塾講師四コマです。
この記事で、夫婦2人で勉強している内容は、芥川龍之介さんの「藪の中」についてです。
教科書には載っていないのでが、担当生徒の何人かが学校で習ったらしく、それについてテストに出るということで、勉強をしました。
この作品のポイントは
「真実はすべて藪の中で、そこから読者がどう感じ、どれを真実と思うかは、その人まかせ。そして、すべての意見に正解はなく、その結論はその人のそれまでの人生や価値観がわかるもの」というものです。
どういうことかというと・・・
「藪の中」はある殺人事件があるのですが、3人が自分が犯人だというが、すべての証言に食い違いが生じるんです。
そこで、その中で真犯人は誰か?ということがわからないまま終わります。
犯人候補は3人。「多襄丸」という盗人か、夫婦の「真砂」か「武弘」。
「武弘」が死体として見つかったことから物語は始まるのですが、何か鋭利なもので一突きで死んでいるが、凶器は見当たらない。
そこで、盗人の「多襄丸」は決闘して太刀で殺したと、妻の「真砂」は一緒に死のうと思って小刀で刺して殺したと、死んだ本人の「武弘(の霊)」は自殺した、というのです。
事件は、これを高校生に勉強させていいのか?という内容(強姦事件の結果として起こった殺人(自殺)事件)なのですが・・・、まあ、とにかくテストに出るということなので、そこのところは「女性がひどいことされた」という感じで濁して、生徒たちに教えました。
3人とも、それぞれどうして犯人か、と思うかの3パターン考え、生徒たちの意見を聞いて、その子それぞれにあった説明の仕方をしました。
予習の段階で、自分だけで考えると、話がまとまらないので、専門書を読んだり、旦那に聞き、母に聞き、「羅生門」という黒澤明監督の映画も観て、色々な意見を考えました。
そうすると、「かっこいい」ことに価値観をおくなら「多襄丸」、女性の差別の苦しさ・強い意志に共感できる人なら「真砂」、男性(夫)のプライドに共感でき、人生の絶望を味わったことがある(共感できる)人なら「武弘」を犯人に、ということがなんとなく感じられました。(あくまで私の考えです。)
旦那は、「真砂は犯人じゃないけど、残り2人のどちらかは・・うーん」
母とわたしは「武弘!それが一番芸術作品らしいし、真砂の心の奥底の内面も、武弘を犯人としてすると、掘り下げれるから」となりました。
また、黒澤監督は「多襄丸」にされていました。
その理由は、私が考えるに、「「決闘」という太刀打ちのシーンを描きたかった」「みんながただの悪人ではない、というのが根底にあった」のだと思います。
ただ、大胆なアレンジ(見事な説)もされていて、この映画は、芥川さんの作品をただ単に映画化したものではなく、芥川さんお作品をもとにした黒澤監督の新しい芸術作品の「藪の中&羅生門」でした。
というのは、芥川には闇が広がっています(性悪説)。しかし、黒澤監督は闇から1筋の光が見えるのです(性善説)。
このように、いろいろ考えることで、相手や自分の人生観がわかることが、「文系」の難しさであり、楽しいところだと思います。