雑草は賢い、と言うか、山まゆでも感じたが、生きて大きくなるためのしたたかさがある。
人に有益な草花は、そのほとんどが人の手助けとか、見守りが要る。それなくば、生きれない存在ですらある。ところが雑草ときたら、タンポポにしてもこの草にしても、一定の時がくるまで地面に横広がりに茎を伸ばし、ひたすら目だたず、ただ茎と根を広げ、その拡大に専念する。ところがある時点で「スクっ」と立ち上がり、次なる段階、高さを持って光を奪いあう争いに名乗りをあげるのである。こうして一旦立ち上がらせてしまうと、これを抜こうにもなかなかしぶとく、やっと抜いたと思ったら、あたり一面の土を道連れに大穴をあけてしまい、芝生などは無残なことになる。恐るべき雑草の知恵と力である。
私たちも実は雑草の如く、批判中傷、冷ややかな無視にもめげず、力を蓄えながら神の時を待っている。先進国で唯一の非キリスト教国、日本。今や福音の波は日本を通り越し、韓国へ、中国へと過ぎ去って行ったかに見える。しかしそうではない。神はこの国を見捨てたのではない。四百数十年前、世界で例がないほど大殉教者を生み出したこの国は、ただただ、時が来るのを待っている。その時は近い。ケパ