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歴史模擬授業(第24回 大正時代①)②-1-2

2010年12月24日 09時28分56秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業26回 大正時代です。

詳細はこの前の記事①をご覧ください。

大正時代は、外国の歴史も入り、内容がたいへん濃いので、

8つに分けていきたいと思います。

1:第一次世界大戦①(全体の動き)

2: 第一次世界大戦②(ロシアの動きと社会主義とは何か)

3:第一次世界大戦③(日本の動き)

4:第一次世界大戦の後①(全体の動き&ロシアの動き)

5:第一次世界大戦の後②(日本と世界の関係)

6:日本国内の話①(大正デモクラシー)

7:日本国内の話②(普通選挙制の確立)

8:日本国内の話③(大正時代の文化)

となります。

世界の国々の関係は、あくまでイメージであり、それが絶対ではありません。

各個人で当てはめたり、差別的な見解でみないようお願いいたします。

 

また、 わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

今回は、1の第一次世界大戦①(全体の動き)をの第二回で続きをみていきます。

---------

「では、今日は続きをば。大正時代1回目は、覚える用語を伝えるというより

 全体的なことを見る、という形で授業をしたね。

 今日は、入試で出る用語がバンバン出てくるので、理解しながら覚えましょう。」

「はい!」

「では、前回の復習。ヨーロッパの強国たちが、3国同士で結んでいた同盟をそれぞれ

 何というんだっけ?」

三国協商三国同盟だったよね。」

「そうそう。では三国協商を結んでいた国は?」

「えーと、イギリスとフランス、ロシア。」

「正解。では三国同盟は?」

ドイツ、オーストリア、イタリア。」

「正解。」

「この前の国の関係を考えると、国の組み合わせをわすれないね。」

「そうそう、良い傾向だよ!

 で、とりわけイギリス・フランスは、ドイツを警戒していたとも話したね。」

「うん。ドイツはどんど海軍が強くなっていたりしたから。」

「そうそう。では、さらに付け加えるね。

 イギリスとドイツは、それぞれの世界政策をつくり、対立した。

イギリスは、

ケープタウン(Cape Town:現在の南アフリカ共和国の都市)・

カイロ(Cairo:現在のエジプトの都市)・

カルカッタ(Calcutta:現在のインド)

の3つの都市を結んでインド洋を自分の海にしようと計画したの。

そのイギリスの政策をそれぞれの都市の名前の頭がCなので、3C政策と言います。

 

 イギリスに対抗し、ドイツは、

ベルリン(Berlin:現ドイツの首都)・

ビザンチン(Byzantine:コンスタンチノープル、現在のイスタンブールのこと。現在のトルコにある都市)・

バグダッド(Baghdad:現在のイラクの首都)

の3つの都を鉄道でくっつけて、ペルシア湾(西アジアにある湾)に進出しようと考えた。

その政策を、3B政策と言います。」

「イギリスもドイツも、世界を自分中心でつなげようとしてたんだね・・。

 (もちろん現代の考え方では良いことではありません。)

 

「このように、強国が大きく2グループに分かれている状態のころに、

いつ反乱や独立運動がおこってもしてもおかしくない地域があったのです。

そこが、バルカン半島ということころ。

バルカン半島はヨーロッパの南西部にあって、

現在のギリシャ・ブルガリア・旧ユーゴスラビア諸国

などの国があるところね。」

「え?なんでバルカン半島が?」

「バルカン半島のほとんどの地域は、当時はトルコの支配下に置かれていたの。

 しかし、トルコの力が衰えてきて、そこに住んでいる民族同士で国をつくり独立しよう、

 という動きが高まってきたの。そんなとき、オーストリアがバルカン半島にある、

 ボスニアというとところを併合しようとしました。それについてセルビアという国が反対。

 三国同盟の仲間であるドイツオーストリアを支持する。

他方で、セルビアはスラブ人としてまとまろうとしていたので、

同じスラブ人の系統であるロシアはセルビアを応援します。

 

そうすると、オーストリア&ドイツ VS ロシア 

 

