元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ランナウェイ・シーフ」

2023-04-14 06:11:02 | 映画の感想(ら行)
 (原題:CHOR NIKAL KE BHAGA )2023年3月よりNetflixより配信。歌も踊りも出てこない(笑)インド製のサスペンス・アクション編で、上映時間も1時間40分とコンパクト。開巻からしばらくは安手のテレビドラマ並の上等ではない建て付けで、正直言って鑑賞意欲は減退気味。しかし、中盤を過ぎると観る者の予想を裏切るアクロバティックな展開が続き、結局は最後まで見入ってしまった。

 大手航空会社にCAとして勤務するネハ・グローヴァーは、乗客の一人であったアンキットと親しくなり、やがて婚約する。しかし、一見カタギのビジネスマンのアンキットは、事業がうまくいかずヤバい筋から多額の借金をしていた。キツい取り立てにより瀬戸際に追い込まれた彼は、中東から空路で密輸されるダイヤを強奪しようと画策。乗務員のネハに無理矢理に協力させ、旅客機に搭乗するブローカーを出し抜こうとする。ところが、飛行中にまさかのハイジャック犯のグループが機内を制圧。乗客を人質に取ってテロリストの親玉の釈放を政府に要求する。

 主人公2人の馴れ初めからアバンチュールまでは、どこぞのライトノベルみたいな雰囲気で盛り下がり、アンキットのヤクザな交友関係の紹介を経てダイヤ泥棒計画に至る顛末も凡庸。突然のハイジャックも、緊張感を欠く。しかし、本編のハイライトはハイジャック事件の終結後だというのが目新しい。

 後半は当事者同士の腹の探り合いや、主要登場人物が意外な本性を次々とあらわすといった(半ばヤケクソ気味の)ドンデン返しが続き、終盤には真の悪役が明示されるといった案配だ。もちろん、欧米製の本格的コン・ゲーム作品と比べれば洗練はされていないが、何とか観る者を楽しませようとする意図は感じ取れる。アジャイ・シンの演出には特筆されるようなものは無いが、何とかラストまで破綻なくドラマを引っ張っているように感じられた。

 ネハに扮するヤミー・ガウタムはインド女優らしいゴージャスな美人。対して男優陣は、アンキットを演じるサニー・コウシャルをはじめ、どいつもこいつも濃くてむさ苦しい(苦笑)。最近はインド映画界にも垢抜けた二枚目男優も目立つとは聞くが、まだトレンドを形成するには至っていないようだ。
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「シャザム! 神々の怒り」

2023-04-10 06:08:46 | 映画の感想(さ行)
 (原題:SHAZAM! FURY OF THE GODS)退屈せずに観てはいられるが、前作(2019年)よりも面白さは低下している。早い話が、このキャラクターの売り物である“見た目は大人、中身は子供”という特徴が、キャストの成長によりあまり活かされなくなったのだ。かといって、出演者を総入れ替えするとシリーズとしての一貫性が損なわれる。難しいところだ。

 アテネにある博物館に突如として2人の女神が乱入し、狼藉の末に展示してあった真っ二つに折れた魔法の杖を強奪。彼女たちは神話のアトラスの娘で、古代の魔術師より6人の神の力を授けられたシャザムことビリー・バットソンとその仲間たちからパワーを取り戻すべく、彼らが住むフィラデルフィアに向かう。一方、ビリーたちは相変わらずお気楽なヒーロー稼業を続けていたが、女神たちがペットのドラゴンを引き連れて襲来し街を破壊するに及び、この脅威に敢然と立ち向かうことになる。



 前回中学生だったビリーは高校生になっており、変身後の姿のようなマッチョではないものの、体格は大人と変わらなくなっている。これではシャザムとの見た目のギャップが小さくなり、そのあたりで笑いを取ることは難しい。他のメンバーも程度の差こそあれ似たようなもので、これはマズいと思ったのか、今回クローズアップされるのは普段は足が悪くて学校では辛い目に遭っている(変身時との格差が大きい)フレディである。

 フレディは転校してきた女生徒のアンと仲良くなるが、実は彼女は件の女神の一人だった。この学園ラブコメ風なパートがけっこう尺を取っているため、主人公であるはずのビリーの影が薄くなる。そんな釈然としない展開が続いた後に大々的なバトルシーンに突入するが、最近のアメコミ物の御多分に漏れず、派手な割には大味であまりワクワクしない。前回のように舞台を遊園地に限定したり、思わぬ“友情パワー”が炸裂したりといった工夫が見られないのは辛いところだ。

