元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「チェイシング・エイミー」

2021-08-14 06:56:18 | 映画の感想(た行)
 (原題:CHASING AMY )97年作品。登場人物たちの面倒臭い性格を、笑って許してしまえるかどうかで作品の評価が決まると思う。私は彼らを全面的に肯定しないまでも、まあ“こんな奴らもいるよね”といった具合で認めたい。また、LGBTQに関する突っ込んだネタを先取りしていた点もボイントが高いだろう。

 漫画家のホールデン・マクニールは、仕事上のパートナーであり友人のバンキーと一緒に、新作発表のためコミックマーケットへ足を運ぶ。そこで彼は新進作家のアリッサと知り合う。底抜けに明るくキュートな彼女に魅了されたホールデンは交際を申し込むが、実は彼女は同性愛者だった。それでも彼はアリッサを諦めきれない。だが、過去の奔放すぎる性体験を明け透けに話す彼女にホールデンは次第に困惑の度合いを高めていく。そんな彼を見ていたパンキーも頭を抱え、ついには仰天するような“提案”をブチあげる。



 自らの過去に何ら拘泥しないアリッサと、物分かりが良いようで実は相手のプロフイールを死ぬほど気にしているホールデンとの関係性がおかしい。さらにパンキーの、一筋縄ではいかないスタンスも実に興味深い。まあ、端から見れば“何やってんだコイツら”と呆れられるような状況なのだが、それぞれの立場を考えてみると、けっこう切実で放っておけない感じだ。

 特にアリッサの、自らの境遇を恥じていない振る舞いには、観ていてグッと来るものがある。要するに“素”の自分を受け入れてくれる相手を探すことこそが、恋愛の、そして人生の醍醐味なのだろうと納得させてくれる。劇中サイレント・ボブ役で出演もしている監督ケヴィン・スミスの作品はこれ一本しか観ていないが、けっこう軽妙かつペーソスが溢れていて好感が持てる。

 主演のベン・アフレックとジョーイ・ローレン・アダムスは好調で、どこかチグハグな男女関係を絶妙に表現している。バンキー役のジェイソン・リーもナイスな助演ぶりだし、ケイシー・アフレックやマット・デイモンがチラッと出ているのも嬉しい。デイヴィッド・パーナーの音楽も悪くない。同年のインディペンデント・スピリット賞にて、脚本賞と助演男優賞を受賞している。
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「逃げた女」

2021-08-13 06:29:26 | 映画の感想(な行)
 (英題:THE WOMAN WHO RAN )興味深い映画だ。ドラマらしいドラマはなく、淡々とヒロインの行動が映し出されるだけだが、その裏には一筋縄ではいかない葛藤や人間関係の危うさが潜んでいる。作品の手触りとしてはフランス映画を思わせるが、韓国映画でもこういうテイストのシャシンが現れたということは実に印象的だ。2020年の第70回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品され、銀熊賞(最優秀監督賞)を受賞している。

 主人公ガミは結婚して5年間、夫と一度も離れたことがなかった。あるとき夫は長期の出張に出掛け、その間に彼女はソウル郊外に住む友人たちに会いに行く。年上のヨンスンは面倒見が良いが、離婚してルームメイトと一緒に暮らしている。先輩のスヨンは屈託無く独身生活を謳歌しているようだった。また偶然再会した旧友のウジンは、過去にガミとの間に何かあったらしい。監督を務めたホ・サンスのオリジナル脚本による。



 ガミの夫は“愛する人とは何があっても一緒にいるべきだ”という意見の持ち主らしく、ガミもその言葉を繰り返すのだが、彼女はもはやそれを信じていないのは明らかだ。自身と違う生き方をしている3人の友人を目の当たりにして、果たして自分はこれで良かったのかという思いがガミの胸中に渦巻く。

 面白いのは、友人たちはガミの境遇とは異なるものの、決して幸せな人生を送っているわけではないこと。ヨンスンの隣人に対する木で鼻をくくったような態度、スヨンのあまり中身があるとは思えない物言い、ウジンの潤いの無さそうな日常と、それぞれが満たされていない日々を送っている。だが、それでもガミは“別の生き方があるのではないか”と思ってしまうのだ。

