元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「太陽と桃の歌」

2025-01-12 06:17:05 | 映画の感想(た行)
 (原題:ALCARRAS)第72回ベルリン国際映画祭で大賞に輝いたヒューマンドラマだが、出来が良いとはとても思えない。もちろん、舞台になっているスペインのカタルーニャ地方の風俗など私は知らないし、ましてやそれに対する映画祭審査委員の思い入れなんか理解の外にある。しかし、それらを差し引いてもアピール度の低さは拭えない。

 当地で3世代にわたって桃農園を営んでいるソレ家が例年通り収穫を迎えようとすると、突然地主から収穫後に土地を明け渡すよう言い渡される。桃の木をすべて伐採して、代わりにソーラーパネルを敷き詰める予定らしい。頑固者の父は猛反対するが、母と妹夫婦はパネルの管理をすれば楽に稼げるのではないかと密かに期待する。かと思えば祖父はギャンブルにハマっているし、長男は畑の片隅で大麻栽培を始める始末。家族それぞれの思惑が交錯する中、季節は夏の終わりを迎える。



 まず、時代設定が判然としないのには参った。スマホを持っている者がいるので現代の話のようだが、十分に活用しているようには見えないし、情報を収集している様子も無い。また、収穫物の桃の取り扱いが手荒いのも気になる。あれでは実に傷が付いて売り物にならないだろう。あるいは、ジュース用か何かとして出荷するのだろうか。

 そもそも、この地方の主要農産物は米やジャガイモであり、果物ならばブドウであって、桃はポピュラーではないはずだ。このソレ家にとっても同様で、たぶん桃以外に採算の取れる作物(オリーブか何か)を栽培しているはずであり、桃だけがクローズアップされる必然性は乏しい。一家の面々も魅力があるとは言い難く、父親以外は現実に対する切迫感は感じられない。ただ漫然と日々を過ごすだけだ。

 ここで思い出したのが、同じく厳しい状況に追い込まれた農民一家を描いたエルマンノ・オルミ監督の「木靴の樹」(78年)である。あの映画は傑作として名高いが、この「太陽と桃の歌」はその足元にも及ばないと言って良い。脚本も手掛けたカルラ・シモンの演出は凡庸で、ジョゼ・アバッドにアントニア・カステルス、ジョルディ・プジョル・ドルセといったキャストは馴染みも無いし、目立った演技もしていない。

 あと気になったのは、一家の女児が上半身裸で遊んでいる場面で胸の部分にボカシが入っていること。どう見ても5,6歳の幼女の描写に、そこまでする必然性は無い(却ってワイセツに思えてしまう)。何を考えて斯様な措置を講じたのか、当事者の感覚が疑われるところである。
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「デイ・シフト」

2025-01-11 06:19:11 | 映画の感想(た行)

 (原題:DAY SHIIFT)2022年8月よりNetflixから配信されたホラー・コメディ。他愛の無いシャシンなのだが、手を抜かずに真面目に仕上げられているので、けっこう楽しめる。まあ、一応この手の映画には付きもののゴア描写は満載であり、それが苦手な向きには奨められないが、ホラーにある程度の耐性があれば鑑賞後の満足度も低くはないと思われる。

 カリフォルニア州でプール清掃業を営むバド・ヤブロンスキーには、別居中の妻子も知らない裏の顔があった。それは、密かに数を増やしつつあるヴァンパイアどもを駆除するハンター稼業である。だが、勤務態度は万全とは言えず、一度はハンター組合から追放されてしまう。それでも娘の学費を工面するため組合に頼み込んで復職するが、規則に詳しい現場未経験の事務員セスが監視役として同行することを承知するハメになる。

 当初、陽光まぶしいカリフォルニアでヴァンパイア連中がどうやって増殖しているのかと思っていたら、何と彼らは特殊な“日焼け止めクリーム”を使用しているらしい(大笑)。さらにはハンターたちの“報酬”を決めるに当たっては、片付けたヴァンパイアどもの牙を引き抜いて組合に持参することが必須条件とのことで、いわゆる年代物の古参連中のものが高く評価されるというのは、呆れつつも納得してしまう。

 今回バドの前に立ち塞がるのは女ボスのヘザーで、彼女は大手不動産の社長であり、ヴァンパイアに相応しい物件を手広く扱っているというのも、悪くない設定だ。これが初監督作になるJ・J・ペリーはスタントマン出身とのことで、さすがに活劇場面(特に乱闘シーン)は優れている。また、木の杭とか銀の弾丸とかいったヴァンパイア映画に付き物のグッズの扱いも効果的だ。そして随所に散りばめられたギャグは精度が高く、何度か爆笑させられた。

