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「ブラック」塾業界5 「私のがんばったこと」

2015年11月27日 16時59分27秒 | 塾について
「ブラック」塾業界の体験談その5です。


今まで四回にかけて、数学至上主義の上司との対立を書きました。

これまでの書き方だと、私は、ただただ負けている、と思われたかもしれません。

確かに、実権のある上司を倒す、とか、言うこと聞かせる、ということはできませんでしたが、私なりに、色々工夫して自分のやりたいことをしてみたり、後になって、他の人にびっくりされたことなど、を書き、それで、数学至上主義上司のお話は終わりたいと思います。

では、今回、自分をほめてあげたい三点を挙げたいと思います。

その三点は…

1 自分の作った問題や参考プリントを作り続けたこと

2 後輩イジメの連鎖を断ち切ったこと

3 その上司の配下にいたときに辞めず、ちゃんと、いつ、辞めるか?を決めて、そこまで貫いたこと


の三点です。

ではでは、詳しく書きますね♪


1 自分で作成物を作り続けたこと


以前の記事で、その塾は、レギュラー授業に社会科の授業がなく、定期テスト前の二週間だけ、授業、という形でした。
そのため、他の教科と違い、テキストというものが存在せず、テスト前に解かせる問題集、しかも、あらゆる中学で出た過去問を再編成しただけの問題集だったため、問題を解かせながら解説して理解させる、覚えさせる、という系統の問題集でもありません。

これは、生徒の自主勉強用テスト直前の追い込みのときの授業用、という形。
実際に、他の教科では、そういう形で使ってました。


でも、社会は、レギュラー授業がないから、生徒さんと私の共通知識が何で、共通でないものは何か?もわからず、突然、解かせ、終わりなんです。
診察しずに、突然、薬だけ出す病院、みたいなものです。


でも、他の社会科の教師の中には、通常授業しなくてよいから、授業構成を考えなくて楽、授業中に生徒に問題を解かせて、質問に答えるだけで楽、と思っている人もいました。

でも、私はそれはイヤでした。

私は、生徒に、社会の楽しさを伝えたい!まじめに、正統な勉強をした上で点数を取る喜びを感じさせてあげたい!と思ってました。
でも、そんな、私を数学至上主義上司は軽蔑していました。


問題集もない、解説しようにもテキストもない。


それで、私がとった行動は、塾の問題集(定期テスト過去問集)をベースに、補助的に、覚えさせるための問題プリント、解説するための解説プリントを作りました。
当時は、小4の国語、小学生5、6年の私立中学受験用の社会、の授業をやりつつ、公立中の3学年をやっていたので、本当に寝る暇もありませんでした。
しかも、中学社会は、数学とは違い、学校ごとに、歴史、地理のどちらから始めてもいいうえに範囲もある程度自由に設定できました。
数校の中学から生徒さんは集まるので、ときには、一学年で三種類のプリント作成になることも…。

そして、渡したプリントは、生徒さんに概ね好評でした。
数学至上主義上司が好きで塾に通っていた中3の生徒さんを除けば、です。

しかし、中3の子が、少しでも私のプリントに対して不満を漏らしたら最期、上司は怒り狂います。

そして、「おまえなんか、が、プリントつくるな!そんなもん、何の役にたたん!」と。

どうしても、補助教材として、必要だ、と言うと、
「おまえなんか、でなく、ベテランの先生のプリントをもらえ!!」と。


もらえるもんなら、もらいますよ。

でも、社会科の先輩たちに聞いても、自主プリントはない、と言われました。

そこで、私は、考えました。

「上司は、一度も、私の作ったプリントを見ているわけではない。…、ならば、私が作った、ということにしなきゃいいじゃん!」と。


それで、ベテランの先生に、私のプリントを渡し、それを皆に活用できるよう、共有フォルダーに入れてもらいました。
そして、誰か作ったか?は、上司に言わず、ベテランの先生経由のプリント、と言ってみました。

