呆れてしまった。ストーリーが斯様に冴えないシロモノであるにも関わらず、そこそこ名の知れたキャストが集められた上で映画が撮られ、堂々と全国拡大公開されてしまう不思議。そしてこんな低級なシャシンに対して“泣けた”とか“感動した”とかいう評価が少なからず寄せられるという、身も蓋もない事実。これが日本映画およびそれを取り巻く状況の実相かと思うと、とことん憂鬱な気分になってくる。
2003年、沖縄に住む高校1年生の玉城美海は、偶然に同じ高校の3年生である真喜屋湊と出会う。音楽の趣味が合う2人は意気投合し、湊の卒業を機に本格的に交際が始まる。湊は音楽を作るという夢があり、東京の大学に進学。2年後には美海も上京して同じ大学に通うことになるが、その後音楽会社への就職がスンナリと決まった湊に対し、通訳の仕事を希望していた美海の就職活動は上手くいかない。そしてある日突然、湊は美海に別れを告げて去ってしまう。
原作があるわけではなく、沖縄出身のバンド“HY”の同名楽曲をモチーフに作られたオリジナルストーリーだ。まず、とにかく観客を泣かせることしか考えていないような、無理筋の展開には閉口する。冒頭、2024年において美海が病で余命幾ばくも無いことが示されるが、湊の母親も病気で若くして世を去っており、さらには湊も体調を崩して入院するという、この“難病三連発”は一体何の冗談なのかと思ってしまった。
湊が別れを切り出した時点で美海は妊娠していて、それを湊は長い間関知していなかったという謎な筋立て。美海の同級生だった嘉陽田琉晴は、失意のうちに帰郷した彼女のために一肌脱ぐのだが、これがまたアクロバティックな持って行き方で、到底納得できるものではない。
あと、いちいち挙げるとキリがないほどの雑な部分が満載なのだが、私が特に愉快ならざる気分になったのは、美海と湊は音楽が縁で仲良くなり、彼も音楽業界に身を置いているにも関わらず、劇中に彼らに関係した音楽がほとんど鳴り響かないことだ。確かに“HY”のナンバーは申し訳程度に挿入されるが、最後まで彼らが本当に音楽好きであることを表現する仕掛けは無い。そもそも、湊と仕事を共にしてデビューする望月香澄の歌声さえ流れないのだ。
新城毅彦の演出は凡庸極まりなく、見るべきものは無い。主演の上白石萌歌と赤楚衛二をはじめ、中島裕翔、玉城ティナ、溝端淳平、国仲涼子、杉本哲太など、演技が下手な面子は見当たらないだけに、この低調な作劇は噴飯物と言うしかない。
あまり苦言ばかりを呈するのも何なので、唯一感心した部分もあげておこう。それは映像だ。小宮山充と西岡章のカメラが捉えた沖縄の風景は、目の覚めるような美しさである。舞台が東京に移ってからもヴィジュアルの上質さは維持され、どのショットも構図がキッチリと組み立てられている。中身は無視してカメラワークだけを楽しむ分には良いかもしれない。
2003年、沖縄に住む高校1年生の玉城美海は、偶然に同じ高校の3年生である真喜屋湊と出会う。音楽の趣味が合う2人は意気投合し、湊の卒業を機に本格的に交際が始まる。湊は音楽を作るという夢があり、東京の大学に進学。2年後には美海も上京して同じ大学に通うことになるが、その後音楽会社への就職がスンナリと決まった湊に対し、通訳の仕事を希望していた美海の就職活動は上手くいかない。そしてある日突然、湊は美海に別れを告げて去ってしまう。
原作があるわけではなく、沖縄出身のバンド“HY”の同名楽曲をモチーフに作られたオリジナルストーリーだ。まず、とにかく観客を泣かせることしか考えていないような、無理筋の展開には閉口する。冒頭、2024年において美海が病で余命幾ばくも無いことが示されるが、湊の母親も病気で若くして世を去っており、さらには湊も体調を崩して入院するという、この“難病三連発”は一体何の冗談なのかと思ってしまった。
湊が別れを切り出した時点で美海は妊娠していて、それを湊は長い間関知していなかったという謎な筋立て。美海の同級生だった嘉陽田琉晴は、失意のうちに帰郷した彼女のために一肌脱ぐのだが、これがまたアクロバティックな持って行き方で、到底納得できるものではない。
あと、いちいち挙げるとキリがないほどの雑な部分が満載なのだが、私が特に愉快ならざる気分になったのは、美海と湊は音楽が縁で仲良くなり、彼も音楽業界に身を置いているにも関わらず、劇中に彼らに関係した音楽がほとんど鳴り響かないことだ。確かに“HY”のナンバーは申し訳程度に挿入されるが、最後まで彼らが本当に音楽好きであることを表現する仕掛けは無い。そもそも、湊と仕事を共にしてデビューする望月香澄の歌声さえ流れないのだ。
新城毅彦の演出は凡庸極まりなく、見るべきものは無い。主演の上白石萌歌と赤楚衛二をはじめ、中島裕翔、玉城ティナ、溝端淳平、国仲涼子、杉本哲太など、演技が下手な面子は見当たらないだけに、この低調な作劇は噴飯物と言うしかない。
あまり苦言ばかりを呈するのも何なので、唯一感心した部分もあげておこう。それは映像だ。小宮山充と西岡章のカメラが捉えた沖縄の風景は、目の覚めるような美しさである。舞台が東京に移ってからもヴィジュアルの上質さは維持され、どのショットも構図がキッチリと組み立てられている。中身は無視してカメラワークだけを楽しむ分には良いかもしれない。