◆ 料理が楽しいのは、誰かの為に、素材から加工して作り上げ、ダイレクトな反応が受け取れるからでしょうか?
だから私は、「冷凍スパゲティー」が美味い、不味いなんていう話から始まり
所謂「グルメ記事」には全く興味がないのです。
◆ こんな「時代」になっても、昔の作家の「手紙」(書簡)が、新たに見つかったりするとニュースになる。肉筆ってものは、人そのものであるから大事なんです。
そもそも、私は「LINE」はしない。(出来ないのかも?)「FB」も、
【いいね!】しかない世界は嫌だ。(同調だよね)何故【よくない!】【大いしたことないじゃん!】或いは【普通じゃん!】がないのだろう?
【キXXX!】【ヘンタイ!】も有ってもよい。
その欲求不満が、他の炎上にもなってるのかな? 笑
◆ 今日は、この本の作者(著者)カキノジン氏にお逢いできた。
上の郵便番号BUS、「さやえんどう」は秀逸である。
何故かって? これを「押す」為に手紙を書きたい。
まず最初に、これが理解出来る人は誰か?を考えなければならない。
本当はそれだけが目的なのに、手紙の内容をも考えなければならない。
投函する手間もある。
これはどこどこの即席「冷凍スパゲティー」が美味い・不味いていうのは違う。消費社会っていうのは、消費側になったら「負け」でしかない。
若い人がギター抱えて「バンド」やってる事はいいことだ。そこには純粋に「女にモテたい」っていう純粋な動機がある。このキラキラした純粋性が良い。
その多くの中から、才能が花開く人達が出てくるのだろう。
50過ぎて「ビートルズ」のコピーバンドなんてやってるのはちょっとヤバイ。
◆ 100円ショップ、古くは「無印商品」で自分の生活を作るのは、もちろん勝手であるが、私は日々、食事につかう器や道具を、そんなモノたちに囲まれてるのは嫌だ。ブランドものを買えという話でもない。
自分が「なんとなく」気に入ったものや、旅の思い出、あるいは「形見」、実家にあったモノ、師匠筋から頂いたモノでも何でも構わない。
まあ、基本は気に入ったモノである。
ただ「100円だから」「無印」だからという気分は一切ない。
「30万円の茶碗」でも嫌なものはイヤ、しかし、そこに買わなければ絶対に判らない感性の振動があります。
反対に「100円」の中に、同じ振動数を発するものも時にあります。
30万円の振動に飽きたら、もっと上を試す・・こういう人を物好きと呼びます。シャープに砥いだ感性は他人には「へうげもの」としか映りません。
私、恐縮ですが、コンビニの100円のコーヒーで感動してる人々とはソリが合いません。合わす必要もありませんし~~~。第一、そういう人と話す機会もないのですから。切り~~~~
◆ コーヒーの器具に関しても、実際に色々試しもせず、雑誌が「いいね!」してるのが一番だと思うのはどうかな?自分の感性に共振しているのかな?「いいね!」は策略だと思う。あなた「日本カーオブ・ザ・イヤー受賞」の車買う? 審査員は接待漬けはニュースにもなってる。
◆ あなたが手紙を出すときに、その相手の為に、ワザワザ手で印鑑を彫るって素敵じゃないですか? 相手もLINEで「いいね!」って返して来る「奴」ではないはずです。
【いいね!】って同調圧力っぽいですね。一度も押した経験も場面もありません。イチイチ、下らん喫茶店のモーニングサービスの記事でコスパがどうのこうので「いいね!」なんて押したくもない。もちろん、それは「応援」「励まし」の意味もあるのでしょう。ね。
元禄時代に今のネット環境があれば、「大石のFB」に皆が「いいね!」を押しくれるのでしょうが、大事なのは当日の朝に吉良様の門前にいるか、いないか?なのです。
「いいね!」なんてどうでもいい。
「いいね!」なんて本当は「どうでも良い」の良いじゃないですかぁ?商売で提供されたモノに上手く乗せられているだけでしょう?
皆が「鬼滅XX」を見るなんて、大晦日に「紅白」と同じ・・・気持ち悪さしかない。
それが今の時代と言っちゃえば、そうでしょうが、
【いらない!】