チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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エレベーターガール

2010年03月28日 | 昭和なもの
 本日、珍しく駅前のデパート中合に行ってみました。
7階の催事場に行こうと、エレベーターボタンを押して待つこと1分。
開いたドアからドヤドヤと人が出てきた後、乗り込もうとして驚きました。
なんと、エレベーターガールがいたのです。
確か、人件費削減とかで、ここのデパートは、エレベーターガールを廃止したんじゃなかったっけ?
デパートに滅多に行かない私は、うろ覚えです。
いや、確かにそうだ。いつから、また採用したんだろう?

 子供の頃、中合のエレベーターガールとは、高嶺の花とでもいいましょうか、あこがれの職業とでもいいましょうか、小さな地方都市では、スチュワーデス(現在ではキャビンアテンダントですか?)と同じくらいの意味を持っていたように思います。
「何処そこの娘さんは、中合のエレベーターガールになったんだと。」
「そりゃ~、すげ~した。」
というような会話が成り立っていたくらいです。
美人であるというお墨付きをもらったことになるのです。

市民の間では、このデパートの三越百貨店を真似た包装紙で贈答品を贈ることがステータスでありました。
今では、そんなこともなくなってしまいましたが。

 長じてから、私は、ここのエレベーターに乗るたびに、エレベーターガールというのは、そんなによい職業なのだろうか?と思いました。
きれいにお化粧をして、標準語で案内をしているけれど、一日中立ちっぱなしだし、何回同じことを言うのだろう、うんざりしないのかな? それに、ツンと澄ましているし・・・

 まあ、タダのひがみなんですけど・・・ね。
あ、今日の担当の方は、にこやかで、可愛らしい方でしたよ。

さよなら白熱電球

2010年03月22日 | 昭和なもの
さよなら白熱電球 東芝が製造停止 120年の歴史に幕(朝日新聞) - goo ニュース

 日本で最初に白熱電球を作った東芝が、2010年3月17日、一般白熱電球の生産を中止したそうだ。
便利で、より性能の良い物が発明されれば、古い物は使われなくなってしまう。かつては、白熱電球がろうそくやランプに取って代わったように、それは仕方のない時代の流れなのだと思う。

 けれど、やっぱり、また昭和が逝ってしまうようで、淋しい。

 チエちゃん家でも、確かにToshibaの白熱電球を使っていました。
電球の頭に付いたあのロゴマークを覚えているもの。現在のゴシックのTOSHIBAじゃなくて、筆記体でTの横棒が長く伸びて、楕円を作っていたあのマークです。
 ちゃぶ台の上には、傘つきの電球があって、その光の下で一家揃って夕飯を食べていました。
夜中におしっこがしたくなり、布団の中でどうしようかと考えます。暗闇の中には魔物が潜んでいるように思えるから。どうしても我慢できなくなり、天井からぶら下がっている裸電球を手探りで見つけ出し、スイッチをひねると、オレンジ色の光が、部屋全体を照らし出し、なぜかホッと安心したものでした。
あれは、チエちゃんがいくつの頃だったのか・・・
座敷に、初めて蛍光灯が点いた日、昼間のように明るいと思ったけれど、蛍光灯があるのは、たった一部屋で、その他はまだまだ、白熱電球が活躍していたっけ。

 白熱電球と共に思い出すのは、碍子(がいし)です。
碍子というのは、送電線の鉄塔などについている白い陶磁器の絶縁体のことで、昔は一般家庭の屋内配線にも使われていたのです。天井の梁にむき出しに配線されていました。
チエちゃん家の碍子はすっかり取り外されているとばかり思っていましたが、なんと、現役で活躍していました。

  

本日、実家を訪問した際に撮影してきました。
冒頭の白熱電球も、チエちゃん家で現在も使われているものです。
残念なことに、Made in China でした!

第179話 山口先生

2010年03月14日 | チエちゃん
1年3組は、国語の時間です。
国語の先生は、まだ若い女の先生でした。

 先生、質問! 先生、もう、キスした?