 デイヴィッド・F・サンドバーグの演出は賑々しいが、緻密さでは前作の方が上だ。終盤に“あの人”が登場するのも、あまり効果的とは思えない。ザカリー・リーバイにアッシャー・エンジェル、ジャック・ディラン・グレイザー、ジャイモン・フンスーといったレギュラーメンバーは可もなく不可もなし。

 ただ、敵役のヘレン・ミレンとルーシー・リューは楽しそうに演じていたし、アンに扮したレイチェル・ゼグラーは「ウエスト・サイド・ストーリー」に出演した時よりも好感度が高い。なお、エンドクレジット前後には思わせぷりなエピローグが挿入されるものの、このシリーズ自体の先行きが不透明なため、気勢の上がらない幕切れになったのは仕方がない。
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「今ひとたび」

2023-04-09 06:10:02 | 映画の感想(あ行)
 (原題:Cousins )89年作品。フランス映画「さよならの微笑」(75年)のハリウッド版リメイクである。元ネタの公開から10年以上経っての再映画化ということで、なぜそこまでインターバルがあったのかは不明だ。ともあれ、出来としてはオリジナルには及ばないまでも決して悪くない。大人のためのウェルメイド・ムービーとしては、十分に楽しめる。

 主人公のマリアは、母イーディの結婚式で母親の夫となるフィルの甥のラリーと出会う。2人は義理のいとこ同士になるのだが、互いに惹かれ合うものを感じる。一方、マリアの夫トムとフィルの妻ティッシュは密かに懇ろな仲になっており、それをマリアは薄々勘付いていた。そのこともあって彼女はますますラリーを頼りにするようになるが、一線を越えないだけの節度を保っていた。だが、ティッシュとトムはそんな2人を嫉妬し何かと干渉してくる。悩むマリアは、夫との関係を清算するかどうかの決断を迫られる。



 要するに“ダブル不倫”の話なのだが(苦笑)、それが決してイヤらしく見えないのは、誠実そうなマリアとラリーの対極にティッシュとトムいうかなり問題のあるキャラクターを配置するという設定の妙に尽きる。そして成り行き上、彼らが義理のいとこ同士の関係になったというシチュエーションも出色だ。

 つまり、当事者だけの話ではなく親戚などの関係者も絡んできて、一筋縄ではいかない展開が期待できる。好きになったら配偶者を無視して突っ走るわけにはいかない登場人物の立場と分別がモノを言う作劇で、このあたりがアカデミー外国語映画賞にもノミネートされたフランス作品を土台にしているメリットを感じる。

 とはいえ、主演のイザベラ・ロッセリーニは健闘しているが、オリジナルのマリー=クリスティーヌ・バローの気品には一歩譲る。ティッシュに扮するショーン・ヤングも持ち前のエキセントリックさを発揮しているものの、元ネタにおけるマリー=フランス・ピジェの変態ぶりには負ける(笑)。

 監督はジョエル・シュマッカーで、こういう恋愛物には合わないと思われるが、結構うまくやっている。ただ、それでも「さよならの微笑」のジャン=シャルル・タケラの方が手馴れていると思う。テッド・ダンソンにウィリアム・ピーターセン、ロイド・ブリッジスなどの他のキャストは万全。ラルフ・ボードのカメラによる清涼な映像(特に、湖畔のコテージのシーン)は印象深い。
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「The Son 息子」

2023-04-08 06:22:20 | 映画の感想(英数)
 (原題:THE SON )秀作「ファーザー」(2020年)で93回アカデミー脚色賞を受賞した劇作家のフロリアン・ゼレール監督の第二作ということで一応期待したのだが、何とも要領を得ない出来に終わっていて閉口した。これはひとえに、設定の普遍性の欠如に尽きる。誰にでも訪れる“老い”と、本人を取り巻く家族等が直面する問題を扱った「ファーザー」に対し、本作の建付けは何とも無理筋だ。この時点で鑑賞意欲が減退する。

 ニューヨーク在住の敏腕弁護士ピーターは、今や大物政治家の選挙対策委員を打診されるほどの出世を遂げていた。ある日前妻ケイトから、彼女と一緒に暮らしている17歳の息子ニコラスの様子がおかしいと相談される。母子二人だけの生活に閉塞感を覚えているためか、ニコラスは学校にもあまり行かずに引きこもっているらしい。父親の元で生活したいという要望に応えてピーターは彼を引き取るのだが、長らく疎遠だった父と子は簡単に関係を修復できるものではなかった。