そうしたら、上司は、「このプリント、素晴らしいな。」と言うんです。


そのとき、「この人って、生きた年数でしか人を評価できない人なんだなぁ」とつくづく思いました。

それからは、自分がつくったもの、と、ばれないよう、手書きプリントはやめ、オールパソコン、で、いかにも、社会のベテラン先生がつくったような装丁にしました。


実は、ひっそり、とある文字だけフォントを、塾の指定しているものと変えて、と、自己主張してみたり、はしてましたが(笑)。イラストも、どっかのイラスト集からとってきたようなフリして、全部、自分で描いたり。まさか、寝殿造まで、私が描いた、とは、誰も思うまい、と。

とりあえず、二年間は、それでやり過ごしました。


私という人物が作ったとわからなきゃ、上司は文句言わないから、私は、こっそり、プリント作りを楽しめました。



2 後輩いじめの連鎖を断ち切ったこと


数学至上主義上司は、とにかく、他人の人格や努力を常に否定する人でした。
文系の先生や、年下の先生なんて、人間と見なしませんでした。よっぽど、その上司に、うまく媚びを売る人や、その上司よりもベテランの先生でなければ。


それて、私が入る前も、どうも、上司によるストレスで、新人をいじめる先輩、が多いようでした。


私の場合、一人の先輩は私に優しくしてくれましたが、もう一人の先輩の、私への態度がきつかったです。

たまたま、生徒への挨拶で、先輩と声がかぶっただけで、「僕に対して失礼だ!」と怒り狂ったり。
以前の記事で書いたように、自分が遅刻しまくったせいで、鍵当番を外され、私が新人なのに鍵当番になったとき、たまたま、自分が早起きしただけなのに、それで、勝手に校舎に来て、開いてないから、私に怒り狂ったり。そのせいで、私は、出勤時間は2時からのはずなのに、朝の九時半には、校舎にいなきゃいけないハメになったんですよね。


他にも、その先輩には、色々とひどいことを言われました。

私は、ひたすら、耐え、でも、その人のように、イライラを他人、ましてや、後輩にはしたくないから、我慢しまくりました。

そして、後輩とは、仲良くできました。

一人の後輩さんには、「セザールさん、だけですよ。この校舎で、私を一人前の人間として接してくれるのは」と言ってくれた後輩さんも。



あの、いじめた先輩は、違う校舎に移ってから、数学至上主義上司の圧迫から解放されて精神状態が正常に戻ったようですが、そのときに、他の同僚に、「あのとき、セザールさんには悪いことしたなぁ。」とつぶやいたそうです。(人づてで、聞いた話なので、本当かはわからないですが。)
飲み会でも、妙になれなれしく話しかけてこられたときがあったので、びっくりしたことも。あのとき、謝りたかったのかなぁ。


でも、どんな理由があろうと、イライラを自分より弱い立場にある人にぶつけてはならないと思います。

今は、自分が圧迫されてないから、私にも優しく接することができるんでしょうが、また、同じように圧迫される状況下に陥ったら、どうせ、私をいじめるんでしょ?と私は、思ってしまって、一回ひどい目にあったら、その人には心を許すことはありません。表面的には仲良くしますが。

だって、私は、同じように圧迫されても、新人や後輩をいじめなかったんですからね。その分、身体的なダウンで入院するハメになりましたので、私の行動が良いかは不明ですが…。

(ただ、私は、イライラしても弱い立場にあるものをいじめない!という自負が、育児のときに揺らいでしまい、それが、強迫性障害を引き起こす要因の1つになってしまいますが…。イライラして、娘にキツく当たることがあり、それで落ち込み…、という形。)



3 数学至上主義上司の配下のときに、辞めなかったこと



私は、実父との確執のため、大学時代まで、男性嫌いでした。
「就職した塾でキャリアをつけて、いずれは、塾を開くんだ!結婚しないから、その分のお金を塾の開業資金にまわすんだ!」
と思ってました。