という構図ができるあがるよね。」

「たしかに、つまり、それはいつ戦争がおこってもおかしくないという状態なのね・・。」

「そういうこと。さらに、イギリスやイタリアなどもそれぞれの思惑から、バルカン半島を

ねらっていたので、バルカン半島は別名「ヨーロッパの火薬庫」と言われてました。」

「すこしでも、戦いという名の火花がちれば、たちまち火薬に引火して爆発的な戦争が

おこるという意味ね。」

「そうそう。言葉の意味をちゃんと考えているね!」

「えへへ。」

「で、いつ火花が散るかわからないひやひや状態のときに、事件がおこった。

それが、1914年サラエボ事件というもの。

サラエボとは、オーストリアが併合しようとしていたボスニア内にある場所で、

そこにオーストリアの皇太子夫妻が来訪した。

ボスニア内で独立運動が高まっていた。

そのパレード中に、

オーストリア皇太子夫妻が、

セルビア人の青年によって暗殺される

事件がおこった。それがサラエボ事件。」

「皇太子が暗殺されるってことはすごく大きな事件だよね。」

「そうだよね。だから、オーストリアは、セルビアに、セルビアにとっては不利と思われる要求を言い出します。

しかし、セルビアの人々は、オーストリアの要求のすべては受けいれなかった。

それで、オーストリアはセルビアに侵攻をします。」

「ほえー。」

「でさ、そうすると、セルビアの味方の国がどうすると思う?」

「あ、つまりセルビアに味方していたロシアが、オーストリアと戦う。」

「そういうこと。で、ロシアがオーストリアと戦ったら、

オーストリアの味方をしていた国が今度はロシアと戦うでしょ。」

「今度はドイツが、ロシアと戦うんだ。」

「だよね。で、三国協商の仲間がロシアを応援し、次々に戦争に参加する。

(フランスについてはドイツから宣戦布告している)」

「つまり、イギリスフランスも戦争に参加したのね。」

「これで、

ドイツ・オーストリア VS ロシア・イギリス・フランス 

という構図ができ、

それぞれの国が持っていた植民地の国々を巻き込んで、

いままでにない大大大戦争がおこります。

その戦争のことを、第一次世界大戦と言います。」

「たった1つの銃弾が世界をかえたのね。(サラエボ事件で銃が一発のみでの攻撃という意味ではない)」

「まあ、いつ戦争がおこってもおかしくなかったから、

 もしサラエボ事件がおきなければ、また別のところで事件がおき、

戦争が始まっていたかもしれないね。だから、戦争を回避(かいひ:避ける)には、

対立関係などが出てきた時点で気をつけなければならないね。」

「ほえー。難しいけど、これで1つ戦争を少しでもなくす方法がわかってきた気がする。」

「では、次は第一世界大戦の経過をみていくね。

 まず、三国同盟側について戦った国をまとめて同盟国と言い、

 三国協商側について戦った国をまとめて連合国と言います。

 同盟国・連合国という名称はどちらもこれから出てくるから、覚えておいてね。

 

