ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

戦いすんで日が暮れてと、戦争世代

2014年01月04日 | 感謝

Thanks   今年のお正月は、昨日三日に私どもの聖会があったので、正直、休みどころではなかった。だから今日は休めるはずなのだが、やはり明日の聖日の準備で、そこそこ忙しい。けれでも心は主なる神さまへの「感謝」でいっぱいで、喜びがある。確かに体や神経が相当疲れているのはわかるのだが、やはり主にあって守られている。
 しかしその準備もほとんど終わった。「ヤレヤレ」と、まだ明日があるのに「戦いすんで日が暮れて」状態である。

 ところでこの「戦いすんで、日が暮れて」のことば、わたしは何とも思わずよく使っていた。佐藤愛子さんの小説で有名なことすら知らなかった。だが、よく調べると実は、ちょっと年配の方ならまず間違いなく聞いたことのある軍歌「戦友」の1小節が出典だった。
 「此處は御國を何百里 /離れて遠き滿洲の」からはじまる全14小節の7番目に、この「戦いすんで」が登場する。

【閑話休題】
 私たちが学生時代、実は宴席では軍歌類がよく歌われていた。大学での入学ガイダンスがいきなり大学主催の宴会であり(酒がたっぷりと出たのでこれには度肝を抜かれた)、そこでまず軍歌の(世的な)洗礼を受けた。「戦友」だけでなく、「徐州、徐州と軍馬は進む」という「麦と兵隊」から、はては「武田節」まで歌われていた。が、これらは今となっては、すべては過去の話である。

 なぜこんなことを書くのかと言うと、これまでは日本は左翼的なジャーナリズムによって、戦争を完全否定し、時に犯罪視し、230万の戦死者まで正当に評価されることはなかったと思う。軍歌など、とんでもない時代錯誤だと。

 しかし風向きが変わった。今夏のハリウッド映画「ラストエンペラー」が天皇の戦争責Zero任を正面から取り上げ、その非常な公平ぶりに感銘を受けた。また特にゼロ戦という、あの戦争を象徴するもの、戦闘機に関する映画がその後たて続けて2作出た。「風立ちぬ」と「永遠のゼロ」である。

 戦時を体験した世代が90歳前後となり、この世から消えようとする今になって、ようやく正しくあの戦争が世に伝えられはじめて来たと感じる。右翼でもなく、左翼でもなく、かろうじて生き残り、この年まで生きてきた人々の映画である。この人々の犠牲によって、私たちは戦争の愚かしさを知り、今の平和憲法を得たのだ。私は中国韓国に対して、我が国の主張は正しいと思う。しかし、だからといって守ることはあっても、武力に訴えることは決して許されないと、あらためて感じる。  ケパ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする