チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

ようこそ! チエちゃんの昭和めもりーずへ

はじめての方は「チエちゃん」のカテゴリからお読みいただくことを推奨しています。 もちろん、どこからお読みいただいてもかまいません。

第188話 原子力発電所見学

2011年09月29日 | チエちゃん
原子力発電所!?
ええ~、どうして? やだよ、そんなとこ。つまんな~い!

今年の遠足の行く先は福島原子力発電所だと知ったチエちゃんは、そう思いました。

「遠足といったら、名所旧跡と決まっているのに・・・
 去年は、二本松市の霞ヶ城公園で、菊人形を見てきた。
 今年は、会津若松の鶴ヶ城のはずじゃないの?
 どうして発電所なんだろ・・・」

チエちゃんは、水力でも、火力でも、原子力でも、そもそも発電所などにまったく興味がありません。
だから、せっかくの楽しい遠足が発電所だと知らされがっかりしたのでした。

そして、この遠足は本当につまらなく、チエちゃんの記憶にはほとんど残っていないのです。
福島原子力発電所の玄関が自動ドアだったこと(あはは~、どうでもいいことは覚えてる。当時、珍しかったのかな?)と、会議室のような部屋で8ミリ映画(ビデオじゃないよ。時代を感じるね)を見たかなあ?くらいです。
見学といっても、原子炉を直に見られるわけでもなく、せいぜい模型を見るくらいのものです。
そんな見学が記憶に残るハズがないのです。

お昼は、季節はずれの夜ノ森公園(福島原発のある大熊町のとなり富岡町にある公園。桜並木が有名)でお弁当を食べて帰ってきたのでした。


今年3月11日に原発事故が起こり、福島原子力発電所のことを調べてみて、謎が解けました。
あの時、なぜ、遠足の行き先が鶴ヶ城から福島原子力発電所へと変更されたのか、40年後にやっとその訳を知ることができたのです。

東京電力福島原子力発電所1号機は、昭和42年(1967年)着工、昭和46年(1971年)3月に営業運転が開始されています。
将来の日本を担う子ども達に日本の科学の粋を結集して作られた原子力発電所を見学させよう。
これからの日本に原子力は無くてはならないものなのだと子ども達に理解させよう。
おそらく、政府や県や東電は、そう考えたに違いありません。
チエちゃんたちが見学に出かけたのは、半強制的だったわけです。

昭和46年(1971年)チエちゃん中学2年の秋の出来事です。


追記:このとき、チエちゃんは福島原子力発電所で作られた電力はチエちゃんの家にも届いていると勘違いしていたのですが、なはは~ 福島県は全然関係なかったんだよね。
当時、福島県は貧乏だったんだね。リスクと引き換えにお金をもらった。
40年後、とんでもないリスクを背負い込むことになろうとは夢にも思わずに・・・

仮設住宅にお買物バス

2011年09月24日 | 大地震
福島県福島市在中@チエちゃんです

ここ福島は、台風15号と共に夏が去り、すっかり秋の気配です。
本当に一歩一歩ですが、復興への歩みを進めています。

9月から、我が家の近くの仮設住宅からスーパーマーケットまでのお買物バスが運行されるようになりました。
火曜日と土曜日の週2回ですが、自家用車のない仮設住宅の方々はきっと大助かりでしょう。
中型のかわいいバスが運行されています。
おそらく行政の要望に応えて、福島交通が運行しているのだと思います。
行政から補助金が出ているのでしょう。
こういうことは、どんどんやってほしいです。

それから、8月末でほとんどの避難所が閉鎖されたこともあって、仮設住宅の入居者が増えました。
ここは浪江町(津波被害・原発避難指示の区域です)の方々が入居されていると聞いています。
お盆の頃には、盆踊りも開催されました。
まだまだ不自由な生活だとは思いますが、早く福島市の生活に慣れてください。

震災から半年 (3)

