70歳を過ぎても精力的に製作活動を続けるAV監督“ヨヨチュウ”こと代々木忠の半生を追うこの映画、まず2つの意味で実に興味深い。ひとつは、アダルトビデオの“歴史”が説明されていることである。
80年代初頭の黎明期はレンタルは存在せず、セルのみであったこと。松下電器(現Panasonic)がビデオデッキの販促のため、一台ごとにAVを一本ずつオマケで付けていたこと。ハードの発達や流通面の変化、製作側とビデ倫との鍔迫り合い、また風俗産業の推移に伴う影響など、一般にはよく知られていない世界の実情が垣間見え、これだけでも面白い。
そしてもう一つは、成人映画とアダルトビデオとのコンセプトの違いが明確に提示されることだ。正直、私はアダルトビデオはそんなに見たことはないのだが(ホント)、それでも劇中でいくつか紹介される代々木作品のハイライト部分を見れば、この作風はかなり特異であることが分かる。
徹底した実録主義で、ドキュメンタリーに近い。いかにして見る者に即物的な性欲を催させるか、そのためには虚飾を削ぎ落として出演者の文字通り赤裸々な内面を引き出さなければならない。脚本があって演技指導があって・・・・という劇映画の一ジャンルである成人映画とはまったく違う方法論が要求される。
面白いのは代々木自身はかつて映画の製作に携わっていたことだ(70年代に起きた日活のワイセツ裁判の当事者の一人でもある)。映画の何たるかを知っていたからこそ、映画とはユーザー層も見られる環境も違うビデオの特性に気付いたとも言える。ピニ本業界から参入してきた村西とおる等とは一線を画する存在になったのも、映像表現に対するポリシーと審美眼があったからこそだろう。
素材を“裸”にして原初的な欲求に身を委ねさせるというメソッドは、出演する側にとって一種の精神分析にも成りうる。事実、彼の作品は心理学・精神医学の観点からも語られるのだという。心に傷を負った女性達が彼の作品に出ることによって、精神の開放感を得たという“症例”も紹介される。彼女たちの面倒を見ていた代々木の盟友が若くして死んでしまい、代わりに代々木自身が大勢をケアするハメになって、鬱病になってしまったという笑えない話も興味深い。
監督は代々木作品の助監督を6年間務めたという石岡正人で、身近にいる者に対する気安さからか、代々木も明け透けに本音を出してくれる。シビアな題材ながら終始リラックスした雰囲気が漂うのもポイントが高い。ナレーションを担当する田口トモロヲをはじめ、笑福亭鶴瓶や槇村さとる、和田秀樹、愛染恭子といった多彩な面々が映画を盛り上げる。見終わると、代々木の作品をチェックしたくなった(笑)。