 ・・・でさ、ここで、1つ気がつかない?」

「ん?」

「三国同盟の仲間なのに戦争に参加していない国があることを。」

「あ!イタリア戦争に参加してない!」

「だよね。なぜかというと、三国同盟は、

オーストリアとドイツが仲が良く、ドイツとイタリアが仲が良いから、成り立っていた同盟で 

オーストリアとイタリアの2国間は当時、あまり仲がよくなかったんですよ。」

「つまり、ドイツをはさんだ三角関係みたいなものね。(かんたんに言えば、です)」

「 なぜ、オーストリアとイタリアが仲が良くないかと言うと、

 イタリアが国としてまとまっていく際に、ある地域がオーストリアの支配下にあったので、

 そこをオーストリアから独立させてイタリアとしてまとまりたい、という思いがあった。

 しかし、なかなかうまくいかない。だから、イタリアとしては、今回の戦争の火種となった

オーストリアを支援する気にはなれず、中立の立場にいたの。」

「ほえー。」

「この戦争は、だれもがすぐ終わると思ったの。

 この時期までは、戦争は通常半年ぐらいで、長くても1年弱がだったから。

 そうしたら、なかなか決着がつきそうもない。

 そこで、連合国側は考えた。すこしでも自分に協力する国を増やし、はやく勝利したい、と。」

「・・・。」

「そうしたら、ちょうど、仲間に引き込めそうな国があったの。」

「あ、それがもしかしてイタリア?」

「そうなの、連合国側は、なぜイタリアが中立を守っているかの理由がわかっていた。

そこで、「イタリアさん、もし私たちの方に味方をしてくれたら、私たちが勝ったあかつきには、

オーストリアの支配下にあるあの地域をあなたの国のものにしてあげましょう。」とささやくのです。」

「悪魔のささやき・・。」

「そう。それで、イタリアは三国同盟から抜け出して、連合国側につきます。」

「じゃあ、同盟国側は不利になるね。」

「さらに、中国も連合国側についたりしてね。

 

ちなみに日本は、同盟国か連合国のどっちについたと思う?」

「えー、どっちだろう?」

「さて、ここで明治時代のことを思い出してごらん。

 同盟を結ぶってことは、(場合によっては)その同盟側について戦うことになるから。

 日本はどこかと同盟結んでなかったっけ?」

「あ、日英同盟があった!つまりイギリスと同盟を結んでいたってことだから・・・、

 日本は連合国側についた!」

「そういうこと!これは記述でも出ます。

 「日本はなぜ第一次世界大戦で連合国側についたのですか?」と。

 そのときは、「日英同盟を結んでいたら。」と答えればよいよ。」

「はい!」

「で、実は日英同盟の件は表側の理由で、実は日本にはある狙いがあったの。

それについては、次の回で話すね。」

「はい!どんなねらいだったんだろう・・。」

 「で、第二次世界大戦は世界全土をほぼまきこんで、長引いていく。

 新しい兵器も誕生し、それが使われるようになった。飛行機戦車・潜水艦毒ガスなど。」

「今の戦争のイメージの兵器だね・・。」

「そうだね。この新兵器や毒ガスの使用が戦争の形をかえ、人々の価値観も一変させたの。」

「?」

「実は、第一世界大戦以前は、戦争を直接する兵士が主な戦争の戦死者だった。

(もちろん戦地では住民が被害にあうこともあります。)

しかし、戦車などような、一気に広範囲に移動&攻撃できるものが活用されると、

今まで以上に住民たちにも大きな被害が出てくる。

「そうだよね・・。」

「毒ガスなんて、かなり広範囲で被害がでるよね。」

「つまり、それって、戦争には関係していない一般市民も多く戦争の被害者になるって

ことだよね。」

「そうなの!実は今までは、自分の住んでいるところに兵士さえ来なければ、その住民が

被害にはあわなかった。でも、すごい勢いで、兵士も武器も来る。

だから、戦争の被害が広まるのよ。」

「うーん。」

「さらに、ヨーロッパの国々のある場所が第一次世界大戦の激戦地の1つでもあった。

住民も多く被害が出る。

だから、大げさにいえば、ここで初めて、植民地を広げ、戦争というのは有効な手段だと

思っていたヨーロッパが、戦争はいけないものだ、と多くのヨーロッパ人が気がついたのです。」

「おそい!」

「でも、自分が痛い目にあわないと、やはり利益ばかりに目がいくのが人間の性(さが)。

 どうしても、うまくいっているときには悪い部分には目をつぶっちゃうんから。」

「た・・たしかに。つまり、うまくいっているときでも、その行為の闇の悪い部分から

目を背けないようにしなければならないんだよね。」

「そういうことね。

 

