慶(きょう)聞(もん)抄(しょう)
2018(平成30)年2月号
(NO・51) 了雲寺 釈幸華
2月のしつらえ
少年の涙
去年の暮れのあるおばあさんの一周忌法要の席のことでした。お経さんが終わって、ご両親の間に並んで座っていた姉弟のお孫さんの弟の方に「どんなお祖母ちゃんやったの」と軽いノリで聞いてみました。ぼそっと「うっとおしかった」・・てっきり「優しかった」とか返ってくるものと想定していたので「どんな時にうっとうしかった?」重ねて聞いてしまいました。彼はうつむいたまま、「宿題しいやって・・」言い終わるや、泣き出したのでした。「そないに泣かんでも」取りなしたものの、少年の涙は止まるどころか、法話の最中も洟をすすり続け、暇を告げる頃には、それはもう号泣と言っていいような状態でした。
お祖母様からは、お参りの際に繰り返し聞いていました。1週間に一度、息子夫婦に頼まれて、「子守り役」にお出かけされていたのです。その曜日には、親が不在ということが近所の友達にも共有され、恰好の遊び場にもなっている訳で、お祖母さんとしては交通整理さながらの活躍、それを毎回私に語って聞かせてくださったのです。その時間は、気は張るには違いないけれど、彼女にとってかけがえのない時間であったことは想像に難くありません。
私の涙
私事を申せば、9年前に往生の母を思い出すたび胸が苦しくなるのはあの一言。着替えか何か、行動を促す場面だったと思うのですが、「私の身にもなってよ!」と、言い放ったのでした。やせ細った母の後ろ姿と、凍るような冷たい自分の声の響き。まだ勤めを持っていて急いていた時分だったのですが、取り消せるなら取り消してしまいたい。
次は、お出かけの帰り。粗相をしてしまった母を浴室に入れ、シャワーを後ろから当てたとき、十分にお湯が温まっていなくてしかも勢いが強くて痛かったのでしょう、歪んだ母の横顔。まだありますが、続けるには視界がもちません・・。
死者と向き合うとき
今年も阪神大震災の1.17が巡ってきました。ある男性は、両親と姉とその子ども(姪)を亡くしたそうです。自分だけ2階に寝ていて・・。それを自分の重みで1階がつぶれ家族が亡くなったと。その思いが何度も自殺に向かわせたといいます。またある青年は、生後数か月で自分だけが助かったそうです。彼も両親とお姉さんを亡くし、祖父母の元で育てられました。赤ちゃんで記憶らしい記憶もないはずなのに、何で姉ではなくて自分が生き残ったのかと自分を責めるといいます。
23年も経って、何故人はこうなのでしょう。亡くなった人を想うとき、取り返しのつかない事実が、その根底から自分を省みざるを得なくするのでしょうか。小四の少年の胸に去来した深い自責の念は、必ずや道標となってこれからの行く手を照らしてくれるでしょう。
無慚蕪愧(むざんむぎ)のこの身にて
まことのこころはなけれども
弥陀の回向の御名なれば
功徳は十方にみちたまふ
「正像末和讃」悲嘆述懐讃
慚は人に恥じるこころ、愧は天に恥じるこころ。常日頃からとてつもなく自分に厳しいご開山・親鸞聖人は、両方持ち合わせのない身だからこそ、いよいよ南無阿弥陀仏を有難く思われるとおっしゃる人なのでした。 合掌
2018(平成30)年2月号
(NO・51) 了雲寺 釈幸華
2月のしつらえ
少年の涙
去年の暮れのあるおばあさんの一周忌法要の席のことでした。お経さんが終わって、ご両親の間に並んで座っていた姉弟のお孫さんの弟の方に「どんなお祖母ちゃんやったの」と軽いノリで聞いてみました。ぼそっと「うっとおしかった」・・てっきり「優しかった」とか返ってくるものと想定していたので「どんな時にうっとうしかった?」重ねて聞いてしまいました。彼はうつむいたまま、「宿題しいやって・・」言い終わるや、泣き出したのでした。「そないに泣かんでも」取りなしたものの、少年の涙は止まるどころか、法話の最中も洟をすすり続け、暇を告げる頃には、それはもう号泣と言っていいような状態でした。
お祖母様からは、お参りの際に繰り返し聞いていました。1週間に一度、息子夫婦に頼まれて、「子守り役」にお出かけされていたのです。その曜日には、親が不在ということが近所の友達にも共有され、恰好の遊び場にもなっている訳で、お祖母さんとしては交通整理さながらの活躍、それを毎回私に語って聞かせてくださったのです。その時間は、気は張るには違いないけれど、彼女にとってかけがえのない時間であったことは想像に難くありません。
私の涙
私事を申せば、9年前に往生の母を思い出すたび胸が苦しくなるのはあの一言。着替えか何か、行動を促す場面だったと思うのですが、「私の身にもなってよ!」と、言い放ったのでした。やせ細った母の後ろ姿と、凍るような冷たい自分の声の響き。まだ勤めを持っていて急いていた時分だったのですが、取り消せるなら取り消してしまいたい。
次は、お出かけの帰り。粗相をしてしまった母を浴室に入れ、シャワーを後ろから当てたとき、十分にお湯が温まっていなくてしかも勢いが強くて痛かったのでしょう、歪んだ母の横顔。まだありますが、続けるには視界がもちません・・。
死者と向き合うとき
今年も阪神大震災の1.17が巡ってきました。ある男性は、両親と姉とその子ども(姪)を亡くしたそうです。自分だけ2階に寝ていて・・。それを自分の重みで1階がつぶれ家族が亡くなったと。その思いが何度も自殺に向かわせたといいます。またある青年は、生後数か月で自分だけが助かったそうです。彼も両親とお姉さんを亡くし、祖父母の元で育てられました。赤ちゃんで記憶らしい記憶もないはずなのに、何で姉ではなくて自分が生き残ったのかと自分を責めるといいます。
23年も経って、何故人はこうなのでしょう。亡くなった人を想うとき、取り返しのつかない事実が、その根底から自分を省みざるを得なくするのでしょうか。小四の少年の胸に去来した深い自責の念は、必ずや道標となってこれからの行く手を照らしてくれるでしょう。
無慚蕪愧(むざんむぎ)のこの身にて
まことのこころはなけれども
弥陀の回向の御名なれば
功徳は十方にみちたまふ
「正像末和讃」悲嘆述懐讃
慚は人に恥じるこころ、愧は天に恥じるこころ。常日頃からとてつもなく自分に厳しいご開山・親鸞聖人は、両方持ち合わせのない身だからこそ、いよいよ南無阿弥陀仏を有難く思われるとおっしゃる人なのでした。 合掌
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