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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「まほろ駅前多田便利軒」

2011-05-23 06:35:50 | 映画の感想(ま行)

 パトリス・ルコント監督の諸作にも通じる“冴えない男二人のロードムービー(別に旅はしないが ^^;)”として、味わい深い内容になっている。ただマッタリと時間が流れていくわけでもなく、適度にミステリーや恋愛沙汰なんかも織り込んで退屈させない。それどころか人生の極意みたいなものも垣間見せる。地味だが見応えのある映画だ。

 東京都町田市をモデルにしたまほろ市の駅前で便利屋を営む多田の元に、中学時代の同級生である行天が転がり込む。実は多田は中学生の時に誤って行天に大ケガを負わせている。もちろんその時の傷は癒えているが、後ろめたい気持ちは今でも消えず、行天の“仕事のパートナーにしてくれ”という頼みを断れない。

 最初は傍若無人な行天の態度に閉口していた多田だが、人に警戒心を抱かせない独特の雰囲気を持つ彼の存在感により、それまでの無為な日々がほんの少し変質してゆくのを感じ取っていく。

 直木賞受賞作でもある三浦しをんの原作を読んだときには、この二人には風采の上がらないオッサンをイメージしていた。ところが映画版では瑛太と松田龍平という今風の若衆を起用しているため、観る前は違和感を覚えたのは事実だ。しかし実際に作品に接してみると、主演二人の“(たとえ今は逆境でも)どん底には落ちそうにもない風体”が却って楽天的な空気を醸し出し、肩に力が入らずに最後まで観ていられる。

 本当は、切迫した状況に置かれているのは彼ら二人ではなく顧客をはじめとする周囲の連中の方だ。何もかも放り出して夜逃げする家族、子供の面倒を全く見ない親、ヤクの売人やストーカーに付きまとわれている水商売の女たちetc.

 以前ならば仕事だけさっさと片付けて引き上げていた多田だが、何事にも首を突っ込みたがる相棒の行天のために、否応なく彼らの人生に関与していくことになる。それによって、多田が心の奥底に閉じこめていた屈託が表面化し、同じようにトラウマを抱え込む行天と真に分かり合えるようになるプロセスは感銘を受ける。

 監督の大森立嗣は前作「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」と同様に今回も寂しい若者達を取り上げてはいるが、あの映画で描かれた狭い人間関係の中で沈んでゆくばかりの登場人物とは違い、視野を広げることによって何とか明日に繋げようとする希望が感じられ、観ていて心地よいものがある。

 主演二人の仕事ぶりは確かだし、片岡礼子や本上まなみ、柄本佑、岸部一徳といった脇のキャラクターも良い味を出している。また監督の身内である大森南朋と麿赤兒が顔を出しているのも楽しい。岸田繁(くるり)による音楽は快調で、まほろ市の街の風情と共に、記憶に残る映画になった。
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