 それはひとえに、ガミが“夫との生活は大切なものだ”と思い込もうとしているからである。いくら自分が円満な夫婦生活を維持したいと思っても、状況は一日で変わる。そんな人間関係の危うさを、声高なセリフの応酬やケレン味たっぷりのエピソードを抜きにしてシッカリと描ききるホ・サンスの演出力はかなりのものだ。

 監督と私生活でもパートナーであるキム・ミニの内省的な演技には感心するし、友人たちを演じるソ・ヨンファにソン・ソンミ、キム・セビョクらも好調だ。清澄な映像に加えて77分という短い尺も効果的で、今年度のアジア映画の収穫の一つである。
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「1秒先の彼女」

2021-08-09 06:57:35 | 映画の感想(英数)
 (原題:消失的情人節 MY MISSING VALENTINE )中盤まではオフビートな台湾製のラブコメとして進行するが、後半はなぜかファンタジーになってしまう。結果として私が最も苦手とする“ファンタジー仕立てのラブコメ”であったことに脱力した(笑)。もちろん上手く作ってあれば文句は無いのだが、困ったことにこの手の映画にウェルメイドな脚本が付随することは、そう多くはないのだ。

 郵便局で働くシャオチーは、仕事も恋も冴えない毎日を送っているうちに、気が付けば30歳になっていた。実は彼女にはヘンな“能力”がある。それは、何をするにも他人よりワンテンポ早いのだ。それでもハンサムなダンス講師と知り合うことが出来、バレンタインにデートの約束をするも、目覚めるとなぜかバレンタインの翌日になっていた。一日が消失してしまったのだ。一方、毎日郵便局にやってくるバス運転手のグアタイにも妙な“能力”があった。それは常に周囲よりワンテンポ遅いのである。バレンタインの日、彼は自分以外の“時間”が止まっていることに気付く。



 この2人が周囲と約1秒ズレていることを、単なる“変わった癖”と割り切って、おかしな御両人のすれ違いの恋愛道中を面白おかしく描く映画だと思っていたら、何だか無理矢理に辻褄を合わせようと絵空事に走ってしまったようで愉快になれない。つまりは“理詰めにしようとしたら、逆に理屈が飛んでしまった”というパラドックスに陥っているのだ。

 クアタイが体験する時間が停止した世界は、なぜかバスは普通に走るし海の波も風も変化は無い。そもそも、身体が動かなくなったシャオチーをはじめ他の者たちをクアタイが“自由に”移動させているのは違和感が満載だ。加えて言えば、ワンテンポのズレを“清算”するのがどうしてバレンタインデーだったのかも説明されていない。

 終盤の展開はラブコメの常道としてはあり得るのかもしれないが、個人的には取って付けたようにしか思えず脱力した。監督のチェン・ユーシュンは過去に「熱帯魚」(95年)と「ラブゴーゴー」(97年)という大快作をモノしているが、本作ではどうもキレ味に欠ける。

 主演のリー・ペイユーとリウ・グァンティンは好演だが、私が注目したキャストはシャオチーの職場の後輩を演じたヘイ・ジャアジャアである。彼女の本職は女優ではなく、なんとプロの囲碁棋士だ(台湾棋院所属 七段)。しかも、相当な実力者で、棋風は堅実でブレがない。モデル業も順調とかで、多芸多才な人間というのは確実に存在するのだと、改めて思う。
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バブル時代の思い出。

2021-08-08 06:57:27 | 時事ネタ
 最近、テレビをつけても大して面白い番組はやっていないので、定額制配信サービスによる映画やYouTubeなどのネット動画をテレビで見ることが多くなった。その中で、とても印象的だったプログラムがある。それは、80年代後半の、いわゆるバブル時代にオンエアされていたTVCMを集めたものだ。

 いずれもカネがかかっており、有名タレントを惜しげもなく投入。見ているだけで何だかリッチな気分になってくる(笑)。特に某清涼飲料メーカーのCMシリーズには感動すら覚えてしまった。

 そのCMには有名芸能人は出てこない。市井の人々や、一般人に扮したモデルと思しき若い男女だけだ。しかし、その映像(および音楽)が醸し出す高揚感はただものではない。とにかく、皆幸せそうな顔をして人生を楽しんでいるように見える。一般人とはいっても、身なりはキチンとしており、ファストファッションに身を包んだ者など一人もいない。デフレ下の現在から見れば別世界だ。

