先日、授業で行う予定である内容である冷戦を勉強していましたが、
私が生まれて育っていた小さいころは冷戦の末期だったので、
大きな歴史の転換期だったんだなぁ、と感じました。
一番古い社会の記憶は2つあります。それは小学生のころ。
テレビで見ていたニュースで空爆をしている場面を見た記憶があります。(もし空爆のシーンでなかったらすみません)
一緒にいた母に
「なんで、ニュースでアニメ(特撮)やってるの?」と聞いたら、
母に「アニメじゃないよ。実際に今起こっていることなんだよ。」と言われ
、びっくりしました。
「だって、戦争をしてたのは昔のことなんでしょ?今は
みんな、戦争はいけないって思ってるってお母さん言ったじゃん」
とさらに質問したら、
「うん、日本はね。」と即答されました。
そして、母は続いて
「これはイラクという国とアメリカ(を中心とした多国籍軍)が戦っているのよ。
そして日本だって今は戦争をしない、と言っているけれど、
これが永遠に続くとは限らない。私たちの努力次第よ。」
と言われ、かなりショックを受けた記憶があります。
このやり取りで、わたしが一番ショックだったのは、
「戦争がダメだって、みんな言っているじゃない!!日本に戦争はだめですよ~と言ったアメリカも言ってた覚えがある。でも、なんで、そのアメリカが今戦争してるの?」
という矛盾点を感じたからです。
これは今でも続く矛盾点ですが、私も歴史や公民の勉強をし、大人になって社会の色々なことを知り、「論理だけで人は動かない。」ことを悟り、すこしでも戦いを防ぐ方法を模索している途中であります。
また、もう1つ印象に残っていることがあります。
朝起きて、居間に座っていたおじいさんにおはようの挨拶をしに行こうとしたら
、いつもニコニコしているおじいさんが新聞を見て険しい顔して、
「あー」と深いため息をついたのにびっくりし、
「どうしたの、おじいさん?」
と私が聞いたのが、
初めて「国家の存在」と「諸行無常」という観念に触れた瞬間でした。
おじいさんは
「ソ連という国がなくなったからびっくりしたんだ」
と返答したので、
まだ幼い私は「え?爆発して土地がなくなっちゃったの?」と、
言ったら、
「いや、土地はそのままあるよ。ただ、今まで土地をまとめていた団体
がなくなって、新しい団体がそこをまとめることになったんだ。」
と言われました。
(今思うと、おじいさんってすごい!なにも知らない子供にも、真正面から事実を
伝える姿勢とわかりやすい表現を使っています!)
さらに、私は
「ソ連っていう団体は小さくて弱かったの?」
と聞き返したら
「いや、新聞(地図)を見てごらん。これが日本でこっちがソ連。ソ連は大きいだろう
。それに、とても強い国だったんだよ。日本とソ連は、お互いの考えが違っていたから、日本にとって、強い国のソ連は怖い存在でもあったんだ。まさか、その国に終わりが来るなんて思いもしなかった。」
と教えてくれて、
わたしは子供心に
「なんでそんな強かった国がなくなっちゃうんだろう?そして、なんでおじいさんは、そんなに、真剣なんだろう」と不思議に思った記憶がありました。
それが中学で冷戦を習い、すべて繋がり、「そうだよね、まさかあの強かったソ連がなくなる日が来なくなるとは思わなかったんだよね」と後になってわかりました。
途中までは社会主義の勝利に見え、社会主義国家の強さが永遠に続くものだと感じていたのでしょう。それが一気に崩れたのです。
おじいさんの「あー」というため息は「諸行無常」を実感したからなのだと思います。
そして、
今は、資本主義国家の絶対永遠最強神話が崩れつつあるような気がします。
そう、中国(社会主義)の経済成長の存在です。
これは、資本主義・社会主義の大きな転換期なのかもしれない、または、元来の資本主義・社会主義に代わる新しい経済観念が生み出される可能性だってあるかもしれない、と私は思いました。
なぜなら、「万世、諸行無常(すべてのものが永遠に続くわけではないのだから)」なのだから。
歴史を学ぶこと、小さいころに、そのときにはわからなかったけれど歴史的瞬間に立ち会うことは、とても大切だと思います。
歴史を学び、じかに触れるをことで、世の中の動きを知り、これからどうしていこうか考えることができるのです。