原子力発電所!?
ええ~、どうして? やだよ、そんなとこ。つまんな~い!
今年の遠足の行く先は福島原子力発電所だと知ったチエちゃんは、そう思いました。
「遠足といったら、名所旧跡と決まっているのに・・・
去年は、二本松市の霞ヶ城公園で、
菊人形を見てきた。
今年は、会津若松の鶴ヶ城のはずじゃないの?
どうして発電所なんだろ・・・」
チエちゃんは、水力でも、火力でも、原子力でも、そもそも発電所などにまったく興味がありません。
だから、せっかくの楽しい遠足が発電所だと知らされがっかりしたのでした。
そして、この遠足は本当につまらなく、チエちゃんの記憶にはほとんど残っていないのです。
福島原子力発電所の玄関が自動ドアだったこと(あはは~、どうでもいいことは覚えてる。当時、珍しかったのかな?)と、会議室のような部屋で8ミリ映画(ビデオじゃないよ。時代を感じるね)を見たかなあ?くらいです。
見学といっても、原子炉を直に見られるわけでもなく、せいぜい模型を見るくらいのものです。
そんな見学が記憶に残るハズがないのです。
お昼は、季節はずれの夜ノ森公園(福島原発のある大熊町のとなり富岡町にある公園。桜並木が有名)でお弁当を食べて帰ってきたのでした。
今年3月11日に原発事故が起こり、福島原子力発電所のことを調べてみて、謎が解けました。
あの時、なぜ、遠足の行き先が鶴ヶ城から福島原子力発電所へと変更されたのか、40年後にやっとその訳を知ることができたのです。
東京電力福島原子力発電所1号機は、昭和42年(1967年)着工、昭和46年(1971年)3月に営業運転が開始されています。
将来の日本を担う子ども達に日本の科学の粋を結集して作られた原子力発電所を見学させよう。
これからの日本に原子力は無くてはならないものなのだと子ども達に理解させよう。
おそらく、政府や県や東電は、そう考えたに違いありません。
チエちゃんたちが見学に出かけたのは、半強制的だったわけです。
昭和46年(1971年)チエちゃん中学2年の秋の出来事です。
追記:このとき、チエちゃんは福島原子力発電所で作られた電力はチエちゃんの家にも届いていると勘違いしていたのですが、なはは~ 福島県は全然関係なかったんだよね。
当時、福島県は貧乏だったんだね。リスクと引き換えにお金をもらった。
40年後、とんでもないリスクを背負い込むことになろうとは夢にも思わずに・・・