チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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母の葬儀を終えて

2024年09月18日 | 介護
私にとって母の死は、父よりも、夫よりも、誰よりも一番堪えるだろうと思っていたけれど、今は肩の荷が下りたような、大仕事を終えたようなそんな気持ちになっている。
ただ、とうとうひとりぼっちになってしまったとも思う。
もちろん、血縁は息子たちや弟がまだいるわけだけれど、頼れる人が居なくなってしまったという気持ちが強い。

葬儀の翌日、母がお世話になっていたケアハウスに退所の手続きと荷物を受け取りに行った。
こんなに有ったのかと驚くほどの荷物だった。
施設ではすぐに運び出せるよう、100均の大きなビニールバッグ8個に詰めていてくれた。
それから、衣料用キャビネット(ここにも下着類がいっぱい入っている)、衣装ケース、テレビとテレビ台。
ポータブルトイレは施設が引き取ってくれた。

今日は、私が持ち帰ったその一部を開けてみた。
その中から、私が母へ宛てた手紙の束と私が手作りしてプレゼントした巾着が出てきた。
2020年10月17日から脳梗塞になるまで2年半の間に書いた74通の手紙を母は大事に取って置いてくれた。
巾着はかなり汚れているので使っていた証拠だ。
その巾着に手紙を入れて、時々取り出しては繰り返し何度も読み返していたとスタッフさんが教えてくれた。
本当の本音のところでは最期まで家族と一緒に実家で過ごしたかったに違いないが、それでは息子・娘に負担を掛けると思い、自ら施設に入居すると決めてくれた。
施設に入ってからも、家に帰りたいとは一度も口にしなかった。
コロナ禍で、そんな母にしてあげられることは手紙を書くことくらいだった。

施設に入る前、自宅に引き取り1年間一緒に過ごしたことと、手紙を書いたこと、この2つがせめてもの親孝行だったように思う。

母親というのは、誰にとっても特別な人。感謝しかない。
だから、私も子供たちのために出来る限り、生きようと思う。

母 永眠

2024年09月15日 | 介護
2024年9月10日 7時20分 母が永眠しました。

8日に救急搬送され入院した母は、医師の診立てではあと一週間くらいとのことだったので、少し猶予期間があると私たちは思っていた。
ところが、10日朝6時20分頃、母の呼吸が止まり、もうすぐ心臓も停止すると病院から連絡が入る。
弟に連絡し、急いで病院へ駆けつける。
父の時は母・弟・私の家族3人で最期を見守ることができたが、母の場合は間に合わなかった。それも致し方なしと思う。

実家は母が住まなくなって5年。北側の部屋の床は抜け落ち、台所の床もベコべコしている。
とても遺体を安置できる状態ではないので、葬儀社に安置してもらうことにする。
母も生前、それでよいと言っていた。
それに、葬儀は家族葬で小規模にと以前から決めていた。

それから、お寺さんに連絡を入れると、なんと同じ時期に3人が亡くなり、母は3番目。
葬儀の日程はこちらの心積もりより、大きく遅れることになった。
この暑さで一週間も遺体を安置しておくのはどうなのか。
経費の面でも、遺体管理料、ドライアイス代がかかる。
葬儀社の提案で、先に火葬を済ませてしまうことに決める。
そうなれば、通夜の前まで遺骨は自宅(今回は弟宅)へ帰ることになる。
なるべく部屋(会場)を空けておきたいという葬儀社のビジネスライクな部分も垣間見えた。

そんなことで、12日火葬、15日通夜、16日葬儀となった。

救急搬送の理由

2024年09月09日 | 介護
昨日の記事で母が救急搬送されたことを書きました。
それには理由(わけ)があります。

一般的にケアハウスとは自立している方を対象としている施設ですが、母が入居しているケアハウスは介護型で要介護5などのレベルになっても退去しなくてもよい有難い施設です。
しかし、母が入居しているケアハウスは『看取り』をしていないのです。
それは契約書に明記されています。
契約時は何とも思わなかったのですが、母が寝たきりになって最期を迎えようとしている今、病院に移ることなどなく静かにその時を迎えさせてあげたいというのが本音です。
それで、母が脳梗塞になってから、『なぜ看取りが出来ないのか』スタッフさんに尋ねてみたのです。
すると、こんな答えが返ってきました。