しかし、実際に塾で講師をしていると、自分は「お母さんの視点で物事考えられない」と感じました。

別にお母さん経験者なら、良い塾講師になれないわけではないんですが、人の価値観や行動力を理解して、初めて自分らしい教育論を述べられるタイプの私には、「お母さん」の気持ちを理解したくてしょうがなくなりました。


それで、「旦那はともかく、子供はほしい!」と思いました。


それから、2で話した、いじめ先輩が、他の同僚からもかなり嫌われていて、他の人は、みんな私をなぐさめるために、色々言ってくれるんですが、その中で、「だから、あの人は彼女ができないのよ」と言うなぐさめをしてくれる人がいました。


その人は、私をはげますつもりで言ったのでしょうが、私としては、「少しでも落ち度があるときに恋人がいないと、それも指摘されるのか。逆に、恋人がいれば、少し変なところがあっても、他人は、あの人も良いところがあるのだろう、と錯覚するかも?」と思いました。


それで、「人生で一度くらい、彼氏という存在がいてもいいよなー。」と思い、たまたま、友達が合コンするというので参加。そして、今の旦那に出会いました。

その頃に、過労で入院し、上司や先輩からは、「どんだけ迷惑かければ気が済むんだ!!謝れ!」という言葉。
それで、「ここで働いていたら、死ぬ」と本気で思いました。

でも、負けて退職なんて嫌だ。そういうプライドだけは、残っていました。
また、結婚退職、というのも、嫌だ!という気持ちもありました。

それで、あと一年は、続け、きちんと、受験生の子が入試を終え、正規の時期に退職しよう、と思いました。(その校舎を去るのが転勤か退職の違い、になる形)


それで、もう一年 頑張り、その塾を退職。
幸い、最後の一年は校舎が変わり、数学至上主義上司も、いじめ先輩とも離れられたので、それなりに、楽しい生活にはなりましたが、そこでも、上司とは対立しました。その上司は、無責任ナルシスト上司、だったのですが、まあ、それにつては後日お話しようかな、と思います。
最後の一年は、生徒さんとは、楽しく過ごせることが多く、幸せな一年ではありました。


それで、最後に、上層部の人に、ご挨拶に伺ったところ、「いやー、あの上司さん(数学至上主義上司)の校舎で、辞めなかった女性は、歴代で君だけだよ。」と言われました。
その方は、ほめ言葉でおっしゃったのだろうし、私も、それについては、それなりに誇りに思ってます。
「なんだかんだで、強いな、私」と。

ただ、1つ思うのは、その上司の下の女性は辞めるとわかっていて、私をそこにやったというのは、私を辞めさせる気、使い捨て、と思っていたんですよね?
という憶測をしてしまいますが…。
女性の人材の墓場なんですね、その校舎。でも、その上司は、右京さん(ドラマ「相棒」)とは違い、全然、正義感のかけらもありませんでしたが。(ドラマ「相棒」での舞台、特命係は、人材の墓場と呼ばれており、亀山さんが配属されるまでは、次々に辞めていった、という設定。)

私が、その数学至上主義上司の配下て、入院しつつも、他の人のように精神的におかしくなったり、逃げるような形で辞めたり、上司
を困らせようと、入試中に突然辞めるという生徒さんに対して失礼極まりない行為をしなかったのは、たぶん、ひとえに、「勉強」と「社会」を愛してやまず、また、自分の教育論には自信があったから、そして、なぜか当時、一途に私に惚れてくれた保護者さんと生徒さんたち(先生として、という意味)がいてくれたからです。あのときの、保護者さんと生徒さん、ありがとうございます。
今、みなさん、元気かなぁ?



今回は、以上です。

今回で、数学至上主義上司のことは一旦終了です。

次回は、二番目の配属先でのトラブルについて、お話しようと思います。

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