穴はクライミングの練習で打込まれたハーケンの跡
10:45 老人ホームの奥に登山口が
シダが多い、説明書きも
逗子市の標示板
苔生した凝灰岩の石畳
11:00 神武寺:裏参道と表参道の合流点
神武寺「客殿」
創建は不明、神亀元年(724)聖武天皇の霊夢によって僧行基が開いたといわれ、
慈覚大師が天台宗に改めて中興したと伝えられる。
源頼朝や北条氏、徳川家の信仰も厚く、天正19年(1591)薬師堂領として五石の御朱印状を
受けていたとも、由緒ある古刹です。
神武寺の「晩鐘」
金沢八景も有名ですが?
山門
薬師堂(本堂)
裏山へ続く道を行きます
岩場もあります、もちろん鎖場も
11:40 鷹取山:139m @前浅間から
垂直に切り立った岩石が特徴で「湘南妙義」の別名があります。
山並みは東西に連なり、展望台のある岩山(親不知)が山頂です。
二子山
乳頭山と横横道路
三浦アルプス
東京湾の向こうに千葉が
手前の岩が後浅間、奥が前浅間
12:15 昼食後「摩崖仏」へ寄りました
12:20 (追浜へ降りる)階段を降りて摩崖仏
後浅間の鞍部へ戻って田浦方面へ
田浦駅への分岐から「鉄塔巡視路」へ降ります
今年最初の「フキノトウ」先日天婦羅は食べた
JR横須賀線沿いを「東逗子駅」まで歩きます。
13:05 神武寺(表参道)入口へ
住宅街を抜けて文字通りの参道に切通しも
シダが木洩れ日に”キラキラ”輝いてます
コンピラ山ヤグラ群
鎌倉~室町時代に作られたものとか、約20ヶ所ほどあるとか。
戦時中にヤグラ内にあったものは寺に納められたとも。
(やっと見つけた) オドリコソウ
(住宅街で見た)ロウバイ
13:40 京急神武寺駅、帰途に着きました。
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行程:標高差120m、約7km、3時間
10:40 鷹取山登山口 ⇒(裏参道)11:00 神武寺 ⇒11:40・12:15 鷹取山・昼食
⇒12:20 摩崖仏 ⇒12:30 田浦分岐(鉄塔巡視路) ⇒13:05 神武寺入口(表参道)
⇒13:20 こんぴらやぐら・神武寺 ⇒13:40 京急神武寺駅
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東国八十八カ所霊場とは、川崎市・横浜市・鎌倉郡域にある弘法大師八十八ヵ所を巡る霊場です。
横浜三十三観音霊場と重複する寺が多いので、続いて歩いています。
第80番:黄雲山 延命寺
延命寺は、行基菩薩が開基したと伝えられ、三浦氏の祈願所とされた。
三浦氏滅亡後は後北條氏の祈願所だった。
徳川家康が関東入国した翌年の天正19年(1591)には寺領5石の御朱印状を受領、
近隣に末寺門徒寺を擁する中本寺格の寺院でした。
石像の弘法大師
79番:青龍山 東昌寺
北条政子が実朝の菩提を弔うため阿弥陀如来像を奉安、阿弥陀堂と称されていた。
北条泰時が鎌倉葛西谷に北条氏の祈願時として東勝寺を建立した。
北条氏滅亡に際し、東勝寺は一族郎党自害と共に焼失、
東勝寺の名跡を阿弥陀堂が引き継ぎ、現在に至っています。
阿弥陀堂
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>>>>空海6
空海・弘法大師になる
774年:讃岐の国多度郡に生まれる
784年:長岡京遷都
791年:空海大学入学、その後山林修行に 794年:平安京遷都
804年:空海、最澄遣唐使船で渡唐 10月 帰国⇒大宰府に留まる
809年:8月高雄山に入る 810年:東大寺別当に就任
812年:最澄らに金剛界結縁灌頂・胎内界結縁灌頂を授ける
819年:高野山を結界し、壇上伽藍建設へ 823年:東寺を賜る
835年:真言宗公認、3月没す 921年:空海「弘法大師」になる
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