 バブル景気の時期は、私はただの若造だった。バブルの恩恵は我が家には及んでいないようで、父親の給料が大きく上がることは無かった。しかも地方暮らしだったので、テレビで見かけるような金廻りのよさそうな連中とは、まるで縁がなかった。そして内心では“こいつら、浮かれやがって”という苦々しい思いが渦巻いていたのである(笑)。

 しかし今から考えると、そんなルサンチマンは的外れであったことが分かる。あの頃だって、誰しも困ったことの一つや二つ抱えていたはずだ。私も、当時は学業面や仕事面では愉快ならざる状況に陥ったことがある。それでも胸の内では“まあ、何とかなるんじゃないか”と楽観的に構えていて、世の中全体もそういう雰囲気だった。そして実際、何とかなっていたのである。

 バブルの恩恵を受けなかった者など、存在しなかったのではないかと思う。たとえ収入が大幅アップしなくても、海外旅行や大型レジャーを楽しんでいなくても、世の中全体が“何とかなる。見通しは明るい”という前向きなトレンドに振れていれば、捨て鉢な気分になる者などあまりいなかったはずだ。

 対して現在は、バブル崩壊から約30年も経つのに相変わらず景気は悪いままだ。加えて昨今のコロナ禍においては、各国が積極的な経済対策をおこない景気を支えているにも関わらず、日本だけが遅れを取っている。

 経済面で無策な自公政権が今も続いているのは、もちろん“低い投票率(組織票の効果)”に支えられていることもあるが、出口の見えない低迷状態により国民の間に“諦め”の空気が充満してしまったのも事実だろう。しかも、40歳以下の若年層は“景気が良いときの日本”を知らない。現在の暗鬱な状態が“普通”だと思っている。それに追い打ちをかけるように“日本は人口減少と衰退を引き受けるべきであり、みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい”という意味の極論を展開する識者もいる始末だ。

 とにかく、バブル経済自体には何かと批判もあったようだが、バブルだろうが何だろうが、好景気の方が不況より良いに決まっている。景気が良くなれば、社会問題の大半は解決したも同じなのだ。

 その意味でも、次の選挙では積極財政を提唱する候補者を支持したい。財政均衡主義や構造改革優先などという妄言を並べる者は、お呼びではない。そしていつの日か、くだんのバブル期のCMで描かれた世界のように、皆が笑って暮らせる世の中が到来すればいいと思う。
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「いとみち」

2021-08-07 06:57:27 | 映画の感想(あ行)
 大して面白くもない。ポスターとキャッチフレーズから、私は観る前はヒロインが三味線を弾きまくる映画だと思っていた。一種のスポ根ものかと予想していたのだ。ところが実際接してみると、何とも形容のしようがないモヤモヤとした作りになっている。これでは評価出来ない。

 弘前市の高校に通う相馬いとは、幼い頃から祖母と亡き母に津軽三味線を習い、中学校卒業までにかなりの実績をあげていた。ところが進学後に今の自分の姿に疑問を感じ、思い切ってメイド喫茶でアルバイトを始める。一方、大学教員である父親の耕一は東京出身だが、亡き妻の実家である青森に移住している。ただ、年頃の娘とのコミュニケーションが上手くいかず悩む日々だ。越谷オサムによる同名小説の映画化である。



 序盤に、いとが訛りの強い津軽弁を話すため何となくクラスで浮いている場面が映されるが、これはとても不自然だ。仲間内ならばともかく、授業中の受け答えも彼女一人だけコテコテの方言であるというのは、合理的な説明を抜きにしては納得出来るものではない。どうしていとがメイド喫茶でバイトしようと思ったのか、それも不明だ。単に時給が高いというのが理由ならば、その動機の背景を描くべきだ。

 バイト先の人間模様や、店の経営がどうだというのも、あまり興味を惹かれるネタではない。常連客の様子も凡庸な展開に終始。もっと濃いキャラクターを配しても良かったと思う。父や祖母、亡き母との関係性は思い入れたっぷりのようで、実は何も描けていない。いとが再び三味線を手に取るプロセスにしても、御都合主義的なシチュエーションが鼻に付く。

 そもそも、ヒロインが三味線を弾くのは終盤だけである。それも、劇中で熱心に練習を重ねて上手くなったというくだりは無く、いとは最初から熟達者なのだからドラマとしては盛り上がらない。あとは中盤の三味線が破損してどうのこうのというパートが流れるだけで、いったい何のために津軽三味線を題材にしたのか理解困難である。