私たちスタッフも、今まで介護させていただいたわけですから、最期を看取って差し上げたいと望んでいます。
でも、この施設に来てくださるお医者さんがいないのです。
ここは、福島市からも時間がかかりますし、夜間に来てくださるお医者さんを見つけることが出来ていないのです。
それで、たいへん残念なのですが、現在のところ看取りが出来ないのです。

ああ、そういうことだったのか!
24時間体制で、臨終に来てくれる医師がいないのか。
チエちゃんの村に医療機関はありません。
もう何年も前に、たった一つの医院が医師の高齢化で閉院となってしまったのです。

いろいろな介護施設が存在していますが、それぞれに問題を抱えているのだなと思いました。





母、救急搬送される

2024年09月08日 | 介護
午前11時頃、母が入居しているケアハウスから電話が掛かってきました。

お母様にお声掛けしても反応がありません。
それから、サチュレーション(酸素血中濃度)が下がっていて70くらい(正常値は94%~99%)です。
酸素吸入をして様子を見ますが、改善されない場合は病院に搬送することになります。

それから1時間もしないうちに再度電話があり、状態が良くならないので救急搬送するとのこと。
私も、洗濯物を取り込んだり、猫たちにご飯をあげたりして、病院へ駆けつけました。
母に付き添ってきたケアハウスの看護師さんと処置室の前で待っていると、やがて部屋に入るようにとの案内。
対面した母は、8月21日に面会した時の顔と明らかに違っていました。
薄く開かれた目はどこも見ていない。酸素吸入マスクを付けた口は開いたまま。
声を掛けても、何の反応もありません。

医師の説明は、かなり体調が悪化していますから入院していただきますが、ご高齢でもありますので、積極的な治療は行わないということでよろしいですか?
つまり、老衰だからこのまま見守りましょう ということです。

ああ、やっとお迎えが来てくれたらしいよ。
昨年の春に脳梗塞を発症、今年1月にも新たな脳梗塞が見つかって、嫌がっていた鼻から管を入れて栄養を摂るようになって7か月。
七夕の短冊に願い事を書いたからかしらね。



母の日 約束を守れなくて、ごめん・・・

2024年05月12日 | 介護
昨年の母の日に、こうしてお花を贈るのは最後かもしれないねと弟と話したことを思い出しています。
今年も母と面会して贈ることができたけれど、想いは複雑です。

今年1月、再度の脳梗塞で母は食べ物を呑み込めなくなってしまったのです。
2月初旬、面会に訪れた私たちに老医師から説明がありました。

母の脳梗塞は落ち着いているが、今回の梗塞で食べることができなくなったので、鼻からチューブを入れて胃に栄養剤を注入する『経鼻経管栄養』の同意書にサインをお願いしたいとのこと。

ちょ、ちょっと待って!

私:それは、延命措置ではないのですか?
 母は延命治療を希望していません。チューブを入れることも希望していません。

医師:いえ、これは延命措置ではありません。脳梗塞は落ち着いていますので、栄養を取れば、また施設に戻って生活することが出来るのですよ。

私:でも・・・

弟にどう思うか確認すると、「いや~、これは難しい問題だ」と言います。

あれっ? 母と私の間では、延命治療はしないと確認済みだったけど、弟はどう考えているのだろう?(確認してなかった・・・)
もしかして、弟はどんな形であれ、母に生きていて欲しいと思っているのではないだろうか?
それを強引に私が治療を拒否していいのだろうか?
そして、次の弟の言葉が決め手になってしまった・・・
「実は俺、転勤なんだよ。」
ああ、つまり今、母に逝かれては困るということか。
と忖度してしまったのです。
それで、同意書にサインしてしまった。

