第31番:青龍山 宝生寺
承安元年(1171)に開創、当地の領主だった平子氏よりの外護を受けて檀林所として栄え、
天正19年(1591)には徳川家康より寺領10石の御朱印状を拝領、
慶長14年(1609)には伊豆相模武蔵における古義眞言宗法談所三十四院の一つに定められた
本寺格の寺院だったといいます。
山 門
由緒あるお寺ですが、今はその重い歴史に耐えているといった感じ
本堂前の梅と水仙
第30番:妙法山 弘誓院
天文5年(1536)に創建、宝生寺の裏山の反対側に位置します。
宝生寺と比してリッチな?お寺でした。
石碑にまとめられています。
「雪吊り」が施工されています
*
2月23日最後の寺巡り、自宅から磯子まで(約40分)歩きます
第22番:海向山 金蔵院(左:磯子観音)
栂尾の明惠上人から与えられた薬師像を安置するために北条泰時が
靈雲山龍錫寺と号して岡村に創建、嘉暦3年(1328)理空上人が当地に再興したと云われます。
東国八十八霊場:48番にもなっています
文字通り根岸湾に向いてます
歩いて10分弱で
第22番:禅馬山 真照寺
「ガネーシャ:歓喜天」頭が象で乗っているのはネズミです。
創建は不明ですが、源頼朝の御家人平子平右馬丞有長が壽永元年(1182)に再興したと伝えられます。
インド仏教(南伝仏教)になじみがあるんでしょうか?
ブータン国王の写真も
いい天気でした、ちなみに会社の先輩もここに眠っています。
約5分歩いて
第24番:瀧頭山 密蔵院、最後のお寺です 満願
瀧頭山(りゅうとうさん)、滝頭(たきがしら)といえば、
そう美空ひばりの生家『魚増』のあった場所です。
永代供養塔「やすらぎ」募集中です
当世お墓事情紹介します
「管理費不要、宗派・宗旨不門」
複数の遺骨を一緒に埋葬するお墓。回忌安置後は「やすらぎ」に合祀され、
以後も永代にわたって供養を続けます。
◇個人墓誌位牌型一基万円、彫刻料.万円、納骨料.万円
◇永代供養塔志納料
・骨壺1年安置後合祀、1名様万円
・ 13回忌後 1名様万円
・ 33回忌後 1名様.万円 【パンフより】
万円払えば済むようです
今日のミッション「岡村餃子」は臨時休業、納得して帰途に着きました。
** 番外編です。
手引:穐葉山 萬徳寺(曹洞宗)
萬徳寺は、曹洞宗布教所として明治11年に設立、静岡県袋井市にあった萬徳寺を移して
明治26年開山したと伝わります。
野毛七福神:(何故か)弘法大師
隣は成田山:横浜別院です。(横浜二十一霊場、東国四十八霊場:38番)
尚、寺の縁起等についてはブログ「猫の足あと:寺社案内」を参考にしました。
***
横浜三十三観音霊場巡り、今日👏満願👏となりました。
南区14寺、中区6寺、磯子区6寺、西区5寺、神奈川区2寺、保土ヶ谷区1寺
番外2寺、廃寺1寺も含めて34寺、9日間で歩き通しました。
自宅から一番遠い弘明寺でも8km弱と、歩ける距離にあったことが幸いしました。
コロナも終息に向いているように見えます、週末は山登り再開予定です。
>>>>>空海その5
四国巡礼路・・・死や病を抱えてお大師さんと出会う旅
ひとたび都会の現代生活の喧騒を離れると、そこには明るいという一語では
括れない、さまざまな日本人の祈りがある。
巡礼路は全国各地にあるが、なかでも四国は四方を海に囲まれ、山も深く、
独特の孤立感のある土地柄のせいだろうか、
奈良時代の昔から修験や修行の地として空海を育んだ。
この巡礼が、一般庶民の間に四国遍路として広まるのは江戸時代、
『四国遍路道指南』なるガイドブックが出たことによる。
古くは修行者が悟りや験力を求めて、僧侶たちが修行のためにすすんで巡礼し、
さらに庶民が主に祖霊供養のために自ら決意し、千四百キロを歩いている。
今日の巡礼は「自分の所在を納得するための手続き」だとする。
【文化人類学者の話】
巡礼者は日常という空間を一時脱脚し、聖地という白装束を身に着け
非日常に滞在し、一時的に解放され、日常に復帰する。
歩くうちに人生観が変わってゆくという言葉は、非日常を通過して
再生するということを言っているのだろう。
<<<< いずれにしても歩いてみないと分からない話ですが。
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