 横浜聡子の演出は平板でキレもコクも無く、漫然と話が進むのみ。主演の駒井蓮は表情に乏しく魅力が感じられない。もっともそれは、本人の実力というよりも監督の演技指導が不十分だからだろう。あとのキャストでまあまあ良かったのは豊川悦司と黒川芽以ぐらい。祖母役の西川洋子は高橋竹山の弟子らしいが、それらしいカリスマ性は希薄。別に観なくてもいい映画だ。
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「クワイヤボーイズ」

2021-08-06 06:26:03 | 映画の感想(か行)
 (原題:The Choirboys )77年作品。ロバート・アルドリッチ監督といえば骨太な痛快娯楽作の担い手として知られ、その分野ではかなりの実績を残している。特に「ロンゲスト・ヤード」(74年)や遺作の「カリフォルニア・ドールズ」(81年)などは活劇映画史上に残る快作だと思う。本作は同監督のフィルモグラフィの中では地味な存在だが、それでも無手勝流の豪快さで最後まで楽しまてくれる。

 ロスアンジェルス市警のウィルシャー署に勤務する地域課のメンバーは、揃いもそろって問題人物ばかり。自らを“クワイヤボーイズ=少年聖歌隊”と称し、日々これ悪ノリとハレンチ行為に勤しんでいた。リーダー各のウェーレンは勤続20年のベテランだが、これまで何かと上司に反抗し、定年間近になってもヒラ巡査のままだ。



 そんな中、課内で取り返しのつかない不祥事が起こる。事態を収拾したい上層部は、ウォーレンに退職後の好処遇をチラつかせて虚偽の供述をさせる。そのため仲間たちは処分されてしまうが、悔恨の念に駆られたウォーレンは捨て身の行動に出る。警察小説の名手と言われるジョゼフ・ウォンボーの著作の映画化だ。

 署内の面々や町のゴロつきども徹底的にからかう(時に逆襲されるが ^^;)はみだし警官たちの所業は大いに笑えるが、内実はかなりブラックである。飛び降り自殺を図ろうとする少女に対する振る舞いなど、冗談では済まされない。また、この時期のアメリカ映画ではよく取り上げられているベトナム戦争の後遺症に関しても言及されており、閉所恐怖症により幻覚に襲われて発砲する者もいる始末だ。

 ヘタすると暗鬱なタッチに終始するネタばかりなのだが、そこはアルドリッチ御大、豪快なユーモアで乗り切ってしまう。終盤の“クワイヤボーイズ”の活躍により、後味の良い幕切れになっているのは評価して良い。

 ウォーレン役のチャールズ・ダーニングをはじめ、ルイス・ゴセット・ジュニアにティム・マッキンタイア、ランディ・クエイド、さらにはジェームズ・ウッズにバート・ヤングと、濃いキャストを集めていながらそれぞれに見せ場を用意し、キャラも十分立てるという段取りも十分頷ける。なお、登場人物たちのあまりの無軌道ぶりに原作者のウォンボーが気を悪くして、自らも参画した脚本のクレジットから名前を取り下げるという逸話もあったらしい。
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「ザ・ファブル 殺さない殺し屋」

2021-08-02 06:26:03 | 映画の感想(さ行)
 明らかに前作(2019年)よりも面白い。もっとも、終盤で失速してしまうという欠点があり、その他にも突っ込みどころはあるのだが、言い換えればそれらを除けば万全の出来だということだ。特に活劇場面の盛り上がりは尋常ではなく、まず観て損はしない娯楽編であり、多くの観客を集めているのも当然だと思わせる。

 前回から引き続き、大阪で妹分のヨウコと暮らす凄腕の殺し屋“ザ・ファブル”こと佐藤アキラは、デザイン会社“オクトパス”での勤務にも慣れ、カタギの社会人としての生活を送っていた。そんな中、NPO団体“子供たちを危険から守る会”が町中で支持を集めていた。主宰している宇津帆は一見人格者だが、実は若者から金を巻き上げて次々と殺害するという犯罪組織のボスだった。



 かつて弟を殺したアキラが大阪にいることを突き止めた宇津帆は、アキラの同僚である貝沼を拉致するなど、復讐を果たすべく動き出す。一方、宇津帆と行動を共にしている車椅子の少女ヒナコは、偶然にアキラと知り合う。彼女は、過去にアキラのミッションに巻き込まれてしまい、以後歩けなくなってしまった。アキラは彼女のリハビリの相手をしながらも、宇津帆との抗争に身を投じていく。南勝久によるコミックの映画化だ。