 まず、ピーターの造形にはとても共感できない。とことん自分勝手な仕事人間で、他人の迷惑など知ったことではない。彼は妻帯者でありながら、何の後ろめたさも無くベスという愛人と付き合い、それを当然のことのように妻に告げて離婚する。もちろん、息子ニコラスはケイトに押し付けたままだ。前妻から泣きつかれて息子を引き取るが、父親らしいことは何もしない。いや、本人は良い父親であろうと努力しているつもりなのだが、それは他の人間にはまったく伝わらない。これではニコラスがメンタル面で問題を抱えるのも当然のことだろう。

 さらに映画後半にはピーターの父親アンソニーも登場するが、首都ワシントンに邸宅を構えるアンソニーは、自身の利益と名声のことしか考えない超エゴイストだ。ピーターはその資質を受け継いでいることが明らかになるが、そういう非人間性を身に付けないとこの一族の中では生きられない。ベスとの間に生まれた赤ん坊も将来は傲慢な人間になるか、あるいはニコラスのように神経が参ってしまうかのどちらかだろう。

 斯様な異様な家族関係の中で、いくら登場人物たちが悩もうとも、観る側にとってはそれは単なるレアケースと片付けてしまえる。つまりは“関係のない話”なのだ。取って付けたようなラストも脱力感が残るのみ。ゼレールの演出は前作ほどの切れ味は無く、凝った映像ギミックも見当たらない。アメリカが舞台であるにもかかわらず、どこかヨーロッパの都市を思わせる清澄な絵作りこそ印象的だが、それ以外は特筆できるものはない。

 主演のヒュー・ジャックマンは熱心に仕事をしていたとは思うが、こういうヒーロー然とした男よりも普通の容貌の俳優の方が合っていた。ローラ・ダーンにヴァネッサ・カービー、アンソニー・ホプキンスといった手堅いはずのキャストの演技も空振りの様相を示す。ただ、ニコラス役のゼン・マクグラスは芸達者で見どころがある。今後の活躍に期待したい。
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プロ野球の開幕戦に行ってきた。

2023-04-07 06:20:45 | その他
 去る3月31日、福岡PayPayドームにプロ野球観戦に行ってきた。対戦カードは福岡ソフトバンクホークスvs千葉ロッテマリーンズで、今シーズンの開幕試合だ。私は開幕戦を実際観るのは初めてで、予想していたとはいえ客席は満員御礼で通路も人で溢れんばかり。この球場は飲食物の持ち込みは禁止されているので、球場内の売店で調達しなければならないが、弁当を買うだけで長時間要したのには閉口した(まあ、仕方ないんだけどね ^^;)。でも、弁当自体はけっこう高価。もうちょっと安くしてほしい。



 始球式は“なにわ男子”の西畑大吾がつとめ、ノーバウンドの投球で観客を沸かせた。試合はホークスの先発の大関が良いピッチングをして、中盤は栗原の本塁打などで点を重ね、結果として快勝。地元ファンを大いに喜ばせた。昨年(2022年)はあと一歩のところで優勝を逃したが、今年は頑張ってもらいたい。

 2023年は球団創設85周年で、ドーム開業30周年に当たるらしい。そういえば、初めてこのドーム球場に仲間と徒党を組んで観戦したのは30年も前になる。あの頃はホークスは全然強くなく、客もそんなに入っていなかったと記憶しているが、今では隔世の感がある。



 なお、開幕記念として入場者全員にグッズが手渡された。帰宅後に中を確かめてみると、ガラス製の置物で、ドームの画像が中に刻印されている。決して安価なシロモノではないと思うのだが、これを大量に供給できたというのはさすが金回りの良い球団だけのことはある。ともあれ、今シーズンは機会があればまた試合に足を運びたい。
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「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」

2023-04-03 06:19:27 | 映画の感想(あ行)
 (原題:EVERYTHING EVERYWHERE ALL AT ONCE )私は本作をアカデミー授賞式よりも前に観たのだが、鑑賞後は間違いなく大賞を獲得すると思った。そして実際は作品賞だけではなく計7冠を達成し、まさに完勝。言い換えれば、もしもこの映画が無冠に終わるならばハリウッドも行き詰ったと結論付けても良いほどだ。とにかく、今年度のアメリカ映画を代表する快作である。

