(原題:AGORA )見応えのある歴史ドラマである。手堅く積み上げられた作劇もさることながら、現代に通じるテイストを的確に織り交ぜているあたりがポイントが高い。それは今も世界中に蔓延る民族・宗教・思想等に対する拭いがたい偏見と差別だ。
4世紀末のエジプト、ローマ帝国は衰退期に入っていたが、アレクサンドリアは何とか繁栄を保っていた。しかし、台頭するキリスト教勢力が従来のローマの神々を信仰する貴族階級を圧倒しつつあり、不穏な空気が流れている。図書館長の娘で天文学者のヒュパティア(実在の人物)は、豊富な知識とリベラルな考え方で多くの弟子に慕われていたが、キリスト教徒の狼藉により図書館を追われ、なおかつ原理主義に走った総司教のキュリロスにより“魔女”として指弾されるようになる。
映画の冒頭は通信衛星から撮影された地球の俯瞰映像からのアフリカ北部へのズームアップであり、最後はカメラが宇宙空間へと引いていく。そして劇中で街を席巻するキリスト教徒たちは、蟻の群れのような捉え方をされている。描かれている史実をグローバルな視点で解釈しようという主旨が見て取れるが、そのスタンスは観る側にその構図を見透かされて終わるような底の浅いものではない。
キリスト教徒が先進的な知識を持つヒュパティアを敵視する理由も分かるし、彼女がどうして彼らと相容れないかも明確に描かれる。ヒュパティアに恋い焦がれる奴隷のダオスは、彼女の知性に惹かれると共に、拭いがたい差別を受けていることも実感している。表面的に上流階級の者から可愛がられようとも、彼らは結局ダオスを人間扱いしない。
そんな社会的な“断層”を埋めてくれるように見えるのがキリスト教だ。一応“神の前では平等”という建前を持つキリスト教は、下層階級にとっては救いになる。しかし、そのキリスト教も新たな“断層”を作り出すだけであった。一神教たる特徴と聖書絶対主義を前面に出せば、どんな者でも“異教徒”に仕立て上げられる。キュリロスのようなアジテーターに対峙する方法論を何ら提示していないのだ。
主義主張が異なるというだけでコミュニケーションが停滞し、あとは“神の名”による対決姿勢しか道はない。もちろんこの図式は現代でも続いていて、世界各地で紛争の元になっている。特にエジプトは今混迷の真っ只中にあるというのが、何とも象徴的だ。
アレハンドロ・アメナーバルの演出は「空を飛ぶ夢」のような余計なケレンを抑えていて好感が持てる。主演のレイチェル・ワイズは好演で、明晰な頭脳と強い意志を持つヒロイン像をうまく表現していた。マックス・ミンゲラやオスカー・アイザックといった脇のキャストも万全だ。そんなに多額の予算を掛けているわけでもないが、舞台装置等は実在感があり、作品に重量感を与えている。アレクサンドリアの図書館は破壊されてしまったが、もしも今でも残っていたとしたら歴史的史料の宝庫になったことだろう。惜しい話だ。