 主演のジェイミー・フォックスは“いつも通り”であり、新味は無いが安定したパフォーマンスを披露。デイブ・フランコにナターシャ・リュー・ボルディッゾ、ミーガン・グッド、ピーター・ストーメア、ザイオン・ブロードナックスといった脇のキャストも良い。また、大物ヴァンパイア・ハンターに扮するスヌープ・ドッグが儲け役。さすがに劇中でラップを実演する場面は無いが、その存在感は作品のカラーによく合っていた。
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「アイズ・オン・ユー」

2025-01-10 06:16:26 | 映画の感想(あ行)
 (原題:WOMAN OF THE HOUR )2024年10月よりNetflixから配信されたサスペンス編。本作の注目点は、主演女優のアナ・ケンドリックが初メガホンを取っていることだ。よほどこの映画の題材が気になったと見える。しかしながら、出来は良いとは言い難い。もっともこれは脚本に問題があったのかもしれないが、たとえそうでもウェルメイドに仕上げる余地はあっただろう。

 1970年代のロスアンジェルス。駆け出しの女優シェリルは何とかハリウッドで名を売ろうとするが、まるで上手くいかない。そこでマネージャーから提示されたのが、テレビのデート番組の出演だ。元々は視聴者参加番組のような内容で、そこに一応は芸能人である自分が出るのは躊躇われるところだが、背に腹はかえられない。ところが、その番組の男性出演者の一人であるロドニーは連続殺人犯であった。都合良くシェリルとデートできる資格を得た彼は、彼女を次のターゲットに選ぶ。当時世間を震撼させたシリアルキラーのロドニー・アルカラを描く実録映画だ。



 当然のことながら映画は番組内でのシェリルとロドニーの思惑と、番組終了後に本性を現すロドニーの手からヒロインがどうやって逃れるのかをメインに進行するものだと誰しも思うだろう。ところが、ロドニーの過去の悪行が序盤に紹介されるのはまだ良いとしても、本題の話はなかなかシェリルの方を向いてくれない。

 番組観覧者の一人がロドニーの顔に見覚えがあってプロデューサーに通報しようとするが上手くいかないくだりや、後日ロドニーが家出少女を手に掛けようとするパートなどが不必要に長く、かなり散漫な印象を受ける。時制が遠慮会釈無くあちこちに飛ぶのも愉快になれない。結局は事件の全貌はラストの字幕で説明されるのだから、この映画自体に存在価値はあったのかと思ってしまう。

 まあ、筋金入りのフェミニストとしての言動が知られるケンドリックが、このネタに食い付いてきたのはおかしい話ではないが、娯楽映画としての体裁を整えるのを優先すべきではなかったか。シェリルに扮するケンドリックのパフォーマンスは可も無く不可も無し。ロドニー役のダニエル・ゾバットは凄みが足りず、まるで普通のアンチャンだ。ニコレット・ロビンソンにオータム・ベスト、ピート・ホームズ、ケリー・ジェイクルなどの脇の顔ぶれにも特筆すべきものは見当たらない。
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「モリエール」

2025-01-06 06:41:51 | 映画の感想(ま行)
 (原題:MOLIERE )78年フランス=イタリア合作。17世紀フランスが生んだ偉大な劇作家モリエールこと、ジャン=バティスト・ポクランの伝記作品だ。オリジナルのテレビドラマ版は約7時間とのことだが、劇場公開されたのは短縮版である。とはいえ、これも235分という長尺であり、元々テレビ用のソフトとは思えない超多額の予算が投入されていることもあって、鑑賞後の満足度はかなり高い。

 主人公ジャン=バティストは、1622年にパリの中心地で室内装飾を営むジャン・ポクランの息子として生まれる。何不自由ない幼年時代を送ったが、優しかった母が急逝した際に周囲の者たちの冷酷な振る舞いにショックを受け、人間不信に陥っていく。成長したジャン=バティストはオルレアンの大学の法科に進むが、世の中の不条理に怒り学生運動に身を投じるようになる。



 ある日、官憲から逃れるために入り込んだ芝居小屋で、彼は舞台に立つ美しい女優マドレーヌに心を奪われる。これを切っ掛けにジャン=バティストは演劇にのめり込み、いつしか芝居の台本も手掛けるようになる。モリエールの作品は現在でもよく知られていて頻繁に上演されているが、その生涯の実相はポピュラーではない。その意味で、本作は資料的にも重要であると言えよう。

