普通と違うのは、「事業内容」が「キリスト教」となっていることだ。これが実は大きな意味を持っている。
今回、1年前からの示しで、礼拝できる会堂を賃貸で探そうとした。半年祈り、残り半年はとある計画に費やし、それが時期尚早となって気がつけば更新日まであと一ヶ月もない。
断念の思いが来たが、祈ってみると「立って、あなたのその力で探せ」と来た。そこで意を決して翌日の月曜日、「キリスト教の牧師が、賛美し礼拝できる場所を探しています」というチラシを用意して、不動産屋を回った。
諸条件「駅から至近」「○万円以下」「40㎡以上」も相当きつい条件であったが、何よりも見出しの「キリスト教の牧師が、賛美し礼拝できる場所を探しています」というこの一点が、大きな壁であることを思い知らされた。
宗教というのは、それ自体が敬遠されているようだ。世の中の多くの人は、本物とニセモノの区別が出来ない。出来ないだけでなく、特定の信者が出入りし賛美し祈ったりするのは、不可解でできれば避けたい借り手のようだ。
しかし、神に従って行動する時に、神の不思議が起こる。疲れ諦めて帰りかけた時に、あれでも、と覗いてみた不動産屋さんは、キリスト教に理解があった。店主はかつて、神を信じることで、死を恐れず平安の中に天に帰った人を間近に見た人だった。
「事業内容」が「キリスト教」とは、何も臆せず、堂々と看板を立て、礼拝できる場所が与えられたことになる。神様に感謝します。 ケパ