あの時、経鼻経管栄養を拒否していたら、今頃母はお墓の中で眠っていたことでしょう。
私は、母から死ぬチャンスを奪ってしまったのかもしれません。
現在の母は、鼻にチューブを入れて、ただ眠っているだけ。
チューブを入れることをあんなに嫌がっていたのに、約束を守れなくて本当にごめんなさい。



病院を後にしてから弟にどう思っているのか確認したら、母が延命治療を拒否していたのは知っていたが、苦しまないで済むのはどちらなのか判断するのが難しいと考えていたそうです。
私は今、後悔しています。
母が脳梗塞になった時点で、脳梗塞のその後はどうなってゆくのか、もっと勉強しておくべきだったと。


新たな脳梗塞

2024年01月27日 | 介護
ブログをお休みしていると『更新しなきゃ』という焦りから解放されて、ホッとしている自分がいます。
ブログを止めてしまう人の気持ちが何となく分かるな~と思う一方で、自分の想いを吐露する場所を失いたくないという気持ちもあります。
どっちが勝るかということなのかしら?
という訳で、『めまい』も治まってきたので久しぶりの投稿です。

今週の初め、母が入居しているケアハウスから、施設と提携している総合病院を受診する旨の連絡を受けていました。
母の食欲が落ちたこと、発語が無くなったことなどを考慮しての受診でした。
そして、水曜日の午後、母に付き添ったケアハウスの看護師さんから電話が入りました。
「新たに脳梗塞が見つかったので入院することになりますから、今すぐ来てください。」
今回は前の経験がありますから、落ち着いて行動することができました。
病状を説明してくれたのは80代と思われる医師で、母のCT画像を見ながら、
「この白い部分が新たな脳梗塞の箇所です。そして、黒い部分が多いでしょ。もうかなり脳が委縮しています。私なんかも同じですが、高齢になるとこうなるんですよ。」と言うので、可笑しかった。
母は、こうしてだんだん弱っていくのでしょう。
この段階で治療をすることは、延命治療に入るのかしら?
母が元に戻ることはもうないのに、治療することに意味があるのだろうか?
処置室でちょっとだけ会えた母のうつろな目が、早く逝かせてほしいと訴えているようで、私は心の中で『ごめんね』とつぶやくしかなかった。



今年最後の面会日

2023年12月16日 | 介護
雨が降って寒かった昨日は、2023年最後の母との面会日でした。
母が寝ているベッドの向かい側にある整理ダンスの上には、クリスマス飾りやお誕生日おめでとうの寄せ書き、息子たちがプレゼントしたドライフラワー、父の遺影、孫の写真、私が母の日にあげたメッセージカードなどがきれいに飾られていました。
枕元には、私が作ったクレイジーキルトの巾着私からの手紙
(それらを母は大切にしていたのだと思う)
施設スタッフの皆さんへ感謝です。

先月の面会時に母は顔色も良く、『こんにちは』と返事をしてくれたので、良い傾向だと思っていたのですが、今回は介護士さんによると言葉を発することが無くなってきたとのこと。
顔の表情も、老衰が進んだなという印象を持ちました。
脳梗塞を発症しましたが、母はおそらく祖父と同じく老衰で逝くのではないかと私は思いました。
来年の誕生日を迎えられるかどうか・・・

弟とその覚悟はしておこうと話し合って帰ってきました。



母の居室で面会

2023年07月14日 | 介護
介護施設に入居している母と2ヶ月ぶりに面会しました。
脳梗塞を起こしてから二度目の面会です。
5月に面会した時、スタッフさんが母をわざわざ着替えさせて面会棟まで連れて来てくださったので、母やスタッフさんの負担になるのでは?と勝手に忖度して、6月は面会を控えたのです。
すると、先月末、「特別にお母様のお部屋で面会できるよう施設長から許可をもらいましたので、どうぞ会いに来てください」とスタッフさんから電話があり、今回初めて母の部屋で会うことができました。
コロナでずっと母の居室には入ることができませんでした。