 時代考証はかなり詰められていて、都会とはいえ衛生状態が良くないパリの町並みや、それに対比するかの如く住民たちの明るいバイタリティとか、たぶん当時はこのようなものだったのだろうという説得力が確保されている。また、そんな庶民の哀歓からモリエールの作品群が生まれてきたというコンセプトも頷けるものだ。

 脚本も手掛けたフランスの先鋭的演劇集団「太陽劇団」の主宰者アリアーヌ・ムヌーシュキンの演出ぶりは目覚ましく、いくつかのシークエンスでは突出した存在感を発揮している。特に公演を勝手に中止に追い込んだ地方の有力貴族に抗議するために、全員が舞台用のコスチュームに身を包んで街中を練り歩く様子や、ヴェルサイユ宮殿の完成祝いにヴェネツィア共和国からゴンドラが雪のアルプスを越えてくるあたりの描写などは、本当に素晴らしい。

 そして、喜劇作家として知られるモリエールが、実は悲劇と紙一重の次元で作品を生み出していたことにも言及している部分は多いに納得する。舞台で倒れたモリエールが運ばれて事切れるまでの描写にいたっては、演劇的手法がスクリーンを侵食してゆくスリルも味わえる。主役のフィリップ・コーベールをはじめ、ジョセフィーヌ・ドレンヌ、ブリジット・カティヨン、クロード・メルリンといった各キャストは好演。製作総指揮に大御所クロード・ルルーシュが参画していることも大きいだろう。とにかく、一見の価値はある作品である。
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「お坊さまと鉄砲」

2025-01-05 06:18:50 | 映画の感想(あ行)
 (英題:THE MONK AND THE GUN)脚本も手掛けたパオ・チョニン・ドルジの演出は、長編監督デビュー作「ブータン 山の教室」(2019年)よりもかなり手慣れてきた感じで、起承転結はキッチリと整備され、凝ったストーリー展開も違和感が無い。各キャストの動かし方は堂に入っており、娯楽映画としてのスタイルは練り上げられていると言って良いだろう。しかし、それが映画自体の存在感に貢献しているかというと、少し微妙ではある。

 2006年。第5代国王のジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュクが退位し、民主化へと舵を切ったブータンでは、総選挙の実施を見据えて各地で模擬選挙が行われることになる。周囲を山に囲まれたウラの村も例外ではなかったが、この地で敬われている高僧は、なぜか次の満月までに銃を2丁用意するよう若い僧に指示するのだった。銃なんか見たこともない若い僧は、調達するため仕方なく山を下りる。



 一方、アメリカからアンティークの銃コレクターのロナルドが“幻の銃”を求めてやって来て、村全体を巻き込んでちょっとした騒ぎになる。しかも、ロナルドは銃密売の疑いで当局側からもマークされており、事態は先の読めない様相を呈してくる。僧職にある者と銃というミスマッチ感、ガンマニアのアメリカ人とガイド、さらには警察当局といった多彩なモチーフを並べ、それらが混濁しないように進めていく段取りには欠点らしきものは見えない。どうして高僧が銃を所望したのかが明かされる終盤の処理も、誰でも納得出来るようなものだ。

 しかしながら、民主主義に対する疑義をあからさまに表明するような姿勢は、賛否が分かれるのではないだろうか。国王はクーデター等でポストを失ったわけではなく、真に国の民主的な発展を願っての勇退であった。それだけ国民を信頼していたということだろうが、あいにく有権者の意識はまるで追いついていない。

 映画はそのあたりをシニカルに描こうとするが、かといって王政が継続するのも何かと懸念材料が多くなる可能性がある。そういうことを考えると、果たしてこの監督が題材として取り上げるのが適当だったのか、疑問に思えてくる。前作の延長線上であと何本か手掛けても良かったのではないか。とはいえ、キャストは皆好演だし、ヒマラヤの風景はすこぶる美しい。不要な刺激や緊張を伴わない肌触りの良い作劇なので、幅広くアピール出来る内容ではある。
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「フーリング」

2025-01-04 06:15:31 | 映画の感想(は行)

 (原題:FOOLIN' AROUND)80年作品。諸手を挙げて評価するようなシャシンでもないのだが、この頃のアメリカ製娯楽映画のトレンドを象徴したような内容で、一応は記憶に残っている。聞けば本作は日本公開時は別の(ある程度客を呼べそうな)映画の併映だったらしく、配給元もあまり期待していなかった様子なのだが、こういうお手軽な作品が世相を反映しているケースもあったりする。

