの常識じゃねえか。一学期だって、おんなじだったぜ」
 自慢のように聞こえるかもしれないが、中学に入ってからの定期テストで、社会は100点以外をとったことがない。もちろん、一年の時から成績はぜんぶ5だった。
 山崎に初めて4をつけられたときには、
「おや?」
って、思ったけれど、学校の成績にはあんまり関心がないのでだまっていた。
 ものぐさな山崎は、ドリルなどの答え合わせの時、自分でやらないで、鋭士に答えを言わせている。解答集を見なくても、鋭士が間違えるはずがないことを知っているからだ。そのくせ、鋭士の成績には5をつけないのだから、本当ならば文句を言ってもいいところだ。
「……」
 それを聞くと、青木はエイリアンでも見るような目つきで鋭士をにらんでから、そのまま図書室を出ていった。
「なんだよ。青木の奴、せこいなあ」
 扉が閉まると、大谷が馬鹿にしたように言った。
 でも、本当は青木が鋭士だけに試験の結果を聞いて、大谷たちを無視したのがくやしかったのだろう。

 鋭士たちがコインバトルをやるようになったのは、三年になってからだ。夏休みにはいったん下火になったものの、二学期になってからはいっそうはやるようになっていた。
 初めは十円玉でやっていたのが、鋭士たちの間では、すぐに五十円玉や百円玉にエスカレートした。もっとも、他の連中のしけた勝負では、今でも十円玉が使われているみたいだった。さすがにそこでも、五円玉でやろうというと、馬鹿にされているようだ。
 いつも最高レートでやっている鋭士たちのグループでは、ついには五百円玉も登場した。
 でも、こいつは大きすぎてねらいやすいので、かえって餌食になりやすかった。それに、さすがに一発で五百円がふっとぶ勝負は、中学生にはきつすぎた。
 初めは、グループ内での金の貸し借りもあった。
 だが、借金で首がまわらなくなった奴が続出して、学校で問題になってしまった。何度か借金棒引きの「得政令」が、学校側によって出てからは、その場でのキャッシュの精算になっている。
 鋭士たちのグループが、図書室でコインバトルをやっているのは、クラスでもなかば公然の秘密になっている。
 でも、鋭士はけっこう顔がひろいから、クラスの主だったメンバーに顔がきいた。だから、先生たちに告げ口される心配はなかった。
 それに、図書委員長の肩書きにものをいわせて、邪魔者は図書室から追い出してしまった。図書室担当の荒木先生は、図書室の運営を鋭士にまかせっきりだった。
 そんなことばかりやっている自分の事を思うと、
「小人、閑居して悪を為す」
なんて言葉が頭に浮かんでくる。
鋭士は、勉強だけが異常にできる小人なのだ。

 

 

 

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