(原題:WOMAN OF THE HOUR )2024年10月よりNetflixから配信されたサスペンス編。本作の注目点は、主演女優のアナ・ケンドリックが初メガホンを取っていることだ。よほどこの映画の題材が気になったと見える。しかしながら、出来は良いとは言い難い。もっともこれは脚本に問題があったのかもしれないが、たとえそうでもウェルメイドに仕上げる余地はあっただろう。
1970年代のロスアンジェルス。駆け出しの女優シェリルは何とかハリウッドで名を売ろうとするが、まるで上手くいかない。そこでマネージャーから提示されたのが、テレビのデート番組の出演だ。元々は視聴者参加番組のような内容で、そこに一応は芸能人である自分が出るのは躊躇われるところだが、背に腹はかえられない。ところが、その番組の男性出演者の一人であるロドニーは連続殺人犯であった。都合良くシェリルとデートできる資格を得た彼は、彼女を次のターゲットに選ぶ。当時世間を震撼させたシリアルキラーのロドニー・アルカラを描く実録映画だ。
当然のことながら映画は番組内でのシェリルとロドニーの思惑と、番組終了後に本性を現すロドニーの手からヒロインがどうやって逃れるのかをメインに進行するものだと誰しも思うだろう。ところが、ロドニーの過去の悪行が序盤に紹介されるのはまだ良いとしても、本題の話はなかなかシェリルの方を向いてくれない。
番組観覧者の一人がロドニーの顔に見覚えがあってプロデューサーに通報しようとするが上手くいかないくだりや、後日ロドニーが家出少女を手に掛けようとするパートなどが不必要に長く、かなり散漫な印象を受ける。時制が遠慮会釈無くあちこちに飛ぶのも愉快になれない。結局は事件の全貌はラストの字幕で説明されるのだから、この映画自体に存在価値はあったのかと思ってしまう。
まあ、筋金入りのフェミニストとしての言動が知られるケンドリックが、このネタに食い付いてきたのはおかしい話ではないが、娯楽映画としての体裁を整えるのを優先すべきではなかったか。シェリルに扮するケンドリックのパフォーマンスは可も無く不可も無し。ロドニー役のダニエル・ゾバットは凄みが足りず、まるで普通のアンチャンだ。ニコレット・ロビンソンにオータム・ベスト、ピート・ホームズ、ケリー・ジェイクルなどの脇の顔ぶれにも特筆すべきものは見当たらない。
1970年代のロスアンジェルス。駆け出しの女優シェリルは何とかハリウッドで名を売ろうとするが、まるで上手くいかない。そこでマネージャーから提示されたのが、テレビのデート番組の出演だ。元々は視聴者参加番組のような内容で、そこに一応は芸能人である自分が出るのは躊躇われるところだが、背に腹はかえられない。ところが、その番組の男性出演者の一人であるロドニーは連続殺人犯であった。都合良くシェリルとデートできる資格を得た彼は、彼女を次のターゲットに選ぶ。当時世間を震撼させたシリアルキラーのロドニー・アルカラを描く実録映画だ。
当然のことながら映画は番組内でのシェリルとロドニーの思惑と、番組終了後に本性を現すロドニーの手からヒロインがどうやって逃れるのかをメインに進行するものだと誰しも思うだろう。ところが、ロドニーの過去の悪行が序盤に紹介されるのはまだ良いとしても、本題の話はなかなかシェリルの方を向いてくれない。
番組観覧者の一人がロドニーの顔に見覚えがあってプロデューサーに通報しようとするが上手くいかないくだりや、後日ロドニーが家出少女を手に掛けようとするパートなどが不必要に長く、かなり散漫な印象を受ける。時制が遠慮会釈無くあちこちに飛ぶのも愉快になれない。結局は事件の全貌はラストの字幕で説明されるのだから、この映画自体に存在価値はあったのかと思ってしまう。
まあ、筋金入りのフェミニストとしての言動が知られるケンドリックが、このネタに食い付いてきたのはおかしい話ではないが、娯楽映画としての体裁を整えるのを優先すべきではなかったか。シェリルに扮するケンドリックのパフォーマンスは可も無く不可も無し。ロドニー役のダニエル・ゾバットは凄みが足りず、まるで普通のアンチャンだ。ニコレット・ロビンソンにオータム・ベスト、ピート・ホームズ、ケリー・ジェイクルなどの脇の顔ぶれにも特筆すべきものは見当たらない。