 ロスアンジェルスの下町で破産寸前のコインランドリーを経営する中年女性エヴリン・ワンは、優しいが甲斐性無しの夫ウェイモンドと反抗期の娘ジョイ、そしてボケているくせに頑固な父親の面倒も見なければならず、疲れ果てた毎日を送っていた。確定申告のために税務署に赴いた際、突然ウェイモンドが人が変わったように意味不明なことを口走る。



 夫の身体に宿っているのは別の世界のウェイモンドであり、全宇宙の覇権を狙う悪の首魁ジョブ・トゥパキの脅威がこの世界にも迫っていて、そいつと戦えるのはエヴリンだけなのだという。そしてワケの分からないうちに別次元からの刺客に襲われた彼女は、マルチバース(平行宇宙)の力を借りて奇想天外なバトルに身を投じる。

 SFファンタジーの体裁でありながら、基本線は家庭劇である。そして社会派ドラマのテイストも取り入れている。つまりは“ファンタジーだから筋書きはどうでも良い”といった恥ずべき展開には決してならず、土台がしっかりしているからイレギュラーな意匠が活きるという、作劇面では王道を歩んでいるのだ。

 そして、マルチバースの取り扱いが絶妙。昨今マーベルなどのアメコミ勢力がこのネタを採用しているが、今のところ何とか成功しているのは「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」(2021年)だけである。対して本作は、主人公がマルチバースに飛び込むのではなく、逆にヒロインがマルチバースから能力を引っ張ってくるという設定が秀逸で、これならばリアルな世界に軸足を置いたままいくらでも無茶が出来る。

 ダニエル・クワン&ダニエル・シャイナートの演出はテンポが良すぎて、矢継ぎ早にギャグとアクションを繰り出してくる。ただし、それが“意味不明で面白くない”という評が目立つ原因にもなっているのだが、いくら目まぐるしい画面展開であろうとも、ベースは良く出来たホームドラマなのだからその時点で“脱落”してしまうのは損だ。

 ジョブ・トゥパキとは何者なのか、それがエヴリンとどう関係してくるのか、このカラクリが明らかになってくる後半のストーリーと、それが現実世界に少なからぬ影響を及ぼしてくるという処理には、ただただ感心するしかない。本作でアジア系俳優として初めてオスカーの主演女優賞に輝いたミシェル・ヨーや、ウェイモンド役のキー・ホイ・クァン、ジョイに扮するステファニー・スーらの活躍を見ていると、ハリウッド自体が新たな“マルチバース”に移行しつつあることを認識できる。

 他のキャストでは税務署職員を演じるジェイミー・リー・カーティスが強烈。両親が有名スターであり早くから注目を集めた彼女だが、「トゥルーライズ」(94年)を除けば演技面では大きなアワードには縁が無かった。それがようやく評価されたことは喜びもひとしおだろう。
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「もう、歩けない男」

2023-04-02 06:13:47 | 映画の感想(ま行)
 (原題:ADAM)悪くはないが、それほど良くもないという出来の映画だ。実話を元にした“難病もの”の体裁を取り、それなりのルーティンをなぞってソツなく仕上げているように見えて、大きなインパクトは受けない。実録作品であることに寄りかかり、観る者を惹き付ける工夫が疎かになったような案配だ。ただ、キャストの奮闘に関しては評価は出来る。

 ミシガン州在住のアダム・ニスカーは、勤め先の保険会社で実績を上げ、恋人のクリスとの結婚も間近で、立派な一軒家も手に入れてまさに人生は順風満帆だった。しかし新居を祝うパーティの最中に酔った弾みで池に頭から飛び込み、脊髄損傷で半身不随になってしまう。すべてが暗転した状況の中でアダムは自暴自棄になるが、家族やリハビリ施設の仲間、そして型破りなヘルパーらの支えにより徐々に自分を取り戻していく。



 同様のシチュエーションの映画は過去にいくらでもあるのだが、本作が特段優れているわけではない。そもそも、アダムの境遇は随分と恵まれている。クリスは離れてしまうが、元々有能なビジネスマンであった彼にはそれなりの蓄えがあり、元の上司からは復職を打診されたりする。両親は健在で経済面での不安は無く、兄は無能だが根は良い奴で決して主人公の足を引っ張ることはない。