2011年09月19日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

今、福島ではできる限り放射線量を減す取り組みが行われています。
自治体を中心に除染作業を進めています。
ところが、除染をして削り取った表土などの汚染物質を保管処理する場所がないのです。
これは、一般市民の身近な所でも起こっています。
写真を見てください。
これまでは、除草した草をゴミとして出すことが出来たのですが、ご覧のとおり草に土が着いていると、放射性物質が含まれているので回収してくれないのです。
庭の草はどんどん伸びるので、除草しないわけにも行きません。
けれども、我が家のような住宅地ではその草を処理する方法がないのです。
早くなんとか処理方法を確立して欲しいと願っています。

あ、このゴミは我が家で出したものではありませんよ。念のため。



震災から半年 (2)

2011年09月12日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

報道特番に、なんと杉本君が出ていたので驚いた。
数年前、同級会で会った時はメタボなおじさんだったが、見違えるほどスッキリと痩せていたのだ。
余程、仕事が忙しいのだろうと思った。
彼は、市内全地域の除染を決めたD市の職員なのだ。
そして、どうやら放射能対策の係らしい。
年齢からいって、課長だろう。

がんばれ!

TV画面に向かって、そうつぶやくしかなかった。


日テレ系「ザ!鉄腕!DASH」では、原発事故後のDASH村の様子が放送された。
DASH村の位置はヒミツとなっていたが、福島県民は浪江町津島地区にあるとウワサで知っていた。
そう、浪江町津島地区は、特別避難勧奨地点ホットスポットだ。
県内でも放射線量値が高いことで知られている。

あんなに自然が豊かで、ゆったりとした時間が流れていたDASH村。
チエちゃんの村も同じだ。
いつになったら、帰ることができるのだろう。



震災から半年 (1)

2011年09月11日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

3.11から6カ月ということで、どの放送局も特集番組を組んでいた。
わたしも日曜朝の報道番組やTBSの特番「震災報道スペシャル~原発攻防180日の真実故郷はなぜ奪われたか~」を見た。
どの被災地も復興には程遠いという印象を受けた。
特に福島県は、原発事故の被害もあって、瓦礫の片付けさえ手つかずだ。

原発事故に関しては、半年経って、ようやく一般人に真実が明らかにされてきた。
あの直後に水素爆発によって飛散した放射性物質は人体に影響のない数値と政府が発表していたことは、真っ赤なウソであったこともすでに報道されている。
あの時、私は何をしていただろう?
のんびりと買い出しの行列に並んでいたのでは、なかったか!

今日の特番では、震災後の政府と原子力発電所の対応について語っていた。
電源なしでも水を循環させることができるシステムがあるにも関わらず、それを作動させていなかった。
作動させるのが遅れたというのだ。そのわずかな間にメルトダウンは進行してしまった。
ある科学者は、人災だときっぱり宣言していた。

一瞬の判断ミスが次々に最悪の事態を招いていった。
けれども、この判断ミスには、電力会社や政府、そして私たちの奢りがあったと思う。
まさか、このような事態が起こるとはと想像すらしていなかったのだ。
チェルノブイリの事故も、他山の石とはならなかった。
わが国では絶対に起こり得ないと高を括っていた。
だから、非常事態に対するマニュアルの整備や訓練も十分に行われていなかった。
水素を放出するためのベントの開け方に手間取ってしまった。
バルブを閉め忘れた。
悪い時には、悪いことが重なる。

正直、怒りを覚えた。





秋の気配

2011年09月06日 | チエの玉手箱
このへんてこりんな画像は何だろうとお思いでしょう?

実はこれ、シクラメンの芽です。
夏の間、休ませておいた球根からモニュモニュとしたものが出ていることに気づいたので、お水をあげるとたちまち芽が大きくなりました。
実物を見ると、イソギンチャクみたいなんですよ。
本当は土を換えてあげたかったけど、今年は余裕がなくてごめんね。
まだまだ暑さが残っているのに、植物は季節を感じて花を咲かせる準備をしているんだね。

夕暮れが早くなったり、虫の音が聞こえたり、なんとなく空が高かったりと秋の気配が感じられる今日この頃ですが、
今日はシクラメンの芽に季節の移ろいを感じました。

あ、そうだ!
私の身体も敏感に季節を感じているようですよ。
今朝起きたら、足のかかとがカサついていて、あわててクリームを塗りました。
若い頃なら、もっともっと寒くなってからだったのにね。
あ~、ヤダ、ヤダ。