目を閉じてベッドで横になっている母に「チエがきたよ!」と声をかけても、なかなか返事がなかったのですが、5回目くらいにやっとうっすらと目を開けて「はい」と返事してくれました。
こくりとうなずいたように見えたので、私だと分かったのかなと思いました。
誰か分からないけれども話しかけられたから返事をしただけなのかもしれませんが・・・

その後、別室にて、介護士さん、看護師さん、栄養士さん、ケアマネージャーさん、相談員さんから母の現在の状態と今後のケア計画について説明を受けました。
食事(ムース食)の摂取量が減ってきていて、自分では身体を動かすことが出来ないので、体重がさらに落ちてしまった。
寝返りが打てないので、褥瘡防止のために2時間ごとに体位を変えている。
何度か名前を呼ぶと返事をしてくれるが、それ以外に言葉を発することはない。
医師から、身体が弱っているので寝た姿勢で過ごすようにと指導があったとのこと。
(ああ、それで部屋での面会が特別許可されたのか)

そして、母は6月から要介護5に認定されました。



母、退院

2023年05月03日 | 介護
今週月曜日、母は退院し、ケアハウスへと戻りました。
快復しての退院ではなく、病院ではもう治療することが無いからの退院です。
入院しても3か月以内であれば、施設へ戻れることをケアハウススタッフさんから聞いてホッとし、入居時に契約書を隈なく読んだはずなのにすっかり忘れていたと思いました。
元々痩せていた母はこの2週間で、さらに瘦せ衰え、骨と皮ばかりになったように見えました。
右手足をわずかに動かせることと、食べ物(ミキサー食)が飲み込めること、言葉を理解・発すること(といっても、反応は鈍い)以外は、全介助です。
もし、自宅で介護をしていたなら、私は今頃疲れ果て途方に暮れていたことでしょう。

そして、偶然とは思いますが、施設からこのタイミングで「救急搬送時の処置についての希望」を確認する書類(今年から毎年確認するそうです)が届き、私は迷わず

☑ 輸血を希望しません
☑ 積極的治療を希望しません(挿管や、改善が見込めない延命治療も含む)
に、チェックを入れました。



今は、母の辛い状況が長く続かないことを祈るのみです。

母の退院計画

2023年04月28日 | 介護
母の病状の説明と退院に向けての打ち合わせがあるということで、本日、母が入院する病院へ行ってきました。
ケアハウスのスタッフさんもリモートで、参加してくださってます。

医師は急患が入ったとかですごく忙しいらしく、
「急性期の治療が終わったので退院できます。
 お話もできますし、よかったですね。
 今後は、かかりつけ医に手紙を書いておきますから、そちらで診てもらってください。」
と説明は2~3分で終了でした。

リハビリ担当スタッフさんからは、もう少し詳しく母の状態について説明がありました。
言葉を掛けると返事をするが、自分から発することは無い。
意思の疎通は出来ている。
目を閉じていることが多い。
身体の左側に麻痺があり、ベッド上に自力で起き上がることはできない。
(脳梗塞前は出来ていた)
もちろん、自力で立って歩くことはできない。(これは以前と同じ)
食事はすりつぶしたものにとろみをつけて食べているが、自分で箸やスプーンを持って食べることはできない。(以前はきざみ食を自分で食べていた)
排泄も、1年程前からオムツを使用している。

説明されてみると、自力で出来ることが無くなっています。
意思の疎通ができることがせめてもの救いですね。

死んでしまった脳細胞は元に戻りません。
動脈硬化も進んでいるでしょうから、また脳梗塞が起きる可能性が高いです。

それで、来週月曜日に退院できることになりました。
退院した母は、またケアハウスへ戻ります。
ケアハウスのスタッフさんがすべて対応してくださるので本当に有難いです。