 ミネソタ大学の学生であるウェスは、古い教科書を売りつけた教授に仕返しをするため、教授の車を木の枝にぶら下げるという暴挙をやらかし、一気に問題児としてマークされる。次に彼はアルバイトとして理系学生のスーザンの実験台になることを引き受けるが、上手くいかずに酷い目に遭う。しかし、怪我の功名で彼女と仲良くなり、偶然スーザンが大手建設会社の会長の孫娘だったこともあって、その会社に就職してしまう。ところが、現社長の母親は彼女にイヤミったらしい管理職の男との結婚を強要しており、ウェスは何とかそれを阻止すべく、手段を選ばない行動に出る。

 ウェスのキャラクターこそ型破りだが、筋書き自体に意外性は無い。有り体に言えば、1930年代のスクリューボール・コメディを焼き直したような内容だ。時あたかも70年代(特に前半)の混乱期が過ぎ、何となく保守回帰の空気が充満していたというアメリカ社会。それに呼応するような懐古趣味のハッピーエンド風ドラマである。

 マイク・ケインとデイヴィッド・スウィフトによる脚本は笑いの趣向をたっぷり詰め込んでいて、リチャード・T・ヘフロンの演出はストレスフリーにドラマを進める。終盤はマイク・ニコルズ監督の「卒業」(68年)との類似性を感じさせるが、あの映画にあった“毒”は不在だ。

 主演のゲイリー・ビジーは好調で、おふざけ演技もソツなくこなす。相手役のアネット・オトゥールも魅力があるし、ジョン・カルヴィンやエディ・アルバート、クロリス・リーチマンといった顔ぶれも悪くない。なお、映像が一見キレイだが陰影も的確に捉えていて印象的だと思ったら、カメラマンはウォルター・ヒル監督との仕事などで知られるフィリップ・H・ラスロップだった。チャールズ・バーンスタインによる音楽も及第点に達している。
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「クレイヴン・ザ・ハンター」

2025-01-03 06:23:46 | 映画の感想(か行)
 (原題:KRAVEN THE HUNTER )楽しんで観ることが出来た。一応は少なくない予算を投入したマーベル系の大作だが、俳優組合のストライキの影響で封切りが遅れ、しかもR15指定ということもあり、興行面では比較的不利だったようだ。しかしながら、筋書きにはそれほど瑕疵は無いし、キャストの仕事ぶりも万全であり、これは好評価に値すると思う。

 主人公セルゲイ・クラヴィノフは、幼い頃にマフィアのボスである冷酷な父親ニコライとともに狩猟に出かけた際、巨大な異形のライオンに襲われたことをきっかけに、スーパーパワーを身に付ける。やがて父親の元を去り、長じてクレイヴンと名乗り金儲けのために動物を狩る者たちに次々と制裁を加えるようになる。そして、彼の代わりに無理矢理に組織を継がされそうになった弟のディミトリをフォローするために、裏社会の抗争へと身を投じる。



 クレイヴンはマーベルコミックではスパイダーマンの宿敵になる悪役だが、ヴェノムと同様にここではダークなヒーローとして扱われている。元より主人公の出自と環境が反社会的なものであるため、作品自体のカラーも暗い。だが、クレイヴンの周りにいるのは札付けのワルばかり。そいつらがどんな目に遭おうと知ったことではないし、それどころかカタルシスさえ覚えてしまう。

 敵役も全身が硬い皮膚に覆われた怪人ライノや、強力な催眠術の使い手であるザ・フォーリーナーなど、かなりキャラが濃い。もちろんラスボスはニコライなのだが、そこに行き着くまでの段取りは悪くないと言える。J・C・チャンダーの演出は「トリプル・フロンティア」(2019年)の頃よりも格段の進歩を遂げ、話はテンポ良く進む。アクション場面もよく練り上げられており、意外性のある立ち回りのアイデアには感心する。

 主演のアーロン・テイラー=ジョンソンは「キック・アス」(2010年)の少年役とはまるで別人のマッチョ野郎に成長しているが、力量は認めて良い。ヒロイン役のアリアナ・デボーズは魅力的だし、ディミトリに扮するフレッド・ヘッキンジャーやライノを演じるアレッサンドロ・ニボラも存在感がある。そして何といっても、ニコライ役にラッセル・クロウというクセ者を持ってきているのが大きい。

 なお、今作でソニーズ・スパイダーマン・ユニバースも終了ということだが、これが本家のマーベル・シネマティック・ユニバースとどう関係してくるのか、興味の尽きないところである。
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