今日は学ぶことが多い日だった。
まず午前中はホームページの改良作業で、スカイプで指導を受ける(写真
)。私のパソコンの画面でホームページを作成して行くのだが、200キロ離れた指導者と画面を共有しているので、非常にスムースである。
夜はピアノのレッスンである。近くゴスペルの賛美大会予選があり、そこで歌う曲のアレンジとかを教えてもらう。いずれも教会に関連してのことだが、これらは昔から私がやっていたことで、これらを学ぶことは、実は私にとってかなり楽しいことなのだ。それまで「趣味」のつもりでしていたことが、なんと「本業」になったのだから。
そして実はこれらは神さまが私に用意させておられたことなのではないか?そのように気づく。だいたい元小学校教師という経歴も、今の牧師という職業からみれば最高のお膳立てである。生徒の家庭生活の中にまで立ち入って、一人一人ていねいに教え、導く教師。牧師という奉仕にこれほど適合性のある職業はないだろう。よくよく振り返ってみると、これまでのたどってきた道で、現在に何一つむだになっていることがない。つまり私の人生には、神が始めから計画をもって導いていたとわかる。
おそらくこれは私だけではないはずだ。トラックとして作られたのに、乗用車にして使えないことはないが、かなり居心地が悪い。トラクターを乗用車として使うということもあり得ない。そもそも作られた目的にそって使うのがもっとも力を発揮し、自然だ。私たち一人一人に異なった設計図があり、それを設計してくださった神に従って用いる人生こそ、その人生をもっとも輝かせることができるのは確かなことだ。天地万物を創造され、御心によって人を愛して造ってくださった天の父なる神、子なるキリスト、導かれる聖霊の神。この三位一体の神だけが真に人をいのちあるものとしてくださるのだ。 ケパ