チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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グリムス5本目

2015年01月31日 | チエの玉手箱
2008年11月に始めたブログパーツ「グリムス」の5本目が、1年半かかってやっと大人の木へと成長しました。
更新頻度が低くなっているので、時間がかかってしまいました。
それにしても、このブログパーツ、登録ブログが58,000と少ないのに、よく運営してるなぁと思います。
社会貢献とか、そういうことなんでしょうね。
チエちゃんの木が成長したことで、この地球上のどこかに本当に樹木が増えていくと思うとうれしいな。
6本目も

除染完了!

2015年01月29日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

昨年11月の除染前モニタリング後、12月中旬に予定されていた除染作業が1か月遅れで始まり、先週の5日間をかけて終了しました。
表面の土を除去し、そこへ新しい土を入れました。
角にあった樹木も伐採されて無くなっちゃいました。
山椒の木がもったいなかったなあ。
除去土は少量とのことでしたが、結構な大きさです。(画像)

今日は、除染後のモニタリング調査が行われました。



数値はどれも下がっていますが、あまり差はありません。
最も差があったのは庭中央(我が家の場合、カーポート)で、平均0.2μ㏜下がりました。
原発事故直後に除染すれば相当な効果があったかもしれませんが、3年10か月も経った今では意味がないと思いました。
お金の無駄使い?と思いましたが、これも政府の雇用対策なのかなとも思いました。
作業に来ていた方々は、なんと関西弁。
関西から福島へ出稼ぎに来ているようです。

ともあれ、敷地内がすっきりきれいになったので、それが一番ありがたいです。
費用は無料。我が家の負担はありません。

おじいちゃん一代記

2015年01月25日 | チエの玉手箱
伯父の葬儀に行った際、伯父が大切にしていたのもだからと従兄が見せてくれたのが、「おじいちゃん一代記」のコピー(画像)でした。
こんなものがあったなんて・・・
もっと早く見せてよ~!って感じ。
今回、私もそのコピーをもらってきました。
癖字で読めない部分があるため、ただ今読破中!

一代記によると、祖父はなんと大正12年9月1日の関東大震災で罹災していました。
世の中の出来事で記載があるのは、あと一つ昭和39年の「東京オリンピック」。
それだけ、人々の心に残る大きな出来事であったのだなと思いました。





東京浅草観音堂裏

2015年01月23日 | チエの玉手箱
ひとつ前の記事にヨシヒサ伯父のことを書きました。
伯父は末期ガンで余命幾ばくもなく、その思い出を年末にアップしようと書き留めておいたのです。
ところが伯父は突然不慮の事故により亡くなり、今週の初めに葬儀が行われました。
私は、そこでこの記事「第196話ヨシヒサおじさん」を思い出し、弔辞とすることにしました。
伯母も従兄妹たちも、参列者の方々もよい弔辞だったと言ってくださったので、最後に伯父に何かしてあげれてよかったと思いました。
生前、伯父は「いっしょに浅草に行こうよ」と父を何度も誘っていたのに、父も高齢なので東京まで行くのが億劫とみえて、とうとう腰をあげぬうちに伯父が逝ってしまったのです。

それで、葬儀の後、父と弟と3人で浅草へ行ってみることにしました。
父はしっかりとその場所を覚えていました。
「ほら、あそこに観音様が見えるだろう?」
(一番奥の電柱のさらに後方に見えるのが、観音堂の屋根です)
言問通り「浅草観音堂裏」交差点を北に入ったその角に、おじいちゃんの店「富山軒」はあったのです。
現在は、ビルと割烹になっていました。
ここで、記念撮影をしました。
それから、ご近所だった父の幼馴染酒屋のおじいさんに逢うこともできました。
なんと、伯父は亡くなる10日程前にも、この酒屋さんを尋ねていたことが分かりました。
伯父といっしょに来ることができれば最高だったかもしれませんが、伯父の供養になったと思います。



第196話 ヨシヒサおじさん

2015年01月21日 | チエちゃん
ヨシヒサおじさんは、東京に住むチエちゃんのお父さんのお兄さんです。
一家は浅草で食堂を営んでいたわけですが、戦争が始まり、日に日に空襲が激しくなってきたため、おじいちゃんおばあちゃんの故郷である福島の田舎へと疎開したのです。
それ以前に、わずか15歳で志願兵として海軍に入隊していたおじさんは、復員後に田舎へとやってきました。
東京の下町の暮らしから、何もない田舎へと引っ越したわけですから、田舎暮らしが性に合わなかったものか、継母であるおばあちゃんとの折り合いが悪かったものか、ヨシヒサおじさんは一人東京へと戻って行きました。
それから、どんな馴れ初めなのかチエちゃんは知りませんが、ひとり娘のアキ子おばさんと結婚し、婿養子になったのでした。
アキ子おばさんはきれいな人で、上品で、垢ぬけていて、いかにも東京の人という感じなので、おじさんのどこに惹かれたのかなと思います。
そして、一男一女を儲けます。
おじさんが、こんなことを言っていたのを思い出します。
「チエちゃん、悪いけどね、おじさんのふるさとはこの田舎じゃないよ。浅草だよ。」
その時の私には、よく意味がわかりませんでしたが、今なら分かります。
多感な少年時代を過ごしたその場所こそが、おじさんにとってのふるさとであったのだと。