で、話は戻ります。戦争は辛いものだと気がつき始めたヨーロッパ諸国。

 そこで、戦争に植民地を含む全国民を協力させて、少しでも早く戦争をおわらせるために

 自分の国内では当時社会的地位が低かった労働者の権利を認めたり、

 国外(植民地)では、植民地の人々に、我々の味方になってくれれば、戦後の独立を

約束しよう、と伝えたのです。

それぞれのヨーロッパの国々が、さまざまな植民地に、独立を約束したことで、

現代まで続くある問題が起こるのです。それは現代史のときに説明するね。」

「第一次世界大戦は、現代にまで引きずる問題も出てくるんだね。」

「そういうことね。だから、第一世界大戦はしっかり勉強しなきゃね。」

「はい!」

「膠着状態(こうちゃくじょうたい:どちらが勝つ・負けるかがはっきりしないまま続く状態)が

続いているところに、連合国側にある国が仲間に入り、参戦をします。」

「え?どこだろう。」

「それがアメリカです。

 アメリカは第一次世界大戦が始まったころには、連合国側についていたものの、

 参戦はしませんでした。しかし、ドイツの潜水艦が中立国の船にまで攻撃するように

 なったことをきっかけとして、1917年にアメリカも参戦したのです。」

「ほんとに全世界を巻き込んだ戦争になったんだね。」

 

「そうなのよ。

で、その一方で、もう戦争に耐え切れず、休戦をする国が現れた。」

「え?どこ?」

「それが、ロシアです。」

「え?ロシア?最初にオーストリアと戦い始めた国だよね。」

「そうなんだけど、ロシア国内で、戦争を続ける派と戦争反対派が対立するようになり、革命がおこり

ついに戦争を続ける派が負けます。それで、戦争反対派が政治の中心を握り、

1918年に、ドイツと講和条約を結び、ロシアは戦争から手を引きます。(戦争をやめる)。」

「え?つまり、ロシアは途中で戦争に抜けたってこと?」

「そういうことなの。このロシアの状況は、次の回で話すね。」

「はい。日本のこと、ロシアのこと、など、戦争の最中のそれぞれの国の細かいことは

 今度やるんだね。」

「そうそう。今日は、第一世界大戦全体このことを見ていきましょう。」

「はい。」

「アメリカの参戦後、同盟国側についた国々が次々と降伏していきまいした。

そして、だんだんと不利な状態になっていき、ついにドイツでも革命が

皇帝が退位して、休戦条約を結び

1918年に戦争は、同盟国が負けた形で終わりました。」

「1914年から始まったから、4年にもわかる戦争だったんだね。」

「つまり、住民たちはもう戦争は反対で、戦争を続ける皇帝たちにしびれをきらしたのね。」

「そうとも考えられるよね。戦争を続けていくと、

重税に苦しむのも死ぬのも一般市民なのだから。

 

そして、戦争が終われば講和会議が開かれ、条約が結ばれます。」

「いつものパターンだね。」

「負けた同盟国は、それぞれ条約を結ぶんだけど、中学入試&高校入試までは

ドイツと結んだ条約しか出ないので、それだけ見ていきましょう。」

「はい。」

「1919年に、講和条約はフランスのパリで開かれました。

そして、ドイツは連合国の間でベルサイユ条約を結びます。

ベルサイユというのは、フランスにある都市名ね。(中学で習うベルサイユ宮殿のベルサイユ)」

「ベルサイユ条約はどういう条約だったの?

戦争が悪いものだってみんな気がついたんだから、

条約自体は今までのようなひどい内容じゃなくなったのかな?」

「いや、それが、そうではない。やはり、戦争責任は負けた国になりました。

そして、ドイツは自分がもっていた植民地を勝利した連合国側に引き渡し、

本国の一部を失って、巨額の賠償金を払うことになった。」

「つまり、ドイツは持っていた植民地を失い、さらに賠償金まで、ということで

かなり生活が苦しくなるよね。」

「そうなの。しかも、その賠償金は巨額でね。到底、かんたんに払いきれる額じゃなかった。」

「それじゃあ、ドイツはこれから地獄だよ!」

「そうなの。それが、実は第二次世界大戦を生むきっかけの1つとなるの。」

「そうつながるんだね。」

「うーん。」

「また、いくつかの国は、第一次世界大戦後に独立をします。

しかし、ほとんどの国は、戦争中の約束が果たされず植民地のままだった。」

「うーん。終わってしまえば、後は・・・ということなんだね。」

「なかなか簡単にはいかないんだよね。これは、民族問題・民族差別とも大きく関係していて、

それは今でもなかなか解決していない問題の1つなのよね。」

「真の平等にはまだまだ課題が残っているんだね。」

「では、今日はここまで。今度は、戦争中のロシアを見ていきましょう。」

「はい。」

 「では終わります。起立・礼!」

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 また、 わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。



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