人生の無駄をするな!
あなたが修行しようとしている店のオーナーは、多分、独学で学んだ筈だ。
どうして、アナタは修行なんてするのですか?
珈琲に関しては修行で何年も無駄にすることはない。
焙煎も一日。
初めてエスプレッソマシンを触る人でもロゼッタまでは一日で出来る。
あとは何がある?
コーヒー店で修行して何を学ぶ? トイレ掃除か?
そんな時間が有れば、専門店で、例えばイタリア料理店で修行した経験のほうが130倍役に立つ。包丁の研ぎ方から、鍋の洗い方、戦闘状態の動き方、語学、イタリア料理の基本から・・。
資金を作る仕事に就くのもいいだろう。
まったく違う仕事で修行の方もまたいいものだ。朝の5時から夜まで、大工さんの修行の方がいい。
アンタ、修行先の焙煎が「ダンパー」弄ってたらどうするね? で「色で決めて」いたら?もう逃げろ!
逃げて、逃げて、逃げまくれ!
そして、入店したその日から焙煎が出来ないなら意味はない。
基本、教える気持ちはない。
きっと焙煎はそう安々と教えられるものではないと思っているのだろう。
どっこい。これはただの作業である。
忙しいcafeに勤めて終業の掃除をして、その後にアナタに教えくれる先輩は宝物です。少し暇時にラテを教えてくれますか?
多くの「カフェ坊」は牛乳代が惜しいので教えてくれません。
そして、本音では「教えたくないのです」、ラテが凄い技術だと思ってます。
本気で教えて貰えばラテアートは一日で出来ます。
あと
商売人の心得とか
帳面のつけ方、
辛抱強さとか、
は普通は、コーヒー店以外で身につけるものです。
長い間、修行して良いところは、「嘘」でも信じられる素直な人間になれることです。もう宗教に嵌るようなものです。
「豆を買う」という能動的な行為が
「売って貰える」という受動的な態度に変化します。アホです。
お気の毒です。
「ここしか手に入らない」そんな豆は、マイクロロットを買い占めれば誰も出来ます。
自由主義経済の最大の良い点は。自由な仕入れと価格の販売です。
豆の仕入れを限定されるのであれば、商売なんかする価値も意味もない。
ここでしか買えないような豆は絶対に買わないことです。
生きてる意味もさえない。
オワカリカ?
本当に
オワカリカ?
ご飯
オカワリカ?
低脳ですか?