おじさんはとても話好きで、田舎に帰ってくると朝から晩までおしゃべりを続けています。
そんなおじさんに辟易しているおじいちゃんも、おばあちゃんも、お父さんも、夜はさっさと寝てしまいます。
ひとり残されたお母さんが、夜遅くまでおじさんの話し相手となるしかなく、「おじさんが早く寝てくれないものか」とチエちゃんによくこぼしていたものです。

ところで、ヨシヒサおじさんの仕事は警察官でした。それも、刑事。
おじいちゃんの血を受け継いでしまったおじさんは、世話好きのお人好し。
そんな風にチエちゃんの目には映っていましたから、人の良さそうなおじさんは本当に刑事なのだろうか?
犯人にバカにされないのだろうか? 秘密を守れるのだろうか?
それに、おじさんの子どもたちマー君とアッちゃんも、のほほんとしていて刑事の子とは到底思えません。
(おじさんの職業と家族は全く関係のないことだが、チエちゃんはこう思っていた)
テレビドラマ「七人の刑事」の芦田伸介みたいなかっこいい刑事さんにはなれないなと思っていたチエちゃんなのでした。
チエちゃんはテレビの影響で、刑事といえば殺人事件を扱う捜査一課と思い込んでいたわけですが、実際のおじさんは泥棒相手の捜査三課の刑事であったろうと思います。
それも、所轄のいわゆるたたき上げというやつで、階級は退職時の一階級特進で警視だったようです。
それでも、いつだったか「おじさんはね、これでも知能犯係の班長なんだよ」と自慢していたことがあったっけ。

そんなおじさんが、たった一度だけチエちゃんに刑事の顔を見せたことがあります。
チエちゃんたちがおじさんの家の遊びに行き、帰るという日におじさんが出勤前に上野駅まで送ってくれたのです。
「じゃあ、気をつけてね。また、東京に遊びにおいで。悪いけど、仕事があるから先に行くよ。」
そう言って、きびすを返したおじさんの顔が一瞬で引き締まり、全くの別人になりました。
内ポケットから取り出した警察手帳を駅員さんにチラッと見せて、颯爽と改札を抜けていくおじさんは、とってもかっこよかった。
「やっぱり、ヨシヒサおじさんは本当に刑事さんなんだ。」


追記:伯父の葬儀にて、この記事を弔辞として読んだ後、伯父と同僚であった方から声をかけていただき、知能犯係というのは捜査二課とのことです。私は、またまた思い違いをしていたわけです。
また、その方によると、テレビドラマ「七人の刑事」は「まさに、私たちのデスクの横で書かれたんですよ」と言っていらしたので、もしかしたら伯父もモデルの一人だったかもしれません。
いやはや、です。

2015年最悪の年のはじまり

2015年01月18日 | チエの玉手箱
小正月も終わり、もう「あけましておめでとう」とも言えない時期になってしまいましたが、
とりあえず、今年も細々ですがブログを続けますのでよろしくお願いします。

実は、風邪をひかないようずっとずっと気をつけて、ここ4,5年過ごしていたのに、正月2日に風邪をひいてしまい、それも2週間以上も経つというのにまだ完全に治っていません。
おまけに、なぜ風邪をひかないように注意していたのかというとヒロシにうつさないようにするためなのに、うつしてしまった!
透析患者にとって、風邪は大敵なのだ!
それがもとで、肺炎になってしまったら、取り返しがつかないことになってしまいます。
二人して、なかなか風邪が治らず、
「う~ん、年を取って体力が落ちているんだろうか?」
「何なんだ!今年の風邪は?」と話し合っています。

さて、2015年。
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャーPart2」に描かれた未来の世界が、まさに今年なんです。
さすがに、タイムマシンや空飛ぶ自動車はまだないけれど、デジタル映像の金魚水槽は現実にあるし、プロジェクションマッピングを見ているとジョーズの立体映像を思い出します。
人が想像できるものは必ず実現できるというけれど、あながち間違いではなさそうです。

そして昨日1月17日は、阪神・淡路大震災から20年。
3月11日は、東日本大震災から4年。
復興は程遠く、長い長い不況からも抜け出せず、先行きが見えない。
この先、どんな世の中になっていくのだろう?

なるようにしかならないと、ため息が出た。