(NO・43) 了雲寺 釈幸華
6月のしつらえ
仏さまの智慧をいただく
今年もまたこの季節に会えました。梅から始まり、蝋梅、桜、桃、ニセアカシア、栴檀、そしてバラ(身近な樹木のみ)。その繚乱ぶりを見逃してはなるまいと、恒例の中央公会堂での仏教講演会に出かけて行きました。
第86回となる今回のテーマは「智慧」。御堂さんでもお馴染みの淺田恵真氏と天岸淨圓氏のお話が見事にリンク。流石、と言っては生意気過ぎますが・・・
淺田氏は天台宗にお詳しい。親鸞聖人が29歳で山を下りられるまでどんな修行をなさっていたか、ヒントはただ一つ、恵信尼さまのご消息にみえる「殿の比叡の山に堂僧つとめておはしましけるが」の記述です。堂とは常行三昧堂。5間(けん。一間は一、八メートル)四方のお堂の中に阿弥陀如来像が安置され、その周りをお念仏を称えながら時計まわりに回ります。聖人がおられたのは横川ですのでそこのお堂で修行されたのでしょう。江戸時代の終わりに死者が出て以来封印されていた千日回峰行、それを昭和48年に復興されたのが酒井雄哉氏(ゆうさい、4年前に87歳で往生。阿闍梨・あじゃり)でした。淺田氏は生前、ご本人から直に聞いたそうです---お堂の中を90日間歩き通します。寝てはいけないので、柱と柱の間に竹を渡して眠くなるとそこに倒れ掛かかる状態になります。床に崩れ落ちて目が覚め、また歩き始めます。「(阿弥陀さまを)見ましたか」と問うと「はい、見ました」と阿闍梨。巨大な黄金色の如来さまだったそうです。
大乗仏教の求道者が実践すべき六種の徳目・修行を六波羅蜜といいます。布施、持戒、忍辱(にんにく)、精進、禅定(ぜんじょう、精神統一)、智慧。最後の二つ、念仏三昧の中で精神統一がなされ、智慧を得る、ということでしょうが、並大抵のことではありません。千日回峰行を酒井阿闍梨のように2回なされた方は、長い比叡山の歴史の中でたった3人だけと聞きます。
「いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」(歎異抄第二条) 親鸞聖人は、この三昧に達することができませんでした。天岸氏は淺田氏のお話を引取り、そんな失意のうちに出会われたのが法然聖人だったと続けられました。
法然聖人は、「聖道門(天台宗など修行して悟りに至る)は知恵を極めて生死の迷いを離れる。浄土門は愚痴に返りて極楽に生まる。」と示されました。修行ではなくお念仏をいただく仏道では、仏さまのお言葉を智慧とたまわったら、私の考えなどはグチ・不実と知らしめられる。そう気づかされてお浄土に生まれさせていただく身となるというのです。
釈迦・弥陀の慈悲よりぞ
願作仏心はえ(得)しめたる
信心の智慧にいりてこそ
仏恩報ずる身とはなれ (正像末和讃)
この信心の智慧の左訓(左側につけた仮名)に
弥陀のちかひは智慧にてましますゆえに、信ずるこころの出でくるは智慧のおこるとしるべし・・と記されておられます。弥陀の誓い=本願を、弥陀の智慧=真実といただかれた親鸞聖人、この和讃を作られた時85歳。信心の智慧一筋に導かれ、すさまじいばかりの(天岸氏!)仏道を歩まれた末の究極のお言葉です。
賑わう中ノ島のバラ園
*6/21 2時~お寺カフェ *7月の仏女、3日に変更です。 合掌
6月のしつらえ
仏さまの智慧をいただく
今年もまたこの季節に会えました。梅から始まり、蝋梅、桜、桃、ニセアカシア、栴檀、そしてバラ(身近な樹木のみ)。その繚乱ぶりを見逃してはなるまいと、恒例の中央公会堂での仏教講演会に出かけて行きました。
第86回となる今回のテーマは「智慧」。御堂さんでもお馴染みの淺田恵真氏と天岸淨圓氏のお話が見事にリンク。流石、と言っては生意気過ぎますが・・・
淺田氏は天台宗にお詳しい。親鸞聖人が29歳で山を下りられるまでどんな修行をなさっていたか、ヒントはただ一つ、恵信尼さまのご消息にみえる「殿の比叡の山に堂僧つとめておはしましけるが」の記述です。堂とは常行三昧堂。5間(けん。一間は一、八メートル)四方のお堂の中に阿弥陀如来像が安置され、その周りをお念仏を称えながら時計まわりに回ります。聖人がおられたのは横川ですのでそこのお堂で修行されたのでしょう。江戸時代の終わりに死者が出て以来封印されていた千日回峰行、それを昭和48年に復興されたのが酒井雄哉氏(ゆうさい、4年前に87歳で往生。阿闍梨・あじゃり)でした。淺田氏は生前、ご本人から直に聞いたそうです---お堂の中を90日間歩き通します。寝てはいけないので、柱と柱の間に竹を渡して眠くなるとそこに倒れ掛かかる状態になります。床に崩れ落ちて目が覚め、また歩き始めます。「(阿弥陀さまを)見ましたか」と問うと「はい、見ました」と阿闍梨。巨大な黄金色の如来さまだったそうです。
大乗仏教の求道者が実践すべき六種の徳目・修行を六波羅蜜といいます。布施、持戒、忍辱(にんにく)、精進、禅定(ぜんじょう、精神統一)、智慧。最後の二つ、念仏三昧の中で精神統一がなされ、智慧を得る、ということでしょうが、並大抵のことではありません。千日回峰行を酒井阿闍梨のように2回なされた方は、長い比叡山の歴史の中でたった3人だけと聞きます。
「いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」(歎異抄第二条) 親鸞聖人は、この三昧に達することができませんでした。天岸氏は淺田氏のお話を引取り、そんな失意のうちに出会われたのが法然聖人だったと続けられました。
法然聖人は、「聖道門(天台宗など修行して悟りに至る)は知恵を極めて生死の迷いを離れる。浄土門は愚痴に返りて極楽に生まる。」と示されました。修行ではなくお念仏をいただく仏道では、仏さまのお言葉を智慧とたまわったら、私の考えなどはグチ・不実と知らしめられる。そう気づかされてお浄土に生まれさせていただく身となるというのです。
釈迦・弥陀の慈悲よりぞ
願作仏心はえ(得)しめたる
信心の智慧にいりてこそ
仏恩報ずる身とはなれ (正像末和讃)
この信心の智慧の左訓(左側につけた仮名)に
弥陀のちかひは智慧にてましますゆえに、信ずるこころの出でくるは智慧のおこるとしるべし・・と記されておられます。弥陀の誓い=本願を、弥陀の智慧=真実といただかれた親鸞聖人、この和讃を作られた時85歳。信心の智慧一筋に導かれ、すさまじいばかりの(天岸氏!)仏道を歩まれた末の究極のお言葉です。
賑わう中ノ島のバラ園
*6/21 2時~お寺カフェ *7月の仏女、3日に変更です。 合掌
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