 言い換えれば、これらの有利な条件の一つか二つ欠けるだけでもアダムの再起は困難になるのだ。いくら実話だと言っても、映画の内容としては普遍性に関して疑問が残る。筋書きは型通りで、ロシア系介護士のイフゲニアの思い切った言動こそ印象的だが、それ以外はあまり感心出来るところは無い。

 そういえばこの映画、製作年度こそ2020年だが、撮影は2010年に完了している。だから何となく新作として向き合うには不自然な雰囲気で、そもそもどうして10年ほども手付かずのままだったのか分からない。マイケル・アッペンダールの演出は可もなく不可もなしで、映像や作劇における特段の工夫も見受けられない。

 主役のアーロン・ポールは好演。脇にレナ・オリンやセリア・ウェストン、トム・サイズモア、トム・ベレンジャーらベテランや実力派を配し、クリス役のシャノン・ルシオはエロ可愛い(笑)。しかしながら映画のクォリティがイマイチなのでアピール度は高くない。それにしても、酒に酔って無鉄砲な行動に出るとロクなことにならないのは確かだ。気を付けねばならない。
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「第20回九州ハイエンドオーディオフェア」リポート(その2)

2023-04-01 06:21:06 | プア・オーディオへの招待
 オーディオシステムの音の方向性を最も大きく左右するのがスピーカーであることは論を待たないが、トールボーイ型などのフロアスタンディング・タイプと、ブックシェルフ型などのコンパクトなモデルは、果たしてどちらが良いのか、改めて考えてみた。・・・・などと書くと“そんなのはケースバイケースで考えれば良い話で、一概に決めつけるようなことではない。まあ、フルオーケストラを聴くならばフロア型が有利なのは確かだが”というような正論が返ってくるのだろうが、事はそう単純ではない。

 例えば、管弦楽曲を主に聴くユーザーの前にほぼ同じ価格で同一メーカーのフロア型とコンパクト型が並んでいたら、どちらを選ぶ方が賢明なのか。結論から書くと、オーケストラを鳴らすから無条件でフロア型を選ぶというのは、実は少しも賢明ではないのだ。だだっ広い応接間にシステムを置くのならばともかく、六畳間や八畳間程度ではフロア型のスケール感を十分な音圧で堪能するのは難しい。それよりも音色や音像の再現性などの音質自体を重視した方が良い結果につながる。



 どうして以上のようなことを考えたかというと、フェア会場では同一メーカーであまり価格差のないフロア型とコンパクト型を聴き比べる機会があったからだ。大抵の場合、各ブランドは複数のシリーズを用意している。ここで言うフロア型というのは下位シリーズの最上位機、コンパクト型は上位シリーズのローエンドモデルだ。結果は一目瞭然ならぬ一聴瞭然で、スケール感こそフロア型に分があるが、音質は上位シリーズのコンパクト型の圧勝である。

 シリーズが違えば設計コンセプトや使用部材のグレードも異なるわけで、上位シリーズは下位モデルでもその姿勢は一貫している。スピーカーをサイズだけで選ぶと決して幸せにはなれないのだという、いわば当たり前のことを再認識した。もっとも、音質よりも見た目の存在感(≒圧迫感)を重視するユーザーもいることは承知しているし、外野がそんな個的な趣味嗜好を否定する筋合いは無いことは確かだ。

 さて、ハッキリ言って今回のフェアもコロナ禍の前ほどの客足は戻っていないと感じた。福田雅光によるイベントも、以前は客席がぎっしりと埋まって入場できない者も少なからずいたほどだが、今はそうでもない。これは何回も書いていることで読者諸氏諸嬢から“いい加減にしろ!”というお叱りを受けるかもしれないが、もうちょっと集客を狙った方が良い。



 主催者側としては、交通の便が悪い福岡国際会議場を使わざるを得ない事情があるのかもしれないし、収支面では問題ない可能性もあるが、さらなる盛り上がりを期待したいのが正直なところだ。マーケティングの手法としてはいろいろと考えられるし、それが無理ならば専門の業者に運営を外注しても良い。とにかく、相変わらず小金を持っていそうな団塊世代ばかりを相手にしていては先が見えている。若い層や女性客を取り込むような姿勢を見せてほしい。

 とはいえ、開催してくれたこと自体は有難い。気が付けば、私は主催元のマックスオーディオからは音楽ソフトこそ何回も購入しているが、機器を買ったことは無い(苦笑)。直近にはオーディオシステムをグレードアップする予定は無いのだが、もしもそのタイミングが来たら、このショップも購入先の候補にしようかと思う。

(この項おわり)
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