 宇津帆は数人の仲間と共に“仕事”をやっているはずが、途中で何の前触れもなく山のような数の手下が現れるのには脱力した。極端な猫舌でお笑い好きな主人公の性質は、今回特にクローズアップされておらず、飼っているインコの存在が希薄なのは前作と同じだ。展開は中盤で少し緩み、後半で盛り返すものの、ラスト近辺は要領を得ない話の運びになる。

 しかし、挿入されるアクション場面は一級品だ。冒頭のアキラのスピーディーな“仕事”の描写に続く、カーアクションの切れ味には驚いた。そしてハイライトは、改装工事中の団地内での銃撃戦だ。段取りの良さと豊富なアイデア、そして速い展開と派手なスタントで、ハリウッド映画にも負けない盛り上がりを見せる。間違いなく邦画における活劇場面の歴史に残る快挙だと思う。監督の江口カンの健闘は評価されて良い。

 アキラをはじめとするキャラクターは十分“立って”おり、多少のドラマの瑕疵も笑って済ませられる。主演の岡田准一は絶好調で、アクション監修にも参画しているのは大したものだ。木村文乃に安藤政信、佐藤二朗、安田顕、そして敵役の堤真一らも申し分ない。演技に難のある山本美月の出番を減らしたのも冷静な判断だ(苦笑)。ただし、ヒナコ役に平手友梨奈を持ってきたのはどうかと思う。終盤の扱いはドラマを無理に彼女に“寄せる”ためだったというのは一目瞭然で、キャスティングは話題性よりも堅実さを求めたいところだ。
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「楽園の夜」

2021-08-01 06:15:56 | 映画の感想(ら行)

 (英題:NIGHT IN PARADISE )2021年4月よりNetflixより配信。なかなか良く出来た韓国製ノワール映画だ。後半の作劇にもうひとつ工夫が必要だったとは思うが、それでも観る者に最後まで緊張感を持たせるパワーは大したものである。非コンペティション扱いながら第77回ヴェネツィア国際映画祭に出品され、好評を博したというのも納得だ。

 パク・テグはソウルの暗黒街で名の知れた凄腕だった。ところがある時、組織抗争の巻き添えになり彼の姉と幼い姪が命を落としてしまう。怒ったテグは、手を下したと思われる敵対組織の幹部を襲撃する。彼のボスであるヤン社長は、騒ぎが大きくなることを恐れてテグにしばらく済州島に身を隠すように要請する。

 そこには心に傷を抱え、しかも薬物中毒で余命幾ばくも無い若い女ジェヨンが彼を待っていた。反発しながらも距離を縮めていく2人だったが、一方でヤン社長と対立組織のマ理事との間で“手打ち”が成立。テグを抹殺することで一件落着にすることを決めた両組織の構成員たちが、済州島に大挙して押しかけてくる。

 まず、キャラクターの造型が素晴らしい。義理と人情に縛られながらも自身の筋を通そうとして、かえって窮地に追いやられるテグの佇まいは、人生全て投げてしまったような潔さと美学に溢れていて圧巻だ。演じるオム・テグの表情と仕草はいちいちサマになり、セリフも決まっている。残り少ない命を完全燃焼させることに何の躊躇も無いジェヨンの、強固な意志と鋭い眼差しにもシビれる。扮するチョン・ヨビンは化粧っ気のない顔と蓮っ葉な言動に徹しているが、これが実に硬質な魅力を発散され画面から目が離せない。

 パク・フンジョンの演出は切れ味が鋭く、特に活劇シーンのヴォルテージの高さには感服するしかない。また、キム・ヨンホのカメラによる済州島の風景は清涼で、これをチェックするだけで得した気分になる。

 なお、北野武作品との共通性はすでに指摘されており、特に「ソナチネ」(93年)と比較されるのも頷ける。しかし、あくまでも冷たく乾いた世界を創出する北野映画に対し、この「楽園の夜」は画面はクールながら登場人物たちの情念は実に熱い。韓国映画の特質を見るような気がした。主演2人以外のキャスト、チャ・スンウォンやイ・ギヨン、パク・ホサン、イ・ムンシクといった面々も、それぞれ持ち味を十分に出している。
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