 きゃあ~、やだ~!
 ワイ、ワイ、ガヤ、ガヤ、・・・・・・
 
静かだった教室が、一人の男子の発言で騒然となってしまったのです。
先生の顔が、見る見る紅くなりました。それでも、毅然と、

 今は、授業中です。授業と関係のない話は止めましょう!
 え~っ、教えてくれたって、いいじゃん。
 そうだ!そうだ!教えろっ!教えろっ!・・・・・

たちまち、クラス全員の大合唱になってしまいました。
なんとか止めさせようとした先生は、とうとう泣き出してしまったのです。

生徒たちは、さすがにやり過ぎたと思いました。

中学校の山口先生は、チエちゃんたちの小学校の担任だった小木先生と婚約していました。
チエちゃんたちは、大好きな小木先生を山口先生に取られたような気がして、憎らしかったのです。
だから、男子生徒が質問をした時、いい気味だ、困らせちゃえという心理が働いてしまったのでした。

ホントは、チエちゃんたちも分かっていたのです。
美人で、大人の山口先生に、子どもの自分たちなんか太刀打ちできないってこと。

同級会Ⅱ その3

2010年03月08日 | チエの玉手箱
 シンイチは、昔っから、キザで、エエカッコしいだった。
今夜も、東京弁でみんなを笑わせている。

 オレさ、今、嫁さんと別居中!っていうか、単身赴任。

 エッ?みつお君だって、栃木から新幹線通勤してるのに、東京-千葉間って、通えないの?

 いや、オレにもいろいろ事情があるわけよ。
 毎晩、飲むだろ? 都内に住んでた方が便利なのよ。
 娘と一緒に住んでんだ。
 嫁さんには、何時に帰ったとか、毎晩飲んでるとか、絶対言うなっていってある。

 それって、単身赴任って言うの?
 毎日、飲んでるの? もう歳なんだから、程々にしなよ。身体壊すよ。

 大丈夫さ・・・
 なあ、チエちゃん・・・、田舎の高校出てサ、夜学通ったヤツが、東京の一流大学出のヤツにかなうわけないだろ・・・
 オレにできることは、酒の席でヨイショすることくらいさ。
 その代わり、オレは誰にも負けないぜ!
 
 そうっか・・・、シンちゃん、夜学行ったんだ・・・

 シンちゃん、あんたも、いろいろ苦労してんだね。
定年になったら、奥さんと年に2~3回は南の島に旅行する計画を立てているのだという。
いいとこあるじゃん。
ふたりで元気に、旅行に行けること、祈ってるよ。
お酒は、ほどほどだよ!

つづく
 

同級会Ⅱ その2

2010年03月04日 | チエの玉手箱
 ガイジンは地方検察庁のお役人をしている。
彼はれっきとした日本人だが、透き通るような白い肌と、赤茶色の髪、とび色の瞳がハーフを思わせる容姿で、小学生の頃から「外人」というニックネームが付いていた。

結婚したのが遅かったようで、二人の息子はまだ高3と中学生だという。
「俺が定年の時、下の子がちょうど大学卒業の年齢だから、浪人も、留年も許されない。
 可哀想なヤツだ・・・でも、なんとか間に合ったよ。」と笑った。

現在は、単身赴任中だという。
「東北6県、秋田以外は行ったよ。」
「ふ~ん、どこが一番よかった?」
「青森だな。
 最初は、言葉が分からなくて面食らったけど、慣れると、人がいいんだ。
 青森県はいいよ。
 俺、跳人もやったんだ。
 結構、祭り好きでさあ、土地土地の祭りに必ず参加するんだ。
 ねぶたは、あちこちあるんだよ。
 青森だろ、弘前のねぷた、その他にも何箇所かあるんだ。おすすめだよ。」
真面目一方だと思っていた彼の意外な一面を知った気がした。

検察庁といっても、いろんな部署があるから、彼がどんな仕事をしているのかは分からないけれど、犯罪者と関わる仕事をしながらも、オンとオフを上手に切り替え、人生を楽しんでいるように見えた。

つづく