
(原題:THE ROOM NEXT DOOR)とても出来が良く、感心した。ペドロ・アルモドヴァル監督の映画は「神経衰弱ぎりぎりの女たち」(88年)こそ好印象であったが、あとの作品は全然ピンと来ず、私の守備範囲外の作家だと断定していた。しかしこの新作は2024年の第81回ヴェネツィア国際映画祭で大賞を獲得し、なおかつアメリカを舞台にした初の長編英語劇ということで、少しは様子が違うのかと思ってスクリーンに対峙したところ、大当たりだった。今年度のベストテンに入るかもしれない。
ニューヨーク在住の人気作家のイングリッドは、サイン会に訪れた知人から、かつての親友でジャーナリストのマーサが重い病に冒されていることを知らされる。早速マーサを見舞ったイングリッドは彼女と昔話に花を咲かせるが、マーサは治療を拒み、安楽死を望んでいるという。マーサは人の気配を感じながら最期を迎えたいと願い、その時にはイングリッドに隣の部屋にいてほしいと頼む。彼女の願いを聞き入れることを決めたイングリッドは、郊外の森の中にある一軒家で共に暮らし始めるのだった。
悲壮感漂う設定のドラマだが、驚いたことに作品の印象は透徹した明るさに満ちている。それはおそらく、ひとつにはマーサが自身で人生の“決着”を付ける必然性を獲得したからだろう。今までの歩みに微塵の迷いも残さず、死さえもコントロール下に置くことが出来た彼女には、ある意味“前向き”なスタンスを崩さずにこの世から消えて行ける。
イングリッドはそんな彼女を看取ることにより、命の大切さと儚さを改めて実感する。そもそも、この一件は今後の執筆活動において大きなインスピレーションを受けるのではないだろうか。つまりは、何もネガティヴなことを考える必要は無いのだ。この題材の捉え方は非凡だ。
さらに、作品のエクステリアが愁嘆場に流れることを絶妙にガードしている。この監督が得意とするカラフルな映像はポジティヴな雰囲気を演出している(撮影監督は「シングルマン」などのエドゥアルド・グラウ)。また、主人公2人が暮らす家屋および周囲の風景も造型が素晴らしい。
主演のティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーアのパフォーマンスは言うことなし。たぶん彼女たちのキャリアの中でも最良のものになるだろう。ジョン・タトゥーロにアレッサンドロ・ニボラ、ファン・ディエゴ・ボトといった他のキャストも万全だ。ただし、本作のエピローグは少し冗長ではある。ここを少し整理すれば真の傑作になっただろう。