現在,家庭教師の関係で,世界史を勉強中です。
今日は,モンゴル帝国あたりをノートにまとめていたのですが,
家系図を見ながら,内容を読み進めていくと,
なんでこういう風に(ランダムに見えるような形で),
ハン(君主・皇帝)の位をゆずっていってるんだろ?と疑問に感じました。
(先生なのにすみません・・。)
そこで,モンゴル帝国大好きっぽそうな旦那に聞いたら,あっさり答えてくれました。
モンゴル帝国(モンゴル民族)って,
最初は末子相続(一番年下が家を継ぐ)形をしていたそうです。
それで,兄たちは,新たに土地をもらったりして,独立していく,そして,最後に家に残った子,
つまり末子がその家を継ぐ,という形。
これって,中国の思想が入る,古代の日本もそうだったとも言われてて,
別にめずらしいことではないそうです。
それが,儒教などの「上に従うのを良し」とする考え方や,
神を頂点とする宗教などが誕生したことから,
上をたてる考え方が一般化し,
現在のような長子相続(長男が継ぐ)の形ができた,という説があります。
※これはあくまで,数ある説の中の1つの説だと思ってください※
モンゴル帝国では,2代目のオゴタイ=ハンのときまでは,
末子相続をしていたため,末子とトゥルイが亡くなったのでオゴタイがチンギス=ハンの跡を継いだ,とか。
そのあと,オゴタイの子のグユクがハンを継いだけど,彼には跡継ぎ(子供)がいなかったため,
つぎが誰になるか?という問題が。
そのころには,中国の長子制度も入ってきているので,難しいところ。
オゴタイの血をかんがえれば,オゴタイの孫でグユクのおいであるハイドゥが跡を継ぐ,という考え方もできるし,
本来2代目は,オゴタイではなく,トゥルイが継ぐはずだったのだから,グユクに子供がいなければ
トゥルイの孫が継ぐはず,とか色々考えることができるとのこと。
ああ,だから,ハイドゥとフビライが長期にわたる争いもしているのか・・,とか。
※こちらはあくまで,数ある説の中の1つの説です。もし間違いがあったらすみません。※
そういう相続制度を知ると,系図を読むのが楽しくなります。
日本でも,壬申の乱などは家系図を見ながら歴史を読み進めていくと,すっごく理解しやすいし,面白いです!
世界史は,点数を取る力はあるけど,
まだまだ知らないことが多いな~と痛感させられます。
でも,1つ1つ新しいことを知ることができるのってうれしい。
先生って,ただ解けるだけでなく,
1:いろいろなことを知って,理解し,
2:それを自分なりに再構築して,
3:相手に分かりやすく伝達する,という
3段階の努力が必要なんだな~と思います。