昨日の月曜日「ゼロ・グラビティ」を観た。原題「グラビティ」とは重力の意味なので、「無重力」、つまり無重力空間が題名だ。この映画は3Gで観ないと価値がないそうで、専用めがね¥400をプラスしての鑑賞となる。館内に入ると3G専用らしく、壁がぐるりとスピーカーで囲まれ、映写機もいっぱい。
登場人物は二人だけで、それをサンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーが演じる。地球を回る宇宙ステーションを、突然、衛星を爆破した残骸破片が襲い、ステーションは大破し即死、ただ外作業をしていた二人だけが生き残る。そこから地球への絶望的な帰還を試みるのが映画のストーリーだ。
どうやってこの宇宙空間を撮影したのだろうかと、驚くほどの映像のできだった。無重力のリアルティーある映像と、光源が常に特定の方向からあって、非常に精密な、かつてない映像作品であるといえる。きっと後になれば、「あの映画以降」と言われるほどのものだろうと思う。
さて非常に気になったのは、主人公のサンドラが、死を覚悟したシーンで「どうしょう、お祈りのし方も知らない」なんて言うところがあった。続いて「これで先に(わずか4歳で)死んだ娘と会えるわ」とも言う。宇宙飛行士になるぐらいの成功した科学者でも、最後は霊魂の不滅を信じ、祈ろうとする。
人間はどんなに「神は要らない、弱者のものだから」とはねつけていても、最後は必ず皆、一人残らず死ぬのが定めである。そうなんだ、最後の最後には、人は皆そうなのなら、どうしてその前から備えていかないのか?と思わされた。その時になってからでは遅い。脳卒中や心臓麻痺、あるいは事故で、人は瞬間的に死ぬことが多い。そうなってからでは、悔い改める時間がない。遅いのである。手遅れになる前に、是非キリスト教会に来て欲しい。 ケパ