「爺むさい」とは, ジジイくさい
8月1日には知人の会社に行った。今、そこの社長が「膵臓がん」で入院している。8月3日には、知人の兄(同年)が亡くなった、膵臓がんである。
今日は敢えて書いたがこんなニュースが身の回りに多い。だから最近、「爺むさい」ことを書いている。
これは立派なジジイになる為の練習でもない。ちょっとそんな気分なだけである。
最近のジジイは運転免許返納しない理由を「車が無ければ不便で生活が出来ない」とまるでそれが正論のように抜かしている人が多い。
論点がずれていること、それも判らないようなら痴呆である。
問題は、自分が運転する自動車によって人を傷つけたり、逆走したり、コンビニに突っ込んだりして、被害者を出すということで、決して自分の事情ではないのである。社会に対する責任じゃないですか?
大事なことは、【私はまだまだ大丈夫だ】と思った時点で、もう相当やばい時に来ているという自覚を持つことだ。
ジジイは自分自身でそういう防衛線を常に自分自身で張って生きなけばいけないと思う今日この頃だ。
SC(イオンモールなど)のフードコートに何時間も陣取る年寄り達、HCを徘徊する爺さんを規制するものは本人達の意識以外にないが、現実寂しいものだ。
私は「イオンモール」には余程のことがないと行かない。年に1回程度か?(存在しない思えば良い) 用事は楽天モバイルだけ。
旅の途中でも「道の駅」にも基本、行きたくはない。
ジジイが集まって仲良